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火の鳥 未来編


手塚治虫             虫プロ商事

 西暦3404年。地球は死にかけていた。人類は地下に「永遠の都」をつくり、無気力に生きていた。
 主人公マサトはエリートでありながら、禁じられた宇宙生物ムーピーを飼っていた。マサトは、美少女タマミに変身した不定形生物ムーピーとムーピーゲームに興じていた。ムーピーゲームとは、ムーピーの能力で人間が望みどおりの夢が見られるゲーム。
 ムーピー飼育が発覚したマサトはタマミを連れて、地上へ脱出。そこで、地球の生物の再生を研究する猿田博士にかくまわれる。猿田博士の研究所でマサトは火の鳥で出会い、永遠の生命を与えられる。そして地下都市が核爆発。人類滅亡。地球上でマサト一人生き残る。
 SF者の小生は「火の鳥」の中でこの「未来編」が最も好き。手塚はSFを非常に理解していた漫画家だったが、その手塚のSF魂がサクレツしたのが、この「火の鳥未来編」ではないだろうか。
 地球上での人類の衰退。地下都市での生活。核による絶滅。生命を創りだそうとしている隠者。不定形生物。現実からバーチャルな世界への逃避。神の視点から見た地球。極大宇宙と極小宇宙。生命創造。
 SF者として生まれて、以上のことを妄想しなかった者はいないだろう。少なくとも小生は、幼少のみぎりよりこんなことを妄想して楽しんでいた。そして、その妄想を「絵」として最初に見せてくれた作品が、この「火の鳥未来編」だ。ちなみに「動く絵」として見せてくれた最初の作品が「2001年宇宙の旅」だ。
 素粒子はそれが一つの宇宙であり、宇宙は一つの素粒子にすぎない。火の鳥がマサトに実感させるが、こういうことはSF者であれば。だれでも考えることだろう。でもSFがまだ人口に膾炙していなかった、あのころは、あまりそんなことを人にいえなかった。それがこうして絵に描いている人がいる。漫画の神様に対して、大変に不敬なことではあるが、作者手塚に対してものすごいシンパシーを抱いた。
 マサトとタマミが最後のムーピーゲームをやるシーンは、今でも涙なくして読めない。そして後半、不死のマサトが肉体をなくし、存在だけの「存在」=「神」となって、生命を一から作り、それが知能のあるナメクジへと進化する。地球の生命史をパロディとしている。最後のナメクジが知能を持ったことを悔やみながら死んでいく。知能がなければもっと楽に死ねたのに、と。これなどはSFの持つ大きな機能である、文明批評そのものではないか。
 冒頭に小生は「火の鳥」で「未来編」が一番好きといった。しかし、正直、一番の名作とはいっていない。「火の鳥」で一番の名作は「鳳凰編」ではないだろうか。大河歴史物語の風格を持ち、我王と茜丸という際立った対照的なキャラを対立させ、大仏建立という歴史的なイベントを有機的にからめた「鳳凰編」は物語を読む快楽を与えてくれる。稀代のストーリーテラー手塚治虫の才能が全開したのが「鳳凰編」だろう。それに比べると「未来編」はストーリーの平板さは否めない。では、なぜ小生は「火の鳥」というと「未来編」というかというと、それはSF者としての私的感情のなせるワザとしかいえない。

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コメント
 
 
 
また読んでみようかしら (矢菱虎犇)
2011-06-10 02:19:14
『火の鳥』って、学生時代に少年漫画誌サイズのを友だち連中と回し読みをしていた記憶しかありません。でも雫石さんの文章を拝読して、未来編の内容をおぼろげに思い出しました。ありがとうございます。
鳳凰編も面白そうですね。
今度、図書館で借りて読んでみようかなって思いました。
 
 
 
矢菱虎犇さん (雫石鉄也)
2011-06-10 09:19:59
手塚の火の鳥シリーズの中で、ベストはどれかと聞かれれば、この「未来編」か「鳳凰編」か大いに悩むところであります。
私も、この記事を書くために、ものすごく久しぶりに読んだのですが、やはり感動しました。
「未来編「鳳凰編」ぜひお読みになるといいですよ。
 
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