走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

新たな発想

2010年06月18日 21時32分53秒 | おもしろい
 昨日、民間企業が主催する都市経営の勉強会に参加してきた。
真に失礼だが、昨夜の遅く(朝早く?)まで資料をまとめていたため、不覚にも前半の半分くらい寝てしまった。
私のどうも「眠たいセンサー」が、興味がわかないと感知すると途端に機能不全に陥る。

 お世辞でなく資料はよく分かるし、内容もすばらしかったのだが、私の肉体的な問題で本当に失礼なことをしてしまった。(深く反省)

弁解がましいが後半は、きちんと拝聴させていただいた。
その内容を聞いていて、今までの考え方を転換しなければ受け入れにくい手法だと感じた。
そして、「こういうやり方もありか」といたく感心してしまった。
また一方で、世の中「地域主権」というが本当に地方の自治体職員がそのレベルに達しているかというと、私も含めてはなはだ疑問であるということ。

 中央主権の場合は、頭も資金調達も国頼み(?)でやってきた。
特に、地方自治体の職員にとって資金調達は苦手なのである。
わかりやすく言うと、親の扶養に入っている子どもに「明日から自立するように」と言われても、自立するノウハウも支度金もない中では難しいということである。

 また、自立するためには、都市経営について市民へわかりやすい説明をしなければならないが、その手法も問題があるように思える。
近年は説明責任の下、情報開示の体質や風土は定着し始めたが、それでも、まだ行政目線であり、見る側・聞く側の目線ではない。
ただ、その手法が分かっていないだけで理解すれば早いと思っている。
そのためにも、環境整備や個々のスキルアップに注力しなければならない。

 また、単に目先だけ(短期的)の説明では足りない。

 最近の民間の合意形成をはかるための説明手法はすばらしいものがある。
 特に株主に説明する場合の手法を見ると、行政が市民に説明する手法と比べてもその先進性は評価できるし、行政もどんどん取り入れていく必要がある。
ただ、株主は利益優先という基本に立ち返れば、そこから逆算すると自ずと説明のためのシナリオがつくれる。
 また、ビジョンも夢物語ではなく、現実にそったものでなければならないから、期間的にはそんなに長くはない。
 一方、行政に課せられた市民への説明責任は、さまざまな価値観を持った人たちに対して行なわれるものであるから、難易度は高い。
逆に言えば、最低でも100年くらいの期間で夢を語らなければ共感していただけないような気がする。
今は確かに苦しくても輝く未来があるということを示すのが、私たち行政に携わるものの責務だと思っている。
その間に社会環境の変化により多少の軌道修正は必要だが、ぶれない方向性を示す時機にきていると思ったのは私だけだろうか...