走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

世界でたった一つの作品たち ~

2008年05月15日 17時29分14秒 | その他
 えんむすびプロジェクト

 明日16日(金)から18日(日)10:00~19:00まで
 JOW-PLA/ジョープラ(松山市朝生田町5丁目1番25号)でチャレンジド(障害を持ちながらも社会参加を目指し、自立むけてがんばっている人)たちの驚くようなアウトサイダーアート作品の展示販売をいたします。

 その作品の一つ一つが見る者の心を揺るがし、感動することでしょう。
 ぜひ、一度お越しいただき、その作品のすばらしさを味わってみてください。
 そして、その作品をお求めいただければ、あなたは気づかないうちに社会参加したことになります。

 その他に機械織り体験やユニークな名刺(自分身カード)の販売もしており、どれも利益はチャレンジのもとに届けられます。

志士不忘在溝壑

2008年05月15日 01時50分47秒 | その他
 志士は溝壑(こうがく)にあるを忘れず

 プレジデント(2008.6.2号)に荻田 伍 アサヒビール社長の「残したい言葉」にタイトルの言葉が載っていたのでご紹介します。

 「 坂本竜馬の生涯を描いた、司馬遼太郎氏の歴史小説『竜馬がゆく』の
  中に登場する言葉です。かれこれ30年ほど前に、この本を読んだとき
  から、非常に印象に残っています。
   もともとは孔子の言葉であると言われていますが、変革の志を持つ
  ものは、いつ屍となって溝に打ち捨てられるような目にあおうとも、
  それを本懐として前に進むべきだという意味の言葉です。
  (中略)
   坂本竜馬もあの激動の時代、幕末を生きた志士として、当時の日本
  全体を見据え、未来に向けて門戸を開かねばならない、何かをしなくて
  はならないと感じていたはずです。そして、その志を貫いたまま、33
  歳で暗殺されるという結末を迎えたのです。」

 志を貫くとは以下に難しいか、しかしながらそれを貫くための姿勢がどうあるべきかを表した言葉であります。
 また、荻田社長も私利私欲を捨て、先人から受け継いだ事業をどういう形で残し、次の世代に伝えていくかを考えねばならないと言われていますが、まちづくりや都市経営に携わるものとして通じるものがあります。

 51歳の私には、坂本竜馬にはまったく及びませんが、その精神性は見習いたいと思います。

返事と挨拶

2008年05月14日 01時48分01秒 | その他
 四国のエジソン

 本市の教育委員の一人に「㈱いうら(http://www.iura.co.jp/corp/index.html)」の井浦顧問がおられます。
 井浦教育委員は、経済界出身ということで、他の委員とは異なる視点から現職を勤めていただいており、ご自身では門外漢を名乗っておられます。
また、「㈱いうら」は福祉機器メーカーとして大きく事業展開をされておられるにも関わらず、ご自身は「鐵工屋のおやじ(高齢でありながら学位をとられた立派な博士なのですが、そんなことは一切おくびにも出されないおやじさんなのです。)」をオフィシャルな席も含めて、そう名乗っておられます。

 昨日はその井浦教育委員が、教育委員会終了後、自身が参加されたモーニングセミナーのお話をしてくれました。
そのお話というのが、返事がきちんと出来ない人が挨拶など出来るわけがないという内容のお話でした。
いつも、なるほど、そうだと思ってしまう話ばかりなのですが、それは当たり前すぎて、かえって新鮮に聴こえることばかりです。
 時に、そのアドバイスが厳しく聴こえることもありますが、それは井浦さん特有の叱咤激励と受け止めています。
井浦委員は何よりも人を大切にし、人を育てることを重要と考えておられる方です。
そういう意味では、前職から現職までお付き合いできるチャンスを得ていることはかけがえのないことだと思っています。


