雫石鉄也の
とつぜんブログ
オーケストラ!
監督 ラデュ・ミヘイラアニュ
出演 アレクセイ・グシュコブ、メラニー・ロラン、ドミトリー・ナザロフ
小生はSFも好きだが、冒険小説も大好きだ。冒険小説にはいくつかのパターンがあるが、最も好きなのは「男の復権ドラマ」だ。かってはすご腕のプロであったが、なんらかの理由で仕事をやめ、落ちぶれている。ひょんなことから、昔の仕事をすることになる。どん底に落ち地獄を見た男が、仕事をすることにより、男としての矜持を取り戻す。
主人公アンドレイは中年のボリショイ劇場の掃除夫。いまは掃除夫に身をやつしているが、かっては天才指揮者といわれた男だ。ボリショイ交響楽団でタクトを振っていた。ところが、30年前ソ連ブレジネフ政権下、ユダヤ人は共産党政権の敵と見なされ排斥されていた。アンドレイたちユダヤ系の音楽家たちは楽団を追放され音楽を捨てた生活を送っていた。
ある日、アンドレイが劇場事務所を掃除している時にファクスが受信した。あたりにだれもいない。紙を見る。パリの劇場からだ。予定していたアメリカの楽団がキャンセル。急ぎボリショイ交響楽団を派遣してくれとのこと。
紙をポケットにしまいこんだアンドレイは30年前の仲間を集めて、ボリショイ交響楽団になりすましてパリに行くことを計画する。
なんと欲張りな映画であることか。「七人の侍」+「スウィングガールズ」+「砂の器」本作1本観れば、これだけの日本映画の名作の面白さを同時に味わえる。一粒で3度おいしい映画である。
アンドレイが昔の仲間を一人一人説得して、計画に加えていく様子は、「七人の侍」の前半、野党に襲われる村へ行く、侍を集めていく所の面白さだ。さんざん苦労して、最後の演奏でカタルシスを味わうのはもちろん「スウィングガールズ」その演奏とオーバーラップして、過去の随想シーンがはめ込まれ、親と子の「宿命」が感動的に描かれるのは、まさしく「砂の器」だ。
映画の前半は、仲間集めとパリ行きの準備。音楽とは縁を切ったかっての楽団員を、アンドレイと、最初に声をかけたチェロ奏者で救急車の運転手のサーシャの二人で回るのだが、7人ではなく55人だからたいへん。メンバーが集まっても、30年間楽器に触ってない。お金がない。楽器がない。パスポートがない。ビザが下りない。障害が山ほど。パリに着いても、本物のボリショイの支配人がパリに観光に来ている。見つかればばれる。一行のマネージャーで元KGBの男がなにやらおかしな動きを。なにせロシアの田舎もんばかりだからパリがめずらしく、リハーサルなんてしない。はたしてこれで演奏会ができるのか。ま、できると判っているけれども、三谷映画的なドタバタ右往左往で笑わせられる。
後半はうってかわって感動する。バイオリンのソリストは若手のスター、アンヌ・マリー・ジャケ。アンヌのマネージャー、ギレーヌとアンドレイは旧知の間柄。アンヌ、ギレーヌ、アンドレイ、この3人に関わる人物がいる。30年前アンドレイが指揮するボリショイ交響楽団にレアという天才的女性ソリストがいた。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲を憑かれたように演奏していた。アンヌに両親はいない。演奏が終れば両親と逢えるとアンドレイにいわれていた。ここなどは「砂の器」で丹波哲郎扮する今西刑事がいっていたセリフ「和賀はいま音楽の中で父親と逢っているんだ」を想い起こさせる。
紆余曲折があって演奏が始まった。曲はチャイコフスキーのバイオリン協奏曲。アンドレイは万感の想いを胸に30年ぶりにタクトを振るう。アンヌは両親に逢った。アンドレイは30年ぶりに背負っていた重い荷物を降ろした。
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8月になりました
8月になりました。毎日、暑い日が続いております、というのがこの時期の定番のあいさつですが、この8月の初旬は暑いのであたり前です。この時期に零下なん度という気温ですと、それはそれでえらいことであります。とはいいつつも、暑いのは暑いのであります。わたくし、暑いのには比較的、強いのですが、夜、寝る時は、アイスノンの氷枕に、クーラーという体制で寝ております。
朝方の涼しい時にはヒグラシが鳴いております。カナカナカナと涼やかな鳴き声は深山幽谷に身を置くがごとき心持ちとなり、涼風が吹きぬける感じがいたします。このヒグラシの声を聞くと、神戸に住まいおるありがたさを実感いたします。大都会でありながら、六甲山の緑が近いから、ヒグラシのごときセミが飛んで来るのでしょう。クマゼミばかりですと、暑さがつのるばかりです。
セミといえば、お盆を過ぎて、8月も終わりに近くなると、ツクツクホウシが 鳴きだします。このセミが鳴くと、少年時代の心のうずきがよみがえります。ツクツクホウシが鳴きだした、夏休みも残り少ない。まったく宿題をやっていないのであります。ツクツクホウシが鳴くと、夏休みの残りの少なさに嘆くばかりの、少年時代を想い出すのであります。
朝方の涼しい時にはヒグラシが鳴いております。カナカナカナと涼やかな鳴き声は深山幽谷に身を置くがごとき心持ちとなり、涼風が吹きぬける感じがいたします。このヒグラシの声を聞くと、神戸に住まいおるありがたさを実感いたします。大都会でありながら、六甲山の緑が近いから、ヒグラシのごときセミが飛んで来るのでしょう。クマゼミばかりですと、暑さがつのるばかりです。
セミといえば、お盆を過ぎて、8月も終わりに近くなると、ツクツクホウシが 鳴きだします。このセミが鳴くと、少年時代の心のうずきがよみがえります。ツクツクホウシが鳴きだした、夏休みも残り少ない。まったく宿題をやっていないのであります。ツクツクホウシが鳴くと、夏休みの残りの少なさに嘆くばかりの、少年時代を想い出すのであります。
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