雫石鉄也の
とつぜんブログ
西宮八園虎日記 9月29日
「女将久しぶり」
「あら、甚兵衛さん、久しぶりですね」
「お、玄白さん」
「あ、先にやってますよ」
「阪神、勝ちましたな」
「藤浪、みごと復活しましたな」
「それに大山の4番も大当たりですな」
「これで阪神も来期に向かってええ材料がでました」
「はい、藤浪がローテーション復帰、大山4番サードで固定」
「うん、ナバーロはひろいもんでしたな」
「はい、彼は来年も残ってもらいたいですな」
「大山、良かったですな。金本監督の薫陶が効いてきましたな。監督のえこひいきやなんてアホなこというとるのがおるけど、金本監督の慧眼でしょう」
「ワシもそう思います」
「あら、甚兵衛さん、久しぶりですね」
「お、玄白さん」
「あ、先にやってますよ」
「阪神、勝ちましたな」
「藤浪、みごと復活しましたな」
「それに大山の4番も大当たりですな」
「これで阪神も来期に向かってええ材料がでました」
「はい、藤浪がローテーション復帰、大山4番サードで固定」
「うん、ナバーロはひろいもんでしたな」
「はい、彼は来年も残ってもらいたいですな」
「大山、良かったですな。金本監督の薫陶が効いてきましたな。監督のえこひいきやなんてアホなこというとるのがおるけど、金本監督の慧眼でしょう」
「ワシもそう思います」
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とつぜんSFノート 第105回
真夏の京都は暑い。真夏はどこでも暑いが、京都の真夏は底意地の悪い暑さだ。星群祭は酔狂にもその真夏の京都で行われた。1984年、京都にも真夏はあった。そして、この年も星群祭はあった。
1984年7月15日第11回星群祭が行われた。会場はいつもの京大会館。う~む。阪神タイガース日本一の前年だ。テーマは「小説のことば」ゲストは石川英輔氏・風見潤氏・志賀隆生氏・柴野拓美氏・新戸雅章氏・巽孝之氏・安田均氏。
オープン制の前日合宿はこの時も行われた。東山の旅館「きのゑ」に70人で泊まりこんだ。創作教室、麻雀、夕食、酒盛り、自己紹介大会、深夜の女性3人による酒買出し事件、原稿書き、原稿督促、ゲーム、オークション、情報交換、ゴシップ交換、わる口交換、翌日の打ち合わせ、電話連絡、仕事いいつける、仕事いいつけられる、睡眠。と、楽しい一夜をすごしたのである。
さて、楽しい一夜が開け星群祭当日となった。二日酔頭をかかえて京大会館へ向かう。定刻の午前10時開会。開会宣言で椎原実行委員長が今回のテーマについて説明。
「物質の基本要素が原子であるように、小説の基本要素はことばである。小説というモノを考える時、このことばというモノを考える必要がある」
この第11回星群祭はパネルディスカッション形式で行われた。
パネルディスカッション1 翻訳家編
パネラー/柴野拓美氏、安田均氏、風見潤氏、桐山芳男氏、米村秀雄氏 司会/椎原豊氏
「作家と翻訳家はことばの見つけ方が違う。作家はそれでなくてはならないことばを見つける。翻訳家はいくつかの選択肢から選ぶ」
「原作を原語で読んだイメージを日本語で伝える」
「普通小説とSFでは訳す違いはある。SFにおけることばの特殊性はたくさんある」
パネルディスカッション2 編集者編
パネラー/柴野拓美氏、村上栄次氏、椎原豊氏 司会/信次秀郎氏
「小説の体をなしているかをまずチェック。その後アイデア、テーマを吟味する」
「あえて編集カラーは出さない」
「私の目にあったモノを通すから、おのずと編集カラーは出てくる」
「私の雑誌と違うカラーの作品が送られて来る時がある。どういう雑誌か投稿前に知るべきだ」
「文章を書く上で基本的なことを教えるのも編集者の仕事」
パネルディスカッション3 作家編
パネラー/石川英輔氏、石飛卓美氏、石坪光司氏、松本富雄氏 司会/村上栄次氏
「なぜSFを書くか」
「そこにSFがあったから」
「自分のイメージを全部伝えたいがムリがある。わりきった」
「別世界を書くのが好き」
「SFを書く時、特別なことばを使わないように気をつけている」
「特殊な状況を一般の人にもわかるように書くのも腕のみせどころ」
パネルディスカッション4 批評家編
パネラー/新戸雅章氏、信次秀郎氏、巽孝之氏、椎原豊氏、志賀隆生氏 司会/小浜徹也氏
「ファン創作を読むのは苦か楽か」
「批評を行う時はプロ、アマ区別しない」
「作品より作家を見るように心がけている」
「ファン創作の場合、まれに天才が現れる」
最後のプログラムは星群祭吉例。ノベルズ批評。事前に参加者、ゲスト全員に配布された星群ノベルズ№9「光の賢者」を俎上に上げて、ゲスト諸氏より忌憚のない厳しい批評が加えられる。なお、この№9掲載の石飛卓美「ミネルヴァの森話」はSFアドベンチャーに転載。ファンジン大賞創作部門受賞を受賞した。
このころの星群ノベルズはSF作家への登竜門としての役割を果たしていた。
1980年.星群ノベルズ№5「塔とう名の箱舟」石坪光司「塔-75」SFアドベンチャーに転載。菅浩江「ブルーフライト」SF宝石に転載。
1983年、星群ノベルズ№8「伝説・永劫都市」虚青裕「影に満ちる領主の星」SFアドベンチャーに転載。
星群祭というイベントも日本のSFにある程度の貢献を果たしたといえよう。
1984年7月15日第11回星群祭が行われた。会場はいつもの京大会館。う~む。阪神タイガース日本一の前年だ。テーマは「小説のことば」ゲストは石川英輔氏・風見潤氏・志賀隆生氏・柴野拓美氏・新戸雅章氏・巽孝之氏・安田均氏。
オープン制の前日合宿はこの時も行われた。東山の旅館「きのゑ」に70人で泊まりこんだ。創作教室、麻雀、夕食、酒盛り、自己紹介大会、深夜の女性3人による酒買出し事件、原稿書き、原稿督促、ゲーム、オークション、情報交換、ゴシップ交換、わる口交換、翌日の打ち合わせ、電話連絡、仕事いいつける、仕事いいつけられる、睡眠。と、楽しい一夜をすごしたのである。
さて、楽しい一夜が開け星群祭当日となった。二日酔頭をかかえて京大会館へ向かう。定刻の午前10時開会。開会宣言で椎原実行委員長が今回のテーマについて説明。
「物質の基本要素が原子であるように、小説の基本要素はことばである。小説というモノを考える時、このことばというモノを考える必要がある」
この第11回星群祭はパネルディスカッション形式で行われた。
パネルディスカッション1 翻訳家編
パネラー/柴野拓美氏、安田均氏、風見潤氏、桐山芳男氏、米村秀雄氏 司会/椎原豊氏
「作家と翻訳家はことばの見つけ方が違う。作家はそれでなくてはならないことばを見つける。翻訳家はいくつかの選択肢から選ぶ」
「原作を原語で読んだイメージを日本語で伝える」
「普通小説とSFでは訳す違いはある。SFにおけることばの特殊性はたくさんある」
パネルディスカッション2 編集者編
パネラー/柴野拓美氏、村上栄次氏、椎原豊氏 司会/信次秀郎氏
「小説の体をなしているかをまずチェック。その後アイデア、テーマを吟味する」
「あえて編集カラーは出さない」
「私の目にあったモノを通すから、おのずと編集カラーは出てくる」
「私の雑誌と違うカラーの作品が送られて来る時がある。どういう雑誌か投稿前に知るべきだ」
「文章を書く上で基本的なことを教えるのも編集者の仕事」
パネルディスカッション3 作家編
パネラー/石川英輔氏、石飛卓美氏、石坪光司氏、松本富雄氏 司会/村上栄次氏
「なぜSFを書くか」
「そこにSFがあったから」
「自分のイメージを全部伝えたいがムリがある。わりきった」
「別世界を書くのが好き」
「SFを書く時、特別なことばを使わないように気をつけている」
「特殊な状況を一般の人にもわかるように書くのも腕のみせどころ」
パネルディスカッション4 批評家編
パネラー/新戸雅章氏、信次秀郎氏、巽孝之氏、椎原豊氏、志賀隆生氏 司会/小浜徹也氏
「ファン創作を読むのは苦か楽か」
「批評を行う時はプロ、アマ区別しない」
「作品より作家を見るように心がけている」
「ファン創作の場合、まれに天才が現れる」
最後のプログラムは星群祭吉例。ノベルズ批評。事前に参加者、ゲスト全員に配布された星群ノベルズ№9「光の賢者」を俎上に上げて、ゲスト諸氏より忌憚のない厳しい批評が加えられる。なお、この№9掲載の石飛卓美「ミネルヴァの森話」はSFアドベンチャーに転載。ファンジン大賞創作部門受賞を受賞した。
このころの星群ノベルズはSF作家への登竜門としての役割を果たしていた。
1980年.星群ノベルズ№5「塔とう名の箱舟」石坪光司「塔-75」SFアドベンチャーに転載。菅浩江「ブルーフライト」SF宝石に転載。
1983年、星群ノベルズ№8「伝説・永劫都市」虚青裕「影に満ちる領主の星」SFアドベンチャーに転載。
星群祭というイベントも日本のSFにある程度の貢献を果たしたといえよう。
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