 会議終了後に井浦教育委員に呼び止められ、次のようなやり取りをさせていただきました。

 「竹村課長さん。」
 「はい。」
 「何か心境の変化でもあったのですか?」
 「え!!何でしょう?」
 「その頭よ。」
 「ああ、ちょっと自分を変えてみようかなと思いまして。」
 「そうですか。いつもあなたの創造力と行動力には驚かされます。」
 「はい、初心貫徹の立ち位置に戻りたかったのと、市民のために仕事をする
  といった思いに立ち返りたいという思いがありまして。」
 「なるほど、初心に常に返る、大事なことです。
  でも、そんなあなたは、きっとこの組織には馴染まんでしょうなあ。」
 「やはり、そうですかねぇ。」
 「ワハハハ。」

 まだまだ公務員として半人前の私でした。

地元大学との連携協定の効果

2008年05月13日 23時20分02秒 | その他
 新たなスタート

 今日、愛媛大学教育学部の白松准教授にお越しいただき、先生が研究されておられる「愛大わくわくチャレンジ・サタデー事業」についてお話を聞かせていただきました。
 そして、現状での課題や対処方法について話をさせていただいたあと、この研究を発展拡大するための方向性や目標などについてもお話をさせていただきました。
 本事業は、今、私たちが進めている「放課後子ども教室」の事業に似ており、この事業を地域社会システムまで発展させるにはどうすべきかといった、踏み込んだ話までいたしました。

 白松先生は、私よりも随分、お若いのですが研究熱心で、また学生思いの情熱家でもあります。
きっとこんな先生に教えられたら、ちがった人生があったかもしれないと想像しながら、先生のお話を聴かせていただきました。

 そして、本事業を愛媛大学と松山市とで締結した連携協定の一つとして位置づけることも確認しました。
本当に大学も様変わりしたもので、独立行政法人後は地域貢献も活動テーマに位置づけられており、こういった協定が随分としやすくなりました。
 この協定は、本課だけのためではなく、市長部局及び教育委員会のどの部署でも活用できるものでありまして、本課ではこれからもその他の案件で連携をお願いするつもりです。

 私たちは、現場の実務には秀でていますが、理論構築ができないために、その他への応用範囲がどうしても狭まります。
そういった意味では、学術的裏づけをしていただける大学との連携協定は心強いものであります。


 目的の話が終わった後、白松先生に少し時間があるということでしたのでランチに誘いました。
 そこで、「いじめ予防プログラム」について相談をしたところ、かなり興味を持っていただけたようで、こちらの方も新たな取り組みが始まりそうな予感がしてきました。

 今日は、長時間、白松先生ご迷惑をおかけしてすみませんでした。
 心からお礼を申し上げます。

大きな潮流の中で

2008年05月13日 00時27分05秒 | その他
教育改革について

 今回の教育基本法の改正の大きな特徴は、社会教育が学校教育と車の両輪のように言われながらも、教育基本法の中にその理念すら含まれていなかったことを皆さんはご存知でしたか。

 今回の法改正で、まずその理念の中に生涯学習の重要性・必要性を明文化しています。
このことは本当に重要なことで、学校教育は学校教育、社会教育は社会教育といった見えない線が引かれていたような気がしますが、その垣根が徐々にではありますが取り除かれていきます。

 そして、地域や家庭が学校と連携できることも明文化してくれました。
私たちに直接影響が出てくるのが、この改正により放課後子ども教室などの事業で、今後、より学校とスクラムが組みやすくなります。

 法令や制度が、地域社会システムの基軸をなすということの意義に気づくのはもっともっと先かもしれませんが、時代が大きく変わっていることだけは感じられます。
そして、私たちがその潮流の最前線にいることも

うれしい報告

2008年05月12日 23時40分44秒 | その他
 うれしい返信

 大きな事業(大概は土曜日か日曜日に開催)が行われた翌日には、できるだけお疲れ様メールを担当者に送信しています。
翌日とはいえ、疲れていると思いますので一方通行のメールと諦めているのですが、中には心温まるメールをくれたりします。
 本人には無断で紹介させていただきます。(ごめんなさい)


