さまざまな相談
昨夜、松山市青少年育成市民会議の定期総会が終わった後、ある役員の方とお話をしていたときのことです。
その内容は、その方のお子さんの話で、そのお子さんが自閉症で、子どもの将来のことを考えると不安でたまらないというお話でした。
そして、その相談内容は、「こういった相談は市役所のどの窓口にいけば相談できるのか。」といったものでした。
本当に困りました。
きっと、この方が納得できる答えをもつ部署はどこにもないだろうと思ったからです。
本当に切なくなりました。
相手の方の気持ちが痛いくらいわかるのに、何もできない自分がいる。
最近、このように自分の無力さを感じながら、こういうケースの人たちとお話をする機会が多くなってきています。
自分の周りの人さえ幸せにできていない私に、どのようなことができるのか、悩んでいます。
相手は、私が行政の人間ゆえに過度の期待をしていただいているのだろうけれど、現実的には大したことができないというジレンマがあります。
でも、相手としては、まずは誰かに話をしたい、受け止めてもらいたいという思いが伝わってきます。
話すことで何か解決策が見つからないか、必死の思いが伝わります。
本業は、公民館活動を中心とする社会教育、生涯学習の振興を通じて地域活動を元気にする仕事と、青少年の健全育成に関する仕事に携わりながら、「地域」というキーワードに関するさまざまな相談にものっています。
わざわざ訪ねて来られて、どう見ても私の範疇ではないなあと感じる時もありますが、まずお話を聴かせていただきます。
そして、関係部署や担当者をご紹介します。
その時には、ご本人の前から電話をし、そのやりとりを聞いてもらいながら、ご紹介するようにしています。
しかし、相談の内容は、現状では法律や制度の壁、組織の壁、さまざまな人の心の壁などから、すぐに対応できないことばかりです。
そして、そのほとんどに共通することが二つあると気づき始めました。
一つ目は、それぞれ相談されることが地域全体を巻き込む仕組みが必要だということです。
そういう意味では、その分野の地域社会システムが構築されていないということ。
二つ目は、中間組織がないということ。
この中間組織に気づいた理由は、スウェーデンで勉強したときに成人まで医療費が無料にもかかわらず全体としての医療費が想像したほどかかっていなかったのです。
その理由は、地域の中に医療アドバイザーがいて、24時間電話相談を受け付けています。
そして、子どもの発熱や下痢などの症状に対して、的確にアドバイスし、薬局屋の薬で済む場合と診療所にかかった方がいいといった内容のアドバイスをしてくれるのです。
つまり、中間に水先案内人を置くといった考え方です。
実は、このことが医療費全体を押し下げる結果となっているのです。
でも、電話だけで大丈夫かといった不安が付きまといますが、この医療アドバイザーが地域にいるというのがみそで、彼等は日常、相談者と顔を合わせていますから大体の症状がわかるのです。
我が国では、この手法は、さまざまな法律や危機管理の観点から実現しにくいのですが、そのことが全体を不幸にしているような気がします。
でも、それが現実です。
まず、自分自身ができること。
しかし一方で、過度の期待にならないよう注意しながら、その課題とその解決方法については、できるかぎりアドバイスさせていただいております。
逃げているように聞こえるかもしれませんが、それが、今私ができる範囲です。