風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

入梅?

2012年06月08日 | 雑感

牛タン屋の営業を終えて、今これを書いています。
外は雨。
自転車で来たので、どうやって帰ろうか思案中です。

明日から道場の摂心が始まりますが、今回は参加できそうにありません。
それでも何とか時間をつくって何回かは道場に顔を出したいとは思っているのですが。
決して時間的に余裕があるから道場に行くとか行かないとかの問題ではないのですが、
物理的に身動きが取れません。
それもまた大切な修行なんでしょう。

そう言いながらも、滝に入りたい気持ちが強まっています。
何故だかは分かりませんが、心と身体がそれを求めます。
朝早く目覚めたらひょいと行ってこようと思っています。

生きることを修行と捉えているわけではもちろんありませんが、
修行ばかりしているような気がしないでもありません。
そういう過程も必要なのかなと思うばかりです。

ようやく本が読める頭に戻りつつあります。
とてつもなく貴重で深遠な言葉の数々が一冊の本に詰まっているのを改めて発見したりしています。
どんな言葉や人に出会い、どんな行為を選択していくのか。
これからは全ての人にとって、大きな岐路に差し掛かっているように思えてなりません。
どんな進路を選択するにせよ、選択したからには勇気を持って堂々と歩いたらいいんだと思います。
どちらが良いか悪いかなんていうのはどうでもいいです。
ただ他人の思惑ではなく、自分自身の意思で選択した道を突き進んだらいいんだと思います。
夢にも思わない風景に出会うかもしれませんし、予想通りの結末かもしれません。
それもどうでもいいです。
それを選択したのは自分自身なんだということが大切です。
その行程にしろ、結果にしろ、思う存分味わえばいいのだと思います。
それを味わって、美味しいと感じるのか、はたまたまずいと感じるのか、それも選択です。
素の心で選択し続けるしかないように思います。

素の心とはなにかといえば、要するに相対的評価に惑われる以前の本来的な自分の心。
歳を取ろうが、どういう境遇になろうが、変わらない心、変えようのない心。

その心が選択した道ならば、どんな行程であろうが、どんな結末であろうが、
無条件に受け入れようという気分になっています。
合理的な理由などクソ食らえとまでは言いませんが、重要度は極めて低いです。
合理的といいますが、何の理に叶っているのか、分けの分からないほうが多いです。

そんなわけで、雨は降り止みません。
牛タン屋の二階でお酒を飲み続けることにします。