★★★ 行けなかった荏原地区体育祭の情報

 写真は永山公民館長で、白石公民館主事が送ってくれました。
 記事の内容は、次のとおりです。

「荏原公民館の白石竜也です。
 お疲れ様です。
 今回、開会式と閉会式の司会をすることになってしまいあまりいい写真が撮れなかったので申し訳ないのですがイメージに合う写真を選んでください。
 丹生谷さんから課長欠席の連絡があった後、見に行かなくても大丈夫と思って頂けたと思い込み個人的にはちょっと嬉しかったです。
 館長も「課長も忙しいから」と了承されていました。
 重松浮穴公民館長・田中主事と、天崎くんが観覧に来られておりました。
 あと、松浦理財部企画官は、分館長として熱心にお手伝い頂き仮装の部では準優勝までされましたので機会がもしありましたら、お礼の方よろしくお願い致します。」


 白石公民館主事は若い公民館主事です。
最初の印象はお世辞にも大丈夫そうには見えなかったのですが、不思議な力を有している職員の一人でもあります。
どういうわけか地域の人たちを巻き込んで、いつも凄い事業に仕立て上げてしまうのです。
地域の人たちの信任もあつく、いつも感心させられます。
 そして、何よりも心配りができるようになったということです。
文中にもありますように、今では安心して任せられる地域の一つになっています。
永山公民館長をはじめ役員の皆さま、お疲れ様でした。


★☆☆彡 新人の山本君からの情報(荏原地区体育祭)

 記事の内容は、次のとおりです。

「坂本公民館の山本茂裕です。
 昨日はお忙しいところ、お越し頂きありがとうございました。
 おそらく愛用されているであろうカメラを持った大きな体躯の課長が印象的でした。
 運動会のエピソードをひとつ・・・
 最も会場が沸き上がったのは、キャタピラ競争のときでした。
 この競技、ダンボールの中の選手は両腕を前に伸ばし、四つん這いのような状態で歩を進めるのが通常です。
 しかし、ある小学生の女の子は「でんぐりがえし」を始めました。
全身の力を有効に使い、重たいダンボールをどんどん押し進めていきます。
そのスピードはどの大人選手より速かったかもしれません。
そして皆が彼女に感嘆の声と歓声をあげていました。。。
 参加した人たちの笑顔と自分の笑顔を確認して、まずは地域に足を踏み入れたぞという気分です。
 以上、ご報告まで。」

 どうですか、ほのぼのと心温まるエピソードではありませんか。
そして、山本公民館主事の小さな一歩かもしれませんが、楽しみな一歩を感じていただけたでしょうか。

 私はこういう部下たちに支えられています。

坂本地区体育祭

2008年05月11日 20時02分53秒 | その他
 山間の体育祭

 本日二つ目の体育祭は坂本地区体育祭でした。
 ここは、小さな地域なので雨のときは体育館でやるというのを昨日から決めていました。
 しかし、朝、急遽グラウンドが使えるということで当初の予定通り屋外での開催となりました。
 村井公民館長(写真の人物)も天気が晴れて、当初の予定どおり体育祭が開催されていたことを喜んでおられました。

 山本茂裕公民館主事はこの4月から坂本公民館の主事に就いたばかりなので、今日が大きな地域事業デビューでしたが、がんばっている姿を見て安心しました。本当にご苦労様でした。
 また、本日、体育祭を支えていただいた役員の皆さま、心からお礼申し上げます。

高浜地区運動会

2008年05月11日 19時22分05秒 | その他
 雨のち晴れ

 屋外イベントで一番困るのは雨です。
 昨日は雨で、今日予定されていた体育祭はほとんどが中止かと思っていたのですが、晴れましたので実施できるようになりました。

 今日は最初に訪れたのは、高浜小学校で行われた高浜地区体育祭です。
実は、高浜公民館長は任期途中でありましたが4月から、川内公民館長の自己都合により田所公民館長(写真の人物)に交代しています。
 田所公民館長にとっては最初のビック・イベントでありましたが、本当に落ち着いて振舞われ、私も自分のことのように安心しました。

 高浜小学校は海辺の学校のため今日は風が強く、雨のため準備時間がなくテントを張らないままの体育祭でしたが、そのことが功を奏したような気がします。

 あいにく毛利公民館主事には会えませんでしたが、開催がぎりぎりまで決定できなかったので大変だったろうと思います。本当にご苦労様でした。
 また、本日体育祭を支えていただいた役員の皆さま、心からお礼申し上げます。

