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とつぜん上方落語 第26回 禁酒関所

 酒がもとで家臣同士がケンカ。一方が斬り殺され、もう一方は責任をとって切腹。酒のため大切な家臣を二人も失った。殿様から、これより、わが家中にて飲酒は禁じるとのおふれ。
 かようなお達しではあるが、飲みたい人はがまんできぬ。家中一番の大酒飲みの松本という武士。なじみの酒屋に酒を一升届けてまいれ。酒代のほか1両出す。
 酒屋、松本の役宅に酒を届けようとする。関所を通らなければならない。水かすていら、だとか油だとかいってごまかそうとするが、役目がらあらためるといって関所の役人に酒を飲まれてしまう。頭にきた酒屋、小便といって、酒ではなくほんとうに小便を一升徳利に入れてもっていった。役人は役目がらあらためるといって小便を口に。
 これを国中でやったアホな国がアメリカ。宗教上の理由や酒は身体と精神を蝕むなどといって1920年から1933年禁酒法が施行された。この間、アメリカでは飲酒は違法行為となった。過激な禁酒運動家にキャリー・ネイションというおばさんがいる。片手に聖書片手にマサカリを持って酒場に乱入、そこにある酒瓶を叩き壊すといったパフォーマンスを繰り広げた。
 法律で禁じられても松本の旦那みたいな人はいるもので、いろいろ工夫して酒を飲んでいた。スコッチのラフロイグなどは独特のピート香がするから、これは薬品である。薬だといってアメリカに持ち込まれていたとか。バッファロートレースなどバーボンは薬用といって製造が認められていた。ノブクリークというバーボンは禁酒法時代の瓶のデザインを今も残している。
 この禁酒法でいちばんもうかったのはアル・カポネたちマフィア。密造酒で大もうけ。この法律けっきょくヤクザを太らせただけであった。
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