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阪神、ギリシャ中日に負けて首位陥落

 きょうは今年の阪神の2大得意ワザがでたな。チャンスであと1本出えへん。好投するピッチャーを見殺し。
 せっかく岩田が失点1におさえとうのに、リリーフに立った歳内が2失点。いっこもリリーフになってへんやんか。
 打線はきょうの天気みたいに湿って0点。セリーグ最下位で借金まみれのセリーグのギリシャともいえる中日に負けてどうする。巨人が勝ったから、ヤツらが首位になったやないの。
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とつぜんコラム №167 憲法とはどういうタチのものか

日本は法治国家である。この日本の国土に住まうすべての人は、日本の国会で創られた法律に従わなければならない。法律から外れたことをすると処罰される。また、この国の活動は野放図に行われているわけではない。法律によってコントロールされている。
 そのすべて法律の基盤となっているのが憲法である。この国の法律はすべて、日本国憲法で定められたワクの中に納まるはず。このワクからはみ出すと違憲ということになり許されない。だから、日本国憲法は日本の背骨といっていいだろう。
 保守、この言葉を素直に読むと、旧来のやり方を踏襲すること。革新、同じく、旧来のやり方を変えて、新しいやり方を模索する。と、いってもいいと思う。で、このこと考えると、保守に分類してもいい人たちは、現行憲法を守っていこうという人たち、革新に分類される人たちは、現行憲法を変えたがっている人たち。保守革新という言葉を素直に解釈すればそういうことになる。
 ところが、日本では奇妙な現象が起こっている。保守に分類される人たちが憲法を変えたがっている。革新に分類される人たちが憲法を護りたがっている。
保守の人たち(首相の安倍さんもこの中にはいるだろう)は、現行の憲法は保守的でないと考えているのだろう。憲法は保守的でない。旧来のやり方をまもれない。では、旧来のやり方とは何か。今の憲法は戦後に創られた。そのことを考えると戦前のやり方。つまり旧日本帝国憲法に戻したいというのが本音ではないだろうか。普通に軍隊を持ち、普通に戦争できる憲法に戻したいとお考えではないのか。ところが、現行憲法では軍隊を持てない。そこで安倍さんたちは、必死になって憲法の条文を拡大解釈して日本が、普通に戦争ができる国にしたいのだろう。そしてゆくゆくは憲法改正と行きたいのだろう。
そもそも憲法は、法律にワクをはめるものだ。法律を作るのなら、このワク内で作りなさいよ、というタチのものだろう。立法にたずさわる者は、憲法という物差しを常に持って、法律を作るさいには、ことあるごとに、その物差しで計って、逸脱してないか、物差しを正しい使い方をしで寸法を測っているか、常に心して仕事をしなくてはならない。だから、憲法は法律を作る人たちにワクをはめるモノだ。法律を作る人たち、つまり権力を持っている人たちだ。憲法というワクは国民ではなく、権力者に向けられたワクなのである。
 安倍さんたちがやっていることを見ると、憲法というワクが小さい。ワクからはみ出している部分は、みなさんにははみ出しているように見えるが、私の解釈でははみ出してない。ということ。ごまかし目くらましといわれても致し方ないだろう。こういう姑息なことをやらずに、ワクが気にくわないのなら、ワクを変えますよと、国民にはっきりいうべきだ。
憲法を変える。この意志は、どうも権力者側の人たちに強いようだ。これもおかしな話だ。自分たちをコントロールしているワクが気に入らない。だから変える。この国の主人は国民である。本来は憲法を変える意志は国民から発してしかるべきであると考える。ところが国民市民のサイドから、憲法を変えようという声は、寡聞にして聞かない。国民サイドよりも権力サイドの方が、憲法を変えようという声が大きい。おかしな話である。自分たちをコントロールしているワクを、自分たちが変えようという。もちろん憲法といえども絶対に変えてはならないモノではない。憲法改正論議は自由に行うべきだ。ただ、その声が上がったのが国民ではなく、権力者に方であることに違和感を感じる。 
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