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幻の巨魚クレタロウ

 「見たぞ。ウワサどおりやった。そうさな、二メートルを超えておったぞ」
 酔いも手伝って、少々、興奮ぎみにしゃべる。この男は、この宿に滞在して四日目。一週間の休暇を取っているから、あと三日はがんばれる。
「ほう、そうか。あんた、どんな仕掛けだ」 横で聞いていた、ひげづらの男が声をかけた。
「ちょっと見せてくれ」
「これだ」
「これじゃあかんぞ。ワシはこんな仕掛けを用意したぞ」
 ひげづら男が見せた仕掛けは、酔ってる男の仕掛けよりはるかに大きく頑丈そうだ。
「先月、和歌山でクエを釣った時の仕掛けだ」「いくらでかいといってもヤツは淡水魚やで、こんな磯釣り用の仕掛けで大丈夫かな」
「まあ、いけるんとちゃうか。あいつ相手じゃ、これぐらいの仕掛けじゃないともたんやろ」
「かもしれんけど、それじゃ、そもそも食いついてくれんのじゃないか」
「そうかなあ。うん、それじゃ賭けようか。ワシとあんたとどっちがヤツを釣るか」
「よし、のった」
「あんたここに何泊してる」
「きょうで四日目や」
「ワシもだ」
「よし。負けた方が四日分の宿代をもつ」
「OKだ」
 二人の男はしばらく酒を酌み交わし、ベッドに入った。二人とも滞在予定が一週間となっていて、アルコールの消費量も多い。あと三日はこの宿に滞在するだろう。二人とも、宿にとってはありがたい客だ。
 定員 十二名の小さな民宿だが、三年前の開業いらい満室状態が続いている。空き部屋が二日と続いたことがない。さっきの男二人が出たあとも、予約が入っている。

「みなさん、そろいましたな。さて、始めますか」
 議長役の住職が上座に座り、口を開いた。「きょうは、なんの話だ。住職」
「東京のテレビ局から取材の依頼や」
「ほう。どんな番組だ」
「これが企画書だそうだ」
 住職がA4の紙が十枚ほど綴じられた書類をテーブルの上に置いた。表紙に「神秘の湖『木暮湖』に幻の巨魚を追う」と書かれていた。
「この幻の巨魚というのは、クレタロウのことだろう」
「あたりまえだ」
「で、住職、どんなんだ」
「なにが」
「どんな番組なんだ」
「うん。企画書を読んでもらえば判ると思うが民放のバラエティだ。クレタロウをネタにおもしろおかしく紹介するつもりらしい」
「ふうん。ま、ようするに村としてどうするかだな」
「そうだ。連中が湖をネタに番組をつくることは、われわれとしては拒否できん」
「しかし、魚をかってに捕ることはできんぞ。小暮湖の漁業権はウチの漁協が持ってんだからな」
「住職、ようするにだ、そのテレビ局の企画に協力するか、知らん顔するかだな」
「そうだ」
「何人ぐらい来るんだ」
「二〇人」
「どれぐらいここにいるんだ」
「約一ヶ月」
「二〇人が一ヶ月ここに滞在するんだな」
「そういうことだな」
「魅力的な話だな」
「確かに魅力的ではあるがクレタロウを取材させるワケにはいかんな」

 H県S郡小暮村。人工は三〇〇〇人ほど。H県の山間部。ご多分にもれず過疎の村である。産業といえば小規模な農業と漁業。この小暮村の中央部に小暮湖がある。この小暮湖が小暮村のメシのタネだ。魚影は濃くマスやコイ、フナ、モロコなどが豊富に生息している。
 この小暮湖で特筆すべきことは、外来魚が一匹もいないということ。
 他県の湖ではブラックバスを放流してバスフィッシングの客を積極的に呼んでいる所もあるが、日本固有の生態系を破壊するのはやってはいけないとの認識を小暮村は持っている。バスプロなどとバスフィッシングで食ってる連中もいるが、かような輩を村内には入れたくないわけだ。
 漁協が厳重に湖の周辺を見張り、密放流は絶対に許さない。こういう小暮漁協の努力によって小暮湖には、ブラックバスやブルーギルといった外来魚はまったくいない。
 山あいの過疎の村だが小暮村を訪れる人は少数ながらいる。外来魚に邪魔されず、日本の在来種の魚をぞんぶんに釣れる。この村は釣り人の間では知る人ぞ知る土地なのである。その釣り人の落とす金が村の貴重な収入源なのだ。その釣り人の数が最近減ってきた。

