走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

学びを諦めない生き方とは

2010年07月28日 23時35分46秒 | ちょっといい話
 有吉道夫(ありよし みちお、1935年7月27日 - )将棋棋士、九段をご存知であろうか。惜しまれつつ2010年5月に、引退。
大山康晴十五世名人門下生として知られ、年齢差が12歳ほどしかない大山の一番弟子で、1951年に15歳で入門してからの奨励会の4年間、大山のもとで内弟子生活を送る。1955年、19歳でプロ入り。

棋聖のタイトル獲得1回のほか優勝9回。また、タイトル戦の舞台での大山との師弟対決は4度実現しているが、師匠の壁を打ち破ることはできなかった。

現役期間は55年を数え、2001年には史上6人目の通算1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成している。大山康晴、加藤一二三に次ぐ六十歳代A級棋士であり、順位戦A級在籍は21期というすごさである。同じ関西本部所属では、内藤國雄とは自他ともに認めるライバル関係で、関西将棋界を牽引してきた。

将棋に熱中したきっかけは、「矢倉囲いの美しさに感動したから」だという。

 この有吉棋士の将棋にかける執念はすごいものがあった。
そして、その戦いぶりは「最後まで気迫で打つ」ことを信条にしていた。
しかし、年齢には勝てず、自分の孫くらいの若い棋士に負けることもしばしばだった。
今の若い棋士はパソコンソフトを活用し、さまざまな戦いのシュミレーションに対応していく。
 
 一方、有吉棋士は超アナログ人間。
勝てるわけがないといえば当然なのだが、それでも果敢に若い棋士たちに挑んでいく。
ある日、奥様が、「そんなに(若い人たちに)負けるのがつらいなら引退なさってはどうですか」といったことがあるそうだ。
有吉棋士は、「自分より年下に学ぶことは恥ではない」と言って貪欲に若い棋士たちから学ぶ姿勢を変えなかったという。
きっと悔しかったのは勝負に負けることで、それが年上であろうが年下であろうが、そのことについては関係なかったのであろう。

 しかし、自分が培ってきたことが通用しないということがどういうことか、自分に置き換えると自尊心どころか、モチベーションを維持することも出来ない。

 有吉棋士は、このモチベーションを維持するために、常に頭を空っぽにし、スイッチを入れ替えていたそうである。

 そして、有吉棋士は言う。
 「学びを諦めない生き方とは、『知りたい』という探究心を常に持ち続けること」だそうである。