雫石鉄也の
とつぜんブログ
とつぜんコラム№120 いちSFファンが見た小松左京
小松左京が亡くなって1週間が過ぎた。公表されたのは7月28日だが、亡くなったのは26日だ。今日で初七日ということになる。小松さんのお友だちの桂米朝師匠の「地獄八景亡者戯」によれば、もう少しで三途の川といったところか。あの巨体をゆすって閻魔の庁に向かって歩いておられるころだ。小松さんなら、生半可な閻魔なら、その知識量で圧倒してしまうだろう。極楽か地獄かどちらかに行かれるわけだが、その功績を考えると、極楽行きが自然だが、小松さんには地獄に行ってもらった方が面白そうだ。万博、花博と博覧会のプロデュースが経験豊富な小松さん、ぜひ地獄で博覧会をやってもらいたい。各民族、各宗教によって様々な地獄がある。世界の地獄を一同に集めて、小松さんプロデュースのもと世界地獄博覧会を開催してもらうのだ。面白そうだ。いずれ小生もそっちへ行くのだから、地獄博覧会、獄博にはぜひ行ってみたい。
小生が初めて、ナマの小松さんと遭遇したのは、確か1975年、名古屋で開催されたSFフェスティバルだった。合宿でのことだ。小松さん、星さん、矢野さんたちが車座になって酒宴をやっておられる。私たちファンもその輪に混ぜてもらえた。昔は、作家とファンの距離は近かった。イベントがあると作家ファンとりまぜてよく酒を飲んだ。この時は小生の記憶に間違いがなければ、ペンネームを誰かに襲名させたらどうかという話になっていた。2代目小松左京、2代目星新一をだれにさせよかとかいう話をしておられた。
小松さんは関西の文化の下支えに熱心だった。大阪フィルハーモニー・オーケストラの支援もやっておられた。その一環として、「大フィル祭」というイベントの開催に尽力された。縁あって小生もお手伝いさせていただいた。この時に声をかけていただいたのが、小生が小松さんと言葉を交わした最初だった。
その後、小松さんは小生たち星群の会が主催する星群祭に2回来ていただいた。小松さんと星さんの両方に来てもらったこともあった。その時は、右に星新一、左に小松左京という、恐ろしいような、贅沢なような情況で酒を飲んだこともあった。
小松さんたち日本SF第1世代の諸先輩方が出てくる以前は、日本の文学は、主流であった私小説に見られるように、人間一人一人個人個人の「個」を「個」として描く文学であった。個人の生活、個人の考え、個人の悩み、個人の人生を描いていた。その「個人」は、作家にとって最も表現しやすく、かつ最も興味深い対象は自分自身であったのだろう。だから私小説なのだ。SFは違う。「にゅーうぇーぶ」なる異端児はいたが、SFが描くのは「個人」ではなく「世界」なのだ。
小松左京は「個人」の集合たる「国」なり「世界」を、一個のキャラクターを扱うがごとく、人間の集合体に見事にキャラを付与した、日本では稀有な作家ではないか。
「日本沈没」では地殻変動によって日本列島が急速に海に沈む。こういう絶対に逃れられない危機を、日本人という集団に与えることによって、日本人とは何者であったかを描こうとした作品だ。沈没のメカニズムが説得力があるがために、地球物理学を基盤としたハードSFとしての評価が高いが、小松さんが本当に書きたかったのは、日本列島を取り上げられた日本人を描きたかったのだろう。小松さんは日本という人間の集合体に、キャラを与えたのだ。
「復活の日」も同じ。新型インフルエンザが蔓延。人類絶滅という情況を描くことによって、「人類」にキャラを与えた。作中の中ごろにヘルシンキ大学文明史担当ユージン・スミルノフ教授が、ラジオを通じて、ひょっとするとだれも聞いていないかも知れない最後の講義を行う。小松さんは、この作品でいいたかったことを、スミルノフ教授にいわせている。もし「復活の日」が未読で、全巻を通読する時間のない方は、ぜひこのスミルノフ教授の部分だけでもお読みいただきたい。このスミルノフ教授によって、人類は見事にキャラが立ったのである。
小松左京は、人に、国に、世界に、宇宙に、時間に、キャラクターを付与した作家だった。こんなことはSFにしかできない芸当だ。小松左京はSFの効用を最大限活用した作家だった。
小生が初めて、ナマの小松さんと遭遇したのは、確か1975年、名古屋で開催されたSFフェスティバルだった。合宿でのことだ。小松さん、星さん、矢野さんたちが車座になって酒宴をやっておられる。私たちファンもその輪に混ぜてもらえた。昔は、作家とファンの距離は近かった。イベントがあると作家ファンとりまぜてよく酒を飲んだ。この時は小生の記憶に間違いがなければ、ペンネームを誰かに襲名させたらどうかという話になっていた。2代目小松左京、2代目星新一をだれにさせよかとかいう話をしておられた。
