goo

とつぜんリストラ風雪記 37

とつぜんリストラ風雪記 36
 
 30年ぶりにコブ屋に舞い戻った。仕事はとろろ昆布の製造。具体的には機械を使ってとろろ昆布を削る仕事。経験があるとはいえ、30年ぶりである。未経験と同じといっていい。
 とろろ昆布削りは100パーセント職人仕事。微妙な刃物の扱いしだいで、きれにも削れるし、汚くも削れる。本当は長年、経験を積んでやっと一人前の仕事ができる。

2005年9月12日(月)
 多忙な一日であった。朝、S昆布に出勤シュミレーションをする。場所はJR神戸駅を降りて10分ほど歩いたところ。8時始業だから、7時少し前に出れば間に合う。
 阪神で移動。AF社にて、ロッカーの私物を引き取る。大阪は天満橋に移動。AF社へ小生を派遣している派遣会社へ。退職の手続き。9月とはいえ暑い。
 午後は社会保険事務所へ。年金の任意継続の手続きを行う。帰りしなかかりつけの医院に立ち寄り血圧の薬をもらう。

9月14日(水)
 S昆布に初出勤。30年ぶりにとろろ昆布を削る。うまく削れるはずがない。10年ここでとろろ昆布を削っている人が教えてくれる。この人、Y氏は元漁師で、10年前に漁船を手放して神戸に来たそうな。水産学科出身の小生と話があう。Y氏は10年の経験があるのでさすがに上手く削る。ほんとは30年前に経験した小生の方が、歳は若いが先輩なのだが。
 この会社で、とろろ昆布の削りをやっているのは、このY氏と、小生が来る前にやっていた人の二人。その人も、小生同様、転職者で契約社員。その人が辞めて入れ替わりに小生が入社した。つまり10年の経験者と、契約の素人の二人で、この会社のとろろ昆布の製造がなされているわけ。あと、工場長が削れるけれど、彼も素人同然である。
 Y氏に異変があれば、とろろ昆布の製造はストップする。長い目で見て、一人前の職人を育てるべきだと思うが、S昆布の経営者は少々違う考えをしているようだ。小生の来る前の人も、その前の人も、あまりの薄給で辞めていった。会社は失業して職に飢えている中高年を、薄給の契約で雇用する。薄給に耐えかねて辞められても、小生のようなリストラ中高年が、ダボハゼのごとくすぐ釣れる。失業者は街にあふれている。替わりはいくらでもいる。

9月26日(月)
 研磨機が壊れたから、とろろ削りの仕事が出来なかった。1日中工場の掃除をしてすごす。
 削りの仕事は刃物が命。とろろ昆布削りの刃物(カンナという)は。削りの機械にかけて、5分も持たない。刃先の鋭さが命。5分に一度はカンナを交換しなくてはならない。そのため研磨済みのカンナを5.6枚は常に用意しておき、5分に一度交換する。機械から外したカンナはすぐ研磨機にかけて、刃先を鋭くして、アキタをかける。
 削りの機械を動かすと同時に、研磨機も作動させている。その研磨機が故障したから削りの仕事ができなかったというわけ。

9月27日(火)
 2週間経った。職場体験就労の期間が終了した。総務部長と話し合いを持つ。会社はOKということで、当方の意向を問う。月収はお話にならない。AF社と同程度の条件。時間給だから、1月、5月などの休みが多い月は、10万を切る。これではとても生活できない。ただ、AF社が派遣、S昆布は契約。契約社員の方が少しは安定しているかもしれない。ともかく、ここで働きながら、次の仕事を探す必要がある。

9月29日(木)
 阪神タイガースが優勝した。せめて阪神が優勝しないと、なあ~んも救われない。

10月5日(水)
 阪神VS横浜。阪神勝つ。下柳15勝目。最多勝おめでとう。鳥谷サヨナラヒット。下柳ズボンを上げながらベンチから出てきて、鳥谷を迎える。

10月6日(木)
 S昆布での昼食は更衣室で食う。食堂はあるが、パートのおばさんたちで満席で、男子社員4人は更衣室のベンチに座って食べる。机はない。小生は弁当持参で、他の3人は給食会社の弁当を食べていた、弁当箱を手で持って食べる。下に置くことはできない。薄暗い小汚い更衣室である。昼食ぐらいは、ゆっくり食べたいものだ。

11月25日(金)
 S昆布の契約社員となって2ヶ月が経った。とろろ昆布削りは難しい。うまく削れる時もあるし、そうでない時もある。なかなか安定しない。削りの機械の調整。アキタのかけ方。カンナの研磨ぐあい。材料の昆布ののせ前の状態。さまざまな要素がとろろ昆布の出来具合に関係する。
 小生は30年前に経験があったとはいえ、そのころとは機械も違うしやり方も違う。それに30年のブランクは大きい。実質の経験は2ヶ月である。常に半紙みたいなとろろ昆布は削れない。10年の経験のY氏も時々苦労している。
 小生たち削り職人の仕事に相手はパートのおばさんたちである。このおばさんたちがなかなかのクセ者であった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )