走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

mixiとfacebook

2011年05月28日 08時14分27秒 | 考え方
 最近、私が友人にfacebookを始めた話をしていると「mixiとfacebookはどうちがうんですか」と質問されました。

 「私自身よくわかっていないのですが、多分、情報開示の内容が違うんだと思うんです」と応える。
続けて、「facebookは学歴だけでなく宗教や思想まで公開できることはどんどん公開するんです」と。

 「それって危なくないですか(悪用されないですかの意味)」

 「そうですね、悪用しようと思えばできますよね。でも、コミュニケーションをとる上で前提となる『信頼関係』が必要だと思うのですが、まず人を含めた動物には見えないバリアがあって容易に受け入れようとはしませんよね。そのためには、まずこちらのバリアみたいなものを先に除去していないと深まりませんよね」

 「そうですよね」

 「facebookの面白い使い方の一つとして同じ価値観をもったコミュニティを自らが主宰できるということです」

 「・・・」

 「つまりですね。自分の考え方は常に変わっているんです。そして、その時々で『自分はこう考えるんだけど、どう思う?』と投げかけると、まずさまざまな意見が寄せられて、その中で同質の意見を持つ人だけを集めてコミュニティを形成することができるんです。一方で自分を匿名にすると、相手も匿名になるから、意見が責任あるものでなくなるのです。結果的には建設的な方向には向かわないということになります。」

 
 「mixiとfacebookのちがいは、日本人が形成するコミュニティと外国人が形成するコミュニティの本質的なものを突いているということですか」

 「少しオーバーかもしれないけれど、そうだと思います」

 「つまりfacebookはシェークハンドの文化だと」

 「そうなんです。握手をしてフルネームで名乗るところからコミュニケーションが始まる。相手の体温や握手の力強さみたいなもので相手の情熱や思いを感じる。そして、自分の名前を名乗り、それをきっかけに自分の情報を徐々に相手に伝えることで、相手のバリアを取り除いていくといった感じですかね」

 プライバシーを厳格に主張する米国で生まれたfacebookが世に受け入れられた理由は、その真逆的手法がコミュニティを形成する近道だと気づいたからかもしれない...