goo

長い春闘の思い出

 もうすぐ春である。春といえば、最近、存在感はうすれたが、春闘である。小生、以前いたK電気では、労働組合の副委員長をやっていた。いつの春闘だったかな。93春闘だったかな。ずいぶん長期の春闘をやったことがあった。3月に要求書を会社に提出し、それから毎日のように団交を重ねるが、なかなか妥結にいたらない。6月になってやっと妥結した。
 組合側の主席交渉委員は副委員長の小生。会社側の主席交渉委員は常務。K電気の春闘はいつも主席交渉委員は副委員長と常務が務める。委員長と社長は、最終局面になってトップ交渉が必要になった時に出てくる。
 なにでそんなにもめたのか、さだかな記憶がない。たいへんであったことは鮮明に覚えている。毎日深夜までの団交であった。団交が終わるとすぐ、ビラの原稿を書く。原稿は小生が書いていた。それが終わって帰宅は深夜になることも。電車がなくなることもあるので車で通勤してた。翌日、昼休みにプリントゴッコでビラを印刷。終業後、組合集会でビラを配り昨夜の団交の報告。それから団交。これが毎日。日中は通常の業務をしながらである。さすがに、これではあまりにたいへんということで、組合の執行委員は春闘中は休職扱いとし、組合専従としようかという意見も出た。そうなると給料は会社からではなく組合から出る。
 5月になってなんとか妥結の方向が見えてきた。このころ副委員長の小生と常務は主席交渉委員どうし、二人だけでたびたび会っていた。会社からも組合からも秘密の会合である。いわゆる水面下の交渉というやつである。ここで二人で組合会社双方とも歩み寄れる線を見出した。
 問題は、この線をどういうタイミングで双方に切り出して、一気に妥結に持っていくかだ。最終的には双方のトップ委員長と社長のOKが必要。社長は無能で無責任な人物で、常務が責任を持って説得する。問題は委員長。この時の委員長は石頭で頑固な人物であった。無能と石頭の間に入って小生と常務は苦労したわけ。
 委員長が1日だけ出張した。委員長不在。宿泊先のホテルに、こういう内容で妥結しますよと電話。委員長のOKを取った。直ちに会社に団交を要求。妥結となった。小生と常務が握手したのは深夜の1時ごろであった。
 深夜の阪神高速を神戸に向けて走らすインテグラのドライバーズシートで、大きな仕事を成し遂げた満足感に浸っていたのである。この時のドライブは実に爽快なドライブであった。
 この時に春闘はさすがに小生にとって大きなストレスとなっていたらしい。妥結して通常の日々となったある日。とつぜんの下血。胃から出血である。ストレスは小生の胃に大きな穴を開けた。中央市民病院に入院した。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )