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とつぜんSFノート 第69回

 SFファンなる人種は、他の文芸のファン諸賢に比べて、群れ集うことが好きなようである。これは日本のSFファンだけではなく、外国のSFファンも同じ。大は世界規模の「世界SF大会」小は同人誌の合宿まで。地球上のSFファンはなにかというと、集まってワイワイ騒ぎたがる。
 小生は独身のころ、文化住宅の一室を借りて1人暮らしをしていた。で、毎週土曜日日曜日ともなると、近郷近在のSFファンどもが小生の部屋にやって来る。もちろん連中は泊まっていく。夜中までワイワイ騒いでいるから、文化住宅の管理人によく叱られた。「ここは山の中の一軒家ではありません」で、それならばというんで、本当に山の中の一軒家を借りて、思う存分大騒ぎをしたことがあった。1985年、神戸で第11回SFフェスティバルが開催された。実行委員長は不肖私がおおせつかったが、その時の合宿所が摩耶ロッジだった。摩耶ロッジを一軒丸ごと借り切って、200名を超えるSFファンどもが夏の夜一晩大騒ぎしたのである。日本冒険小説協会会長の内藤陳さんは本大会も来られる予定だったが、よんどころない事情で合宿だけでも、と義理堅い方である。この写真はその時のもの。
 この時もそうだったし、SF大会などSFのイベントは、本大会もさることながら、ほんとうに楽しいのは合宿である。終電や明日の会社を気にすることなく、同好の士と一晩飲めや歌えやの大騒ぎ。こんな楽しいことはない。
 その合宿に特化したイベントがある。毎年、出雲で行われている。雲魂(うんこん)である。最後の「ん」をとばさないように。SFのコンベンションは愛称に「コン」とつくことがよくある。大阪でSF大会をやれば、大阪の大(だい)に「コン」をつけて「ダイコン」神戸のSF大会なら神(しん)にコンでシンコンというぐあい。で、出雲の雲にコン、コンに漢字を当てはめて雲魂(うんこん)ということだ。
 このイベントの中心人物でかつ雲魂の名づけ親は、昨年惜しくも亡くなった畏友石飛卓美である。
 最近はごぶさただが、昔は毎年秋になると出雲に行った。愛車ホンダ・インテグラを駆って中国道を走る。三次インターで54号線に乗り換え。あとは9号線で出雲まで。大阪から出雲まで600キロを6時間で走るというムチャもした。「おかげさまブラザース」を聞きながら、お仲間とのドライブは楽しい。
 出雲に着くと、上半身裸にチェーンを巻いて、ビール缶片手の、できあがった石飛さんが迎えてくれる。あとは長時間ドライブの疲れもなんのその、飲めや歌えやのどんちゃん大宴会。翌日は二日酔い頭を振りたてて、松江城、島根ワイナリー、日御碕などの島根観光。もちろん松平不昧公のお膝元だから松江名物のおいしいものもいただく。とはいいつつも貧乏なSFファンだから宍道湖の七珍」なんでぜいたくなものは食べない。「ぼてぼて茶」ぐらいは食べた。もちろん出雲そばもいただく。
 ある年、なつかしのフォーク大会というのをやった。一部屋に集まって60年代70年代のフォークソングを大合唱。フォーククルセダース、高石とも也、岡林信康。「友よ~」「あのすばらしい愛をもういちど」「イムジン川水清く」
ギターは石飛さんが弾いた。そこにいるのはみんな同世代。一晩歌いつくした。燃えつきた。真っ白になった。快感。いやあ楽しかった。
 若いころの楽しい思い出である。石飛さんももういない。あの世でまたアレをしましょう。石飛さん。楽しかったね。
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