グアムの最後の写真は、ゴルフ場とビーチの写真の紹介です。
写真の説明は不要でしょうから、グアムの地震体験をお話します。
トッポパパが家族で、グアムに遊びに行ったのは1993年です。
1993年8月8日午後6時35分、グアム島を襲った地震はマグニチュード8.1でした。
ちょうど、今日はちょっと贅沢な夕食をしようと、ホテル内の鉄板焼きレストランのカウンターに座り、ビールを飲もうとした時でした。
経験したことのないものすごい大きな横揺れが始まり、鉄板焼きのテーブルの下に身体を隠すようにしているママの頭に倒れたビールがかかました。
えらく長く感じたのですが、数十秒の揺れだったのでしょう。
ホールの天井からシャンデリアが落下、ホテル内は大騒ぎになりました。
とりあえずは、家族を外の安全な場所に出さなければと出口へ急ぎます。
途中、レストランのスタッフが、『お会計を!』と動転しながら叫んでいました。
こんなときに、お会計の心配をしていることに憤慨しながら、『まだ何も食べてない! ビールが倒れただけです。 外に出ないと危険ですよ!』で、我に返ったようで、みな出口に向かいました。
グアムの人は地震経験が少ないのか、ホテルの関係者もお客さんの誘導より、自分たちのほうが驚いていて我先に退避していたようです。
数百人が小雨降る、ホテル前の広場に不安そうな顔で集合していました。
トッポパパが、このとき考えていたのは、これより少し前の1993年7月12日午後10時17分に発生したM7.8の北海道南西沖地震でした。
その直後の津波で奥尻島は壊滅的な被害を受けたと報道されていましたので、グアムにも津波が来るのではという不安でした。
ホテルのスタッフが、自分たちだけ傘を指しながら、退避している人に指示をしているのを見て、『女性や子供たちに傘と毛布を配給しなさい! ホテルの主電源を切らないと火災の心配もあるぞ! ダメなら、おれがやる!』とトッポパパが現地スタッフに怒鳴りながら、動き始めたので、ママがビックリして、『今は、家族のそばにいてちょうだい!』の声で、ホテルの中に入るのを思いとどまった次第です。
幸いに、地震の震源地が海底の深いところだったので、津波の恐れはありませんでした。
夜遅くには、ホテルに戻ることができましたが、水道トイレは使用不可能、ベッドや重いセイフティボクッスまで、壁から40-50cmも離れたところに動いていました。
次の日から、臨時便で急遽帰国する人が多い中、焦ってもしょうがないと炊き出しおにぎりとモヤシの味噌汁を食べながら、なるようになるから大丈夫と、シャワーが使用できないならプールで泳ごうと考える、おかしな家族でした。
次の日は、安否を気遣う電話がたくさん日本からかかってきて、大変恐縮したものです。
いい思い出ばかりではありませんが、こんな景色を見ていると、もう一度グアムもいいかなと考えています。
続く...........................................................................。
写真の説明は不要でしょうから、グアムの地震体験をお話します。
トッポパパが家族で、グアムに遊びに行ったのは1993年です。
1993年8月8日午後6時35分、グアム島を襲った地震はマグニチュード8.1でした。
ちょうど、今日はちょっと贅沢な夕食をしようと、ホテル内の鉄板焼きレストランのカウンターに座り、ビールを飲もうとした時でした。
経験したことのないものすごい大きな横揺れが始まり、鉄板焼きのテーブルの下に身体を隠すようにしているママの頭に倒れたビールがかかました。
えらく長く感じたのですが、数十秒の揺れだったのでしょう。
ホールの天井からシャンデリアが落下、ホテル内は大騒ぎになりました。
とりあえずは、家族を外の安全な場所に出さなければと出口へ急ぎます。
途中、レストランのスタッフが、『お会計を!』と動転しながら叫んでいました。
こんなときに、お会計の心配をしていることに憤慨しながら、『まだ何も食べてない! ビールが倒れただけです。 外に出ないと危険ですよ!』で、我に返ったようで、みな出口に向かいました。
グアムの人は地震経験が少ないのか、ホテルの関係者もお客さんの誘導より、自分たちのほうが驚いていて我先に退避していたようです。
数百人が小雨降る、ホテル前の広場に不安そうな顔で集合していました。
トッポパパが、このとき考えていたのは、これより少し前の1993年7月12日午後10時17分に発生したM7.8の北海道南西沖地震でした。
その直後の津波で奥尻島は壊滅的な被害を受けたと報道されていましたので、グアムにも津波が来るのではという不安でした。
ホテルのスタッフが、自分たちだけ傘を指しながら、退避している人に指示をしているのを見て、『女性や子供たちに傘と毛布を配給しなさい! ホテルの主電源を切らないと火災の心配もあるぞ! ダメなら、おれがやる!』とトッポパパが現地スタッフに怒鳴りながら、動き始めたので、ママがビックリして、『今は、家族のそばにいてちょうだい!』の声で、ホテルの中に入るのを思いとどまった次第です。
幸いに、地震の震源地が海底の深いところだったので、津波の恐れはありませんでした。
夜遅くには、ホテルに戻ることができましたが、水道トイレは使用不可能、ベッドや重いセイフティボクッスまで、壁から40-50cmも離れたところに動いていました。
次の日から、臨時便で急遽帰国する人が多い中、焦ってもしょうがないと炊き出しおにぎりとモヤシの味噌汁を食べながら、なるようになるから大丈夫と、シャワーが使用できないならプールで泳ごうと考える、おかしな家族でした。
次の日は、安否を気遣う電話がたくさん日本からかかってきて、大変恐縮したものです。
いい思い出ばかりではありませんが、こんな景色を見ていると、もう一度グアムもいいかなと考えています。
続く...........................................................................。