笑い

2008年05月11日 00時03分26秒 | その他
 笑いが社会を変える

 皆さんは、一日の最初に笑う時ってどんな時ですか。
 私は、最近、朝起きてすぐの自分の顔を見たときです。
昔、落語家の故・桂枝雀師匠が自分の顔を見て、「つい、自分の顔がおもろうて笑ってしまうんです。」といった記事を読んだことがあります。
見慣れた自分の顔を見て笑う?そんなバカなと思ったものでしたが、最近、「あるよね。」と思い始めました。
坊主頭の自分を見てゲラゲラとまではいきませんが、本当に笑ってしまうのです。
他の人がその様子を見ていたら、きっと訝(いぶか)ることでしょう。
 でも、これが自分だからいいのですが、他人を見て笑うとおかしなことになります。

 そういえばテレビのお笑い番組を見ていて、変わったなあと思うことがあります。
それはいつの間にか、人の肉体的ハンディキャップの部分や失敗をネタに笑いに変えてしまう風潮になってきたということです。
聴衆は何の違和感もなく、それを受け入れて笑っています。

 日本という国は、いつから弱い立場の人を笑うようになったのでしょうか。
日本民族の誇りは、常に弱い立場の人たちも、人としての尊厳を守り、そしてその人の人格を尊重するところにあったのではないでしょうか。

 「品のいい笑い」は、明るくやさしい社会を創っていたのではないでしょうか。
「下品な笑い」は、そういう意味では排他的社会へと進行させてしまう可能性があると思うのです。

 それから自分の顔を見て笑う効果をひとつ教えましょう。

 自分の顔が随分と穏やかになっていくということです。

 

松山市小中学校PTA連合会 定期総会

2008年05月10日 21時33分50秒 | その他
 新旧交替

 今日は、コミセン(「松山市総合コミュニティセンター」の略)で松山市小中学校PTA連合会定期総会がありました。
あいにく中村時広市長は植樹祭のため出席できませんでしたが、土居教育長が市長の代理として出席してくれました。

 白松愛媛大学教育学部准教授による講演があり、そのあと総会の議事に移りました。

 この中での最大のイベントは、新旧役員の交代ではなかったかと思います。
今回、会長が角田会長から中村和憲新会長へとバトンが渡されました。
中村新会長への私たちの期待も大きいのですが、今日は角田前会長に心からお疲れ様と申し上げます。
その足跡は、PTAの取り組みをより前進させたものと思っています。
角田前会長は、物静かで多弁家ではありませんが、その行動は素晴らしいものでした。

 そして、それを支え続けた西川事務局長の名アシストぶりは、すごかったです。
また、その脇を固めた役員の皆さん、事務局スタッフのみなさん、本当にお疲れ様でした。

私ができること

2008年05月09日 23時54分35秒 | その他
 さまざまな相談

 昨夜、松山市青少年育成市民会議の定期総会が終わった後、ある役員の方とお話をしていたときのことです。
 その内容は、その方のお子さんの話で、そのお子さんが自閉症で、子どもの将来のことを考えると不安でたまらないというお話でした。
 そして、その相談内容は、「こういった相談は市役所のどの窓口にいけば相談できるのか。」といったものでした。
本当に困りました。
きっと、この方が納得できる答えをもつ部署はどこにもないだろうと思ったからです。
本当に切なくなりました。
相手の方の気持ちが痛いくらいわかるのに、何もできない自分がいる。
 最近、このように自分の無力さを感じながら、こういうケースの人たちとお話をする機会が多くなってきています。
自分の周りの人さえ幸せにできていない私に、どのようなことができるのか、悩んでいます。

相手は、私が行政の人間ゆえに過度の期待をしていただいているのだろうけれど、現実的には大したことができないというジレンマがあります。

でも、相手としては、まずは誰かに話をしたい、受け止めてもらいたいという思いが伝わってきます。
話すことで何か解決策が見つからないか、必死の思いが伝わります。

 本業は、公民館活動を中心とする社会教育、生涯学習の振興を通じて地域活動を元気にする仕事と、青少年の健全育成に関する仕事に携わりながら、「地域」というキーワードに関するさまざまな相談にものっています。
わざわざ訪ねて来られて、どう見ても私の範疇ではないなあと感じる時もありますが、まずお話を聴かせていただきます。
そして、関係部署や担当者をご紹介します。
その時には、ご本人の前から電話をし、そのやりとりを聞いてもらいながら、ご紹介するようにしています。

