走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

お袋の病気

2007年08月16日 23時08分13秒 | その他
★★★ 凛として

 お袋の病名がわかりました。「舌癌」でした。
 お袋の体力や心臓の状態を考えると、抗がん剤も放射線も不可能な状況です。
 選択肢は、手術かそのまま放置するかのどちらかしかありません。
 病名がはっきりしてから、どこまで転移しているかの検査は横で見ていても体力のないお袋にとってはつらそうでした。
 でも、終始淡々と振る舞い、ヘタに隠そうものならすべてを見透かされているようで、検査結果が出るたびに真実を伝えてきました。

★★★ どちらを選択するか

 選択肢の手術にするのかそのまま放置するのかの最終結論を今日、担当医の先生に伝えました。
 結論を出すまでがとっても長い時間に思えました。
 家族は、お袋の出す結論に従うことにしました。
 気丈に振舞う彼女の結論は、最後まで諦めないというものでした。
 手術の成功率は50%、術後も常に死と迎え合わせの状態で、植物状態になる可能性もあります。
 でも、「一日でも長く生きようと思う。」と彼女は結論を出しました。

★★★ 生きるとは

 父が死んだ日、病院の霊安室で、半狂乱で泣き叫ぶ彼女に私はビンタをしたことがあります。
 我に返った彼女は、冷静さを取り戻すと、私にこう約束をさせました。
 「葬式が終わるまで、人前で泣かないでほしい。つらいことだけど、
  これからの私たちの立ち居振る舞いが、死んだ父さんのプライドを
  保ち続けることだと思うの。」
 私は、このとき17歳でした。
 私は、この約束を守ったと思います。
 彼女も同じでした。
 私たち親子は親子でありながら、友人のような関係になりました。
 彼女の死までの時間を静かに、でも最後まで諦めずに見守ろうと思います。
 それが、私たち親子にとっての「生きる」ということなのです。

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1 コメント

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凛として (りょうりょうのパパ)
2007-08-20 18:18:48
「病は気から」とはよく言ったもので、直腸癌を患った義母は、ストーマーをつけた後、内臓に転移しながらも早8年が経過し存命。残念ながら、痛み止めに使用したモルヒネが原因で認知症となり、本人の想いとは裏腹に寝たきりとなってしまいましたが、「生」に対する執着は、いまだ衰えることなく日々「生きよう」としています。
「生きる」ということに対する執着心。それさえあれば、医学の常識は簡単に覆るもの、と義母の生き様を見るにつけ痛感している今日この頃です。
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