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とつぜんSFノート 第3回


 だれがいったか知らないが「SFの黄金時代は12歳である」名言であると思う。だいたい、SF者は、この年頃にSFとの幸福な出会いをしていることが多い。何人かのSFの友人に聞くと、小学校高学年ぐらいから、自分が空想好きで、宇宙だとか未来だとかいうお話が好きであるとの自覚があったとのこと。小生も同じだ。 
 子供はだいたいそうだが、小生は絵を見るのが好きな子供だった。もともと、昆虫とか小魚などの生き物が好きで、そういうものがいっぱい載っている図鑑をながめては喜んでいた。そのうち、生き物以外の絵にも興味を持つようになった。ロケットとかロボットとか宇宙とかの絵だ。
 今時、そんな能天気な企画は笑いもんになるだけだが、昔の、新聞や雑誌の新年号の企画の定番といえば、「未来の世界」「未来の日本」「未来の生活」といった「未来」もんだった。未来になれば、労働は全部ロボットがやり、人々は働かなくともいいのでレジャーを楽しみ趣味に時間を費やす。ボタン一つでなんでもできる。バラ色の未来である。このころの「未来の」という枕詞がつくイラストでは、小松崎茂、長岡秀三(星)、真鍋博たちがいた。こういった人たちの絵を飽きずに見ている子供だった。
 月面に植民地ができ、清潔な都市の上空を一人乗りの空飛ぶプラットホームに乗って自由に移動する。東京・大阪を3時間で走る弾丸列車が走り、四国を本州には夢の架け橋が完成して地続きとなる。
 このうち実現したのは、弾丸列車と夢の架け橋だ。小生も神戸人だから、夏の海水浴は手近な所で、須磨の海へよく行く。須磨の浜に座って西を見ると、明石海峡大橋が間近に見える。この光景が、昔見た「未来の日本」の「夢の架け橋」そのままだ。小生、いつも須磨に行くたびにこの光景を見て「未来」を感じるのである。明石海峡大橋や新幹線は現代では未来でもなんでもない。ところが、須磨の海岸から見る明石海峡大橋はなぜか「未来」に見えるのである。
 こういう「未来」だとか「宇宙」だとか「ロケット」だとか「ロボット」だとかいうものが大好きな少年だった小生は、絵を見るだけではなく、そういう言葉が使われているお話を読むようになった。
 そのころの学習誌。「時代」「コース」「友」といった学年別学習誌である。それに付録が付いていた。その付録に小さな本があって、それらの本に子供向けにアレンジした小説が載っていた。その本をパラパラめくると、上記の小生が大好きな言葉がチラチラ出てくる。読んでみた。ものすごく面白かった。そして、それらの小説が「空想科学小説」と呼ばれることを知ったのである。
 この「空想科学小説」が、「SF」というローマ字2文字で表記されるジャンルであることを知ったのは、小生が高校生になってから。ちなみに小生は、いまでも「空想科学小説」という呼称が好きだ。「SF」よりも「空想科学小説」の方がセンス・オブ・ワンダーがあり、ロマンがあるように思うのだ。
 かって探偵小説といわれていたミステリーは、推理小説は、松本清張に代表される社会的な色付けが濃くなり、探偵小説という呼称を使わなくなった時期があった。最近は、探偵小説という呼称を意識して使っている作家もいる。結構なことだと思う。SFもこれと同様な動きがでてこないものかと思う。
「空想科学小説」の復活を望む。昨年亡くなった、バリントン・J・ベイリーなどの、いわゆるワイドスクリーン・バロックの作家などが、まさしく空想科学小説の作家ではないのか。
 ともかく空想科学小説が大好きだった小生は、ある日書店で1冊の本を手にして、その本を一読、その世界に吸い込まれてしまった。それから40年以上、吸い込まれっぱなしである。小生は、たぶん一生吸い込まれたままであろう。
 1965年発行の「SF入門」出版社は早川書房で、編者はSFマガジン初代編集長福島正実。同名の本が2001年に、日本SF作家クラブ編で出たが、小生を40年以上昔に吸い込んだのは写真の本。元は真鍋博のカバーがついていたが紛失してしまった。
 ともかくこの本を繰り返し読んだ。 

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