昨夜のテレビ番組「夢の扉+(プラス)」は障がい者の夢と希望につながる電動車いすをオーダーメイドしている西平社長の物語。
内容は、番組紹介から引用します。
世界にたった一台のオーダーメイド・ハイテク電動車イス開発で40年
重度の四肢障害者の為の電動車イス作りに携わり約40年、これまで作ってきた車イスの数は2000台を超えた。
単なる足代わりではない障がい者が自由を手にできる、夢のオーダーメイド車イス作りに挑戦し続けるのは、アローワンの西平社長。
50年前(1961年)筋ジストロフィーと診断された弟(守儀さん)、月日が経つと共にその病気は進行してゆく・・・
こうした中、少しでも自由な暮らしをさせてあげたいと父親らと一緒に電動車いすを作ったのがこの世界に携わったキッカケだった。
電動で座席を昇降させたり、リクライニングさせたりできるよう改良を重ね、移動の自由を得た弟は趣味の油絵も楽しめるようになった。
弟・守儀さんが19歳で他界したあとも同じように困っている人たちのために電動車イス作りに関わっていった西平。
しかし、需要が少なく商売としてはとても厳しい電動車いすの業界。
10年前、西平が経営していた会社は1億を超える負債を抱え倒産、一時は自殺も考えた。
車イス作りとは離れようとしたとき、かつての自分の客から電話が入った・・・
「車イスを改良して欲しい」。
売ったら終わりではない電動車イス、自分が作った車イスを頼りに生きている障害者の人たちをここで裏切るワケにはいかない、西平は再び電動車いす作りを始めた。
そして今、西平は40年前から想い描いた、ある車イス作りに挑んでいる。
今までの限定した場所でだけ自由に動けるものではなく、狭い家の中でも、段差の多い外でも自由に動ける夢の車イス作り。
レギュラー仕様の車イスに乗れない、身体状況の合う電動車いすがない、そうした人たちが諦めなくていい自由を手にできる夢の車イス作りを目指して・・・
***************
西平さんの電動車いすを「翼」と表現していた利用者の話を聞きながら、西平さんは翼を作っていることに気づかされる。
また、この番組を見ていて、スウェーデンに行ったときにTPO(時・場所・目的)に応じて車椅子があることを思い出した。
驚いたことに何百種類もの車椅子があるという。
そして、古い建物の中、バリアフリーが施されていないことに気づく。
そのことを質問すると「文化伝統は頑なに守るべきだ。だが、困っている人がいたら、それにあわせた道具を作ったり周りの人が助ければいい」と言い切られた。
内心「そうだよな」と思いながら、なぜか恥ずかしくなった。
内容は、番組紹介から引用します。
世界にたった一台のオーダーメイド・ハイテク電動車イス開発で40年
重度の四肢障害者の為の電動車イス作りに携わり約40年、これまで作ってきