風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

決算

2012年05月25日 | 雑感

涼しい日が続きます。
気候的には大変快適ではあるのですが、例によって決算の締切りが迫ってきました。
税理士事務所のSさんには大変申し訳ないのですが、今年もまたギリギリの提出になりそうです。
ひたすら入力の数日を覚悟しなければなりません。
大変憂鬱ですが、片付けないことには話になりません。
がんばります。

このところようやく頭が回り始めました。
言葉が浮かんでくるようになりました。
言葉というのは、言葉が言葉を引き連れてくるようなところがありまして、最初に発する一語が大切です。
「つまらない」という言葉を発すれば、愚痴や不平の言葉が次々と後に続くでしょうし、
「楽しい」という言葉を発すれば、感謝や思いやりの言葉が続くでしょう。

つい先日まではどんな言葉も浮かばない状態でしたので、それに続く言葉も生まれませんでした。
つまりは無思考状態です。
それでも人は日常を生きていけることに少しビックリしましたが。
数ヶ月一日の休みもなく働きづめでしたので、過酷な奴隷状態に近かったのかもしれません。
脳が麻痺するということは有り得ることを体感しました。

決算時期になると決まってそうなのですが、無性に他の何かをしたくなります。
脚本を書いてみたいだとか、禅のわかりやすい入門書を書いてみたいだとか、
要するに決算業務からの逃避を図るわけです(笑)。
決算時期を過ぎてしまえば、そのような欲望は跡形もなく消えてしまうのが通例ですから、
それが逃避行動であることはミエミエです。
まぁ、無意識に心のバランスを取ろうとムダにジタバタするわけです。

職場を二つ掛け持ちするというのは思った以上にストレスフルです。
片方の仕事が一段落しても、心が常にもう一方の仕事を抱えていますから、本当の意味での休息というものがありません。
ぼくの中に執念深く染み付いた怠け心が、悲鳴を上げっぱなしのここ数ヶ月でした。
でもなんとか一つの山場は越えることができたかなと思っています。
あとは速度を上げないと、いろいろな意味で持ちません。
タイムリミットつきの目標を掲げて、奮闘努力するというような時代ではないのですが、
今までの物理的精神的負債を払拭する糸口を今のうちにつけておかないと、軽々と飛翔することはかなわないでしょう。
この3次元世界を重苦しい牢獄と見るか、軽々と飛翔するワンダフルワールドと見るか、その分かれ目に立っています。

いわば、人生の決算書を提出するわけですね(←上手いことを言ったつもり)。
精神的な負債にしろ、物理的な負債にしろ、そこに不平不満や怒りや悲しみが累積しているか、
あるいは喜びや感謝が累積しているか、誤魔化しが利かないわけです。
その人生の決算書を誰に提出するのかといえば、自分自身に対してです。
自分自身に提出する決算書を、自分で誤魔化すことはできません。

ならば、人生の決算書が赤字なら何をしてもだめなのかといえば、そんなことは全然ありません。
本来、そんな決算書に縛られる必要もないことなのかもしれません。
明確に「意図」しさえすれば、人生はどうにでもなる、とぼくは思っています。
ただ、ぼくの場合、あまりにもその決算書がでたらめなので、そのでたらめさを放っておいたまま、
明確に、純真に「意図」することに向かえません。
簡単に言うと、後ろめたいのです。
しようと思えば少しは黒字に向けて動けるのだということを自分自身に対して証明しておきたいのです。

というわけで、現実の社会でも、精神世界でも、黒字化に向けて歩み続けようとしているわけです。
それほど赤字が累積していない人は、どんどん自由自在に明確な「意図」を持って、
リアルな「現実」に反映していったらいいと思います。
驚くほど簡単に、スピーディに、意図が現実に反映される時代になったと、本当にそう思います。

まぁ、人それぞれの段階と手法があります。
それがどの様な段階と手法であれ、「楽しむ」というのは忘れないようにしましょう。