風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

凧揚げ

2014年01月07日 | 雑感
というわけで、今朝は惰眠を削り、冬休み中の娘を連れて公園で凧上げに行ってきました。
ちょうどいい具合の風が吹いていて、からりとした冬の青空にくるくる踊る凧。
通勤途中の人たちも物珍しそうに凧を見上げます。
娘は大はしゃぎで凧糸を持って走り回り、ついでに凧を木に引っかけてしまいました。
大きな梯子でもなければ取れそうにもありません。
しょんぼりする娘を自転車に乗せて帰宅し、七草粥を作って食べさせました。
最初はいやいや食べてましたが、次第にそのシンプルで少し苦い味に慣れたのか、お代りをしました。

そのまま娘を義父母の家に預け、店に出ます。
用もないのに定時前に店に出るのは初めてのことです。
街の背後に連なる山並みが眩しいです。

さて、店に着いて、何をしようかと考えます。
まだ営業時間までには間がありますから、何でもしようと思えばできます。
今までは朝はぎりぎりまで寝腐り、夜はスキさえあれば飲んでいましたから、
こういう前向きな時間はほんとうに久しぶりな感じがします。
コーヒーを淹れます。
PCを立ち上げます。
窓の外は青空です。

取り巻く状況は厳しいままで何も変わってはいないのですが、自分の行動と心境は変えられます。
今日の朝は今日の朝があり、明日の朝は明日の朝があるのでしょう。
どの朝も大切な朝であることは違いがありません。
自分の行動と心境さえ気持ち良ければ、どんな朝であろうが気持のよい朝を迎えることができるのでしょう。

満たされない心は破壊衝動を生みます。
その破壊の対象が他者に向かうのか、自分に向かうのかという違いがあるだけです。
本当はすべてがそのままで満たされているのだということはぼくは知っています。
ただ、日々に追われるあまり、そのことを忘れてしまいます。
忘れてしまいますと、忘れたままの空虚な心で、空虚な行動を重ねていきますから、
心が満たされないという虚構の心境に堕ちてしまいます。
意味なく酒を飲み、意味なく自分を責めさいなみ、意味なく布団の中に引き籠ります。

だから、時に追われてはいけません。
時を創っていかなければいけません。
時を創るとは、行動を、意識を、心を創っていくことにほかなりません。
それこそが創造主です。

どんなこともちっぽけなことというのはありません。
それをちっぽけと感じるちっぽけな心があるだけです。

明日の朝も頂いた新米を炊いて、美味しいみそ汁を作って娘と一緒に食べようと思います。