雫石鉄也の
とつぜんブログ
JR 明石
JR明石駅である。JRの神戸線をよく利用される方はご存知だと思うが、西の方に行く普通電車は「西明石行き」との行き先表示のある電車が多い。この明石駅は、その西明石のひとつ東の駅だ。この駅の方が明石市の中心部にある。
この駅のホームに立って北を見ればお城がある。明石城だ。駅前の道の向こうが城。駅からこんなに近い城は珍しいのではないか。ここは公園になっていて、桜の名所である。小生も何度か花見に来たことがある。
お城は駅の北側だが、南にも面白いところがある。この駅から南へ歩いて10分もかからない。すぐそこである。魚の棚商店街だ。水産物の街明石の象徴とともいうべき商店街。それが魚の棚商店街。
この商店街、可能ならば、お昼の12時過ぎに行くことをお勧めする。昼網といって、すぐそこの漁港で水揚げされたばかりの魚が、生きたまま店頭に並ぶ。
明石の鯛が、店頭でピチピチ飛び跳ねている。その横をこれまた明石のタコがくねくねうごめいている。小生、車を持っているころは、第2神明を飛ばして、ここに鯛やタコを買いに来た。鯛はもちろん刺身にする。アラはあら炊きだ。タコは刺身とタコ焼きだ。
もちろん明石焼き(現地では玉子焼きという)のお店もたくさんある。どこで食べてもおいしい。
明石、魚好きにとってはパラダイスな街だ。
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私は20代の頃、汗血馬やら野人やらノアの方舟やらを探しに行くために、東京佐川急便本社第三ターミナルの夜間作業員をやりました。
そこで前半戦(全国に発送する本線と、全国から来る荷を分けるローカル線と二つあり、これを前後に分ける)の持ち場は常に
明石便でした。
即戦力を求められるので、本線は常に経験者が投入される。
明石のドライバーはゲラゲラ笑いながら、
「ネッシーは見つかったか?」
「雪男は捕まえたか?」
と、帰郷を喜んでくれて、次いでに、
「いい加減に定職に着け」と苦言をしてくれましたっけ。
よく東京に送られてきた干物を荷抜きして、運河の脇で焼いて喰ったっけ。
行った事がないけど、明石は懐かしいのです(笑)
管理人さん、俺、もう神戸に行っても良いかな?
解体屋として神戸に行って、子供を抱えたまま亡くなったお母さんや、色々と辛いものを観ました。
観光気分で写真を撮る奴や、記者までボコった事があります。
てめえら人のやる事か?
また神戸に行ってみたい。
横溝記念館とか。
今の神戸が、あの時の悲しさを乗り越えている街な事を願います。
給水で、整然と並び、助け合った神戸の人たちを観たからかもしれません。
嫌な事も書くと、
給水車が間に合わず、泣き出してしまった御老人がいました。
わが社に雇われた若い警備員が、たまらず
自分の持ち水を分け与えた。
でも、現場責任者である私は叱責しました。
善人ぶるんじゃねえ!
お前が水を与えたら、お前が飲む分を、仲間や我々が調達しなければならなくなる。
「自分は我慢します!」
ふざけんな、脱水でフラフラのガードマンなんか役にたつか!
「私は請け負いで、責任を果たしてある以上、貴兄の命令は受ける必要がない!」
あろうが無かろうが、お前の補充がいつ到着するか解らない以上、現場責任者である
俺の命令に従え!
他人に頼るようならば、ここから出ていけ。お前の正義感で、現場が苦労する。
嫌な奴にならざる得ませんでした。
神戸は私にとって苦い思い出の街なのです。
既に悲鳴を上げる気力も無くなったか、それでも呻きが時々聞こえました。
ゼネコンの土木屋が支えを作り、その後で我々が解体・撤去をしてゆく。
道を開けた!
レスキューが突入する。医療が運ばれた患者にタッグを着けて行く。
色違いの札止。
ブラックの患者は死にかけているが、見向きもせずに明るい色の患者にナースやドクターは向かう。
暗色は「助かる見込みがない」から。
限られた人員と装備では、助かる者から優先されるから。
優しさは関係ない。
自衛官として災害出動の経験もある私ですが、あの時の神戸は戦場でした。
二度と経験したくありません。
大震災から20年。神戸は復興しました。
でも、あの大震災で私はこれだけの知人を亡くしました。
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/20c7771d95ffe3bba3f2b3775c3acf25
街は復興しても、亡くなった人は戻りません。でも、今の神戸は平安な、もとのきれいな街になりました。
アブダビさんが復興に尽力された神戸を見に来てやってください。
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