 しかし、相談の内容は、現状では法律や制度の壁、組織の壁、さまざまな人の心の壁などから、すぐに対応できないことばかりです。
そして、そのほとんどに共通することが二つあると気づき始めました。

 一つ目は、それぞれ相談されることが地域全体を巻き込む仕組みが必要だということです。
そういう意味では、その分野の地域社会システムが構築されていないということ。

 二つ目は、中間組織がないということ。
この中間組織に気づいた理由は、スウェーデンで勉強したときに成人まで医療費が無料にもかかわらず全体としての医療費が想像したほどかかっていなかったのです。
その理由は、地域の中に医療アドバイザーがいて、24時間電話相談を受け付けています。
そして、子どもの発熱や下痢などの症状に対して、的確にアドバイスし、薬局屋の薬で済む場合と診療所にかかった方がいいといった内容のアドバイスをしてくれるのです。
つまり、中間に水先案内人を置くといった考え方です。
実は、このことが医療費全体を押し下げる結果となっているのです。
でも、電話だけで大丈夫かといった不安が付きまといますが、この医療アドバイザーが地域にいるというのがみそで、彼等は日常、相談者と顔を合わせていますから大体の症状がわかるのです。
我が国では、この手法は、さまざまな法律や危機管理の観点から実現しにくいのですが、そのことが全体を不幸にしているような気がします。

 でも、それが現実です。

 まず、自分自身ができること。
 しかし一方で、過度の期待にならないよう注意しながら、その課題とその解決方法については、できるかぎりアドバイスさせていただいております。
逃げているように聞こえるかもしれませんが、それが、今私ができる範囲です。

先憂後楽

2008年05月08日 21時00分33秒 | その他
 モチベーションが下がるかも

 今、ある仕事で公民館元気活力支援チームの皆さんに大変なご苦労をかけています。
日常業務にプラス・アルファの仕事なので、どうしても残業で対応するしかない状況であります。
しかし、出口のないトンネルに入ってしまった感のあるこの仕事は、どうも残業が常態化しつつあり始めたので、昨日の帰りがけにきついことを言ってしまいました。
内容は、次のとおりです。

「苦労をかけていることはわかっているし、こんなことを言ったら君たちのモチベーションは下がるかもしれないが、あえて言わせてもらう。残業はどこまでいってもイレギュラーなものだと思う。常態化すれば、これが当たり前になる可能性がある。私は、仕事をいかに短時間でこなすかを評価する。残業時間を短くするためには計画を立てて、メリハリをつけて仕事をするべきだ。」

 そう言い残して、帰宅した。
帰宅途中、言い過ぎたかなと後悔しました。
言ったことで、ヤル気をなくしたらどうすると自問自答した。(後悔するなら言わない方がいいのに...)

 そして、今朝、チーム全員が「課長いいですか?昨夜、仕事をしながら皆で今後どのようにしていくか話し合いましたので聞いてください。」
その説明は、論理的かつ理にかなっていました。
「なるほど、それでいいよ。速やかにやってください。ところで『先憂後楽』って言葉知ってるかい?」
全員「知りません。」
「早めに対応しておれば、後手に回らないで済むという意味です。先延ばしせずに早め、早めの対応をしていると、イレギュラーな仕事も残業しないでも済むかもしれない。そのことを心がけてください。」

 そう言いながら、頼もしい部下たちに感謝しました。
 

伸びる人財

2008年05月05日 22時29分11秒 | その他
 どんな人?

 ある先輩と話をしていて、伸びる人財とはどんなタイプかということを話し合ったことがあります。
 出た答は、「謙虚な人」でありました。
 今風に言うと、「傾聴力」を持った人ということか。

 そして、この連休間に「仕事の5力(ごぢから)/中経出版」という本を読んでこれに似たことが書いてあったので紹介します。

 伸びる人財の3条件(船井総合研究所の船井幸雄会長の提唱)とは、次のとおり。

  ①素直
  ②勉強好き
  ③プラス思考

 なるほどであります。
そして、これに「熱意」が加われば伸びる人財の基本的な部分を有することになるそうです。
いかがですか、皆さんにも心当たりありませんか。

 私は、①から③のいずれがかけても難しいと思います。
よく②の「私は根っから勉強嫌いですから...」と諦めに近い相談を受けます。
実は、②を学校の勉強と同様に捉えると臆するものです。
 でも、社会人になってからの勉強は、自らが選択して好きなだけできるということに気づけば、それほど苦痛ではありません。
学校時代の勉強は、どうしても強制的にさせられるというイメージがあるため拒絶反応が起こり、勉強嫌いになるのは当たり前のことなのです。
そのためにも、自分が今、最も興味を抱いたところから勉強をスタートさせると、自然に次から次へと深堀をしていき、それが勉強だとは気づかずに進んでいってしまうのです。
 また、学校時代に勉強をしていない人ほど、社会に出てから勉強をし始めると驚くほど(ほとんど貪欲と言っていいほど)やり始めます。

 そして、本書ではこれらを前提に次の能力(スキル)の必要性を説いています。
(このテーマが本書の言いたいことなのです。)

  ①聴く力
  ②考える力
  ③話す力
  ④書く力
  ⑤時間力

 詳細については、ぜひこの本を買って読んでください。
 これらの力は、どのような分野の人にも、どのような立場の人にも相通ずるものがあると思います。
しかも、読みやすい本なので気合を入れると一日か二日で読めますよ。

親子の時間

2008年05月04日 23時50分06秒 | その他
 濃い時間

 私の友人のご子息が入院されたというので、お見舞いに行ってきました。
その友人には、たいそうお世話になっており、その彼が最近、元気がないので聞いてみると重い口を開き、息子さんの入院について話してくれました。

 自分の親が入院するのも心配ですが、それ以上に自分の子どもが入院する方が、さらに心配だと思うのです。

小さいお子さんだったので、本人には会わずに友人とだけ話をして帰ってきました。
お見舞いは何がいいだろうかと考え、興味を抱きそうな本を買って持っていきました。

 すると、帰りの車の中にメールが届きました。(注釈:メールは帰宅してから確認しましたので道路交通法違反ではありません。)
お礼メールとともに子どもさんが本を読んでいるところの写真を添付してくれました。
何よりのお返しです。
日頃から気配りのできる友人ですが、思わずさすがと思いました。

 今日と明日は友人が付き添うと言っていました。
この話を聴き、自分と死んだ父との時間について考えてみました。
父とともに過ごした時間は17年と7ヶ月半程度です。

 でも、その間に父はたくさんの思い出を残してくれました。
 例えば、私は小さい時から果物が好きでした。
そして小さな家のまわりに小さな畑があったのですが、なぜかさまざまな果物の樹が植えてありました。
 まず、桃の樹です。(あせもが出やすい私は、この桃の葉をいれた行水を行うと驚くほどあせもが治ったものです。)
次に、枇杷(びわ)の樹、柿の樹、蜜柑(みかん)の樹、そして苺(いちご)に西瓜(すいか)と考えたら、年中、何がしか果物を口にできました。
それらの果物は、自宅で消費する程度しかなく、また、苺などは私が好きな時に好きなだけ勝手に採って食べればよかったのです。
このことが父の愛情だと知るのは、父が死んでからです。

 私は、畑仕事をする父の姿をみるのが好きでした。
別にいっしょに遊んでくれるわけではないのですが、働く父の傍で遊ぶのが好きでした。
何か声をかけてくれるわけでもありませんでした。
何か教えてくれるわけでもありませんでした。
でも、父の息遣いや汗のにおいが大好きでした。

 小学校しか出ていない父を今も尊敬しています。
それは、きっと父が私のことを常に考えていてくれていたからだと思います。
なのに、私は不合格な父であります。
私は、そういった感覚を娘に感じさせれなかったような気がします。

 親子の時間、本当に大切なんですよね。