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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その182 『松本城』 その3

2017年03月14日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
二ノ丸を太鼓門方面へ進み、内堀越しに見る黒門と大天守です。



松本城の特徴は二の丸、三の丸跡が残り、本丸を囲う本格的な内堀が残っていることです。
城全体を囲む外堀は大正時代から昭和にかけて埋め立てられ、現在は住宅地になっています。



この外堀を掘り起し、かつての広大な外堀を復元しようという松本市の計画があるとの話です。
実現できれば素晴らしいことですが、膨大な経費と年月がかかりそうです。



ここからの景色は周囲のビルがフレームからはずれるので、とてもいい雰囲気の写真になります。



本丸に入る正門の黒門で高麗門(二の門)です。
本丸防衛の要で、櫓門と内堀にはり出した外桝形からなり、櫓門(一の門)と高麗門(二の門)で構成されています。
平成元年11月、この門とこれに続く控塀(ひかえべい)がつくられ、枡形が復元されました。
この控塀には狭間(さま)が切られ、対岸の敵に備えて火縄銃で攻撃できるようになっています。
これより内側は有料となります。



本丸に入る最後の門、櫓門(一の門)です。
この門を入るとかつては本丸御殿がありました。
本丸御殿に通じる格調高い正式な門という意味で、当時の最高の色調である黒の名を冠して「黒門」と呼んだと考えられています。



甲冑武者がいました。
トッポパパも一緒に記念撮影をお願いしました。



大小、長短の石を組み合わせて積み上げ、角を整えています。
松本城の防衛の要になる門なので、立派な作りです。



甲冑姿の戦国武者や麗しい登久姫さまなど、国宝松本城おもてなし隊と記念撮影ができるので、海外からの観光客には大人気でした。



門の屋根を見上げると歴代城主の家紋の付いた軒丸瓦が見れます。
これは昭和25年~30年に行われた天守解体修理の際、まだ使える瓦を保存して再利用したからです。
その瓦を昭和35年、黒門一の門復興の折に使用したため、いろいろな城主の家紋の付いた軒丸瓦が見られます。



続く,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,。

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