小松さんは関西の文化の下支えに熱心だった。大阪フィルハーモニー・オーケストラの支援もやっておられた。その一環として、「大フィル祭」というイベントの開催に尽力された。縁あって小生もお手伝いさせていただいた。この時に声をかけていただいたのが、小生が小松さんと言葉を交わした最初だった。
その後、小松さんは小生たち星群の会が主催する星群祭に2回来ていただいた。小松さんと星さんの両方に来てもらったこともあった。その時は、右に星新一、左に小松左京という、恐ろしいような、贅沢なような情況で酒を飲んだこともあった。
小松さんたち日本SF第1世代の諸先輩方が出てくる以前は、日本の文学は、主流であった私小説に見られるように、人間一人一人個人個人の「個」を「個」として描く文学であった。個人の生活、個人の考え、個人の悩み、個人の人生を描いていた。その「個人」は、作家にとって最も表現しやすく、かつ最も興味深い対象は自分自身であったのだろう。だから私小説なのだ。SFは違う。「にゅーうぇーぶ」なる異端児はいたが、SFが描くのは「個人」ではなく「世界」なのだ。
小松左京は「個人」の集合たる「国」なり「世界」を、一個のキャラクターを扱うがごとく、人間の集合体に見事にキャラを付与した、日本では稀有な作家ではないか。
「日本沈没」では地殻変動によって日本列島が急速に海に沈む。こういう絶対に逃れられない危機を、日本人という集団に与えることによって、日本人とは何者であったかを描こうとした作品だ。沈没のメカニズムが説得力があるがために、地球物理学を基盤としたハードSFとしての評価が高いが、小松さんが本当に書きたかったのは、日本列島を取り上げられた日本人を描きたかったのだろう。小松さんは日本という人間の集合体に、キャラを与えたのだ。
「復活の日」も同じ。新型インフルエンザが蔓延。人類絶滅という情況を描くことによって、「人類」にキャラを与えた。作中の中ごろにヘルシンキ大学文明史担当ユージン・スミルノフ教授が、ラジオを通じて、ひょっとするとだれも聞いていないかも知れない最後の講義を行う。小松さんは、この作品でいいたかったことを、スミルノフ教授にいわせている。もし「復活の日」が未読で、全巻を通読する時間のない方は、ぜひこのスミルノフ教授の部分だけでもお読みいただきたい。このスミルノフ教授によって、人類は見事にキャラが立ったのである。
小松左京は、人に、国に、世界に、宇宙に、時間に、キャラクターを付与した作家だった。こんなことはSFにしかできない芸当だ。小松左京はSFの効用を最大限活用した作家だった。
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もひとつスカッとせん勝ち方やったけど、ま、ええか
さてさて長期ロードの1戦目。ここで巨人にスカッと3タテを喰わせて、勢いをつけて週末のヤクルト戦に臨みたいところや。
そんで、結論として勝つには勝ったけど、あんまりスカッとした勝ち方とちゃうな。巨人のミスで2点もろて勝ったんや。正直、このところの阪神の調子は100%とはいえん。けど、相手のチームがしょうもないミスをしてくれる。それが確実に点になる。今日もそやった。調子はようないけど運は持っとうな。えべっさんのご利益か。
今日の勝因の一番は巨人のミスやけど、阪神サイドの勝因の一番は能見の好投、というかそれしかあらへん。打線は打てん。2番手小林宏は高橋にホームラン打たれて1点差に詰め寄られよる。藤川はあわや同点ホームランかゆう大ファール打たれた。ヒヤッとさせられたけど、そこは、ま、藤川やからきっちりしめてくれたけど。もひとつモヤモヤの残る勝ち試合やった。
そんで、結論として勝つには勝ったけど、あんまりスカッとした勝ち方とちゃうな。巨人のミスで2点もろて勝ったんや。正直、このところの阪神の調子は100%とはいえん。けど、相手のチームがしょうもないミスをしてくれる。それが確実に点になる。今日もそやった。調子はようないけど運は持っとうな。えべっさんのご利益か。
今日の勝因の一番は巨人のミスやけど、阪神サイドの勝因の一番は能見の好投、というかそれしかあらへん。打線は打てん。2番手小林宏は高橋にホームラン打たれて1点差に詰め寄られよる。藤川はあわや同点ホームランかゆう大ファール打たれた。ヒヤッとさせられたけど、そこは、ま、藤川やからきっちりしめてくれたけど。もひとつモヤモヤの残る勝ち試合やった。
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