 最初は中国の巨大淡水魚ソウギョではないかといわれていた。漁協の厳重な監視を逃れて密放流されたのではないか。ところが小暮湖の水草に異変はない。ソウギョは草食で水草を食害する。小暮湖は小さな湖だ。そこに二メートルを超そうかとういう巨大なソウギョがいれば、湖の水草にはなんらかの異変があるはずだ。
 小暮湖の巨大魚はだれいうこともなく、クレタロウと呼ばれた。
 ある釣り雑誌に紹介された。最初は小さなコラムだった。記事の末尾に(小)との記述があった。執筆者はだれか不明。この雑誌の編集部に小暮村出身者がいたことは確かだ。(小)とはその編集者ではない。
 噂は釣り人たちの間であっという間に広がった。小暮湖に幻の巨大魚がいる。
 日本最大の淡水魚イトウではないか。イトウはかっては岩手や青森の水系で生息していたが絶滅した。いまは北海道のごく一部で生息していて絶滅危惧種である。そのイトウが北海道ではなく本州の小暮湖で生息している。それが確認できれば大発見である。

 小暮村を訪れる釣り人が増えてきた。その釣り人たちの目的はただ一つ。「クレタロウ」を釣る。
 東京からテレビ局の取材チームがやって来た。撮影機材など積んだ番組取材用車両五台を連ねた大部隊である
 あの時の会議は紛糾した。結局、テレビ局には協力することになった。
 小暮村や小暮湖がテレビで紹介されるのはうれしい。しかし、クレタロウの映像を放送されるのは、非常にまずい。クレタロウはあくまで「幻の巨大魚」でなければならない。
 取材には協力するが、クレタロウの正体は詮索しないで欲しい。これが村の意向である。
「たいへんだ」
「どうした」
「あいつら魚群探知機まで持ってきてるぞ」
「そうか」
「ああ、村長だ。組合長はいるか」
「そうだ。魚群探知機。魚探を使うつもりだ」
「はい。うん。そうか」
「魚を捕るには、地元漁協のOKがいるが、魚探で湖の中を覗くだけなら、漁協としても止められないそうだ」
 クレタロウの水中映像を撮られ、それがテレビで放送される。かような事態は村として、なんとしてでもさけたい。
「『いいんじゃないんですか。クレタロウの映像がテレビで流れる。そんな魚をぜひ釣りたいと釣り人がおしかけるじゃないですか』と、テレビ局のヤツがゆうとる」
「それも一理ある」
 小暮村のはずれにある古刹ずく念寺。この寺の本堂が、実質、この村の村会会議場といっていい。いちおう村会議場はあるが、老朽化がひどく、立て替えの予算もない。
 なにか事が有ると、村会議員(といっても、ほとんど無投票で決まる)たちが、ずく念寺の本堂に集まって鳩首会議をする。
「いいか。クレタロウはいるんだ。確かに小暮湖にクレタロウは生息している。影は見える。しかしだれもクレタロウを釣ることはできない」
 議長の住職が結論をいった。
「わかった。で、具体的にこれから何をすればいいんだ和尚」
「それを今から考えるんだ」

「と、いうわけでわが神戸釣行会の今度の遠征は小暮湖ということに決まりました。いいですね」
「賛成。会長、あんたも昨日のテレビ見たんだろ」
「もちろん見た」
「で、もちろん狙いはクレタロウだな」
「あたりまえ。会の積立金からクレタロウを釣った人に十万の賞金をだそうと思うが」
「賛成」
「おかしいなあ。確かに手ごたえがあったのに」
「結局、賞金はだれももらえずだな」
「しかし、なぜかベニヤ板の切れっ端ばかり針に引っかかったのはなぜだろう」
 小暮湖の幻の巨魚クレタロウはだれにも釣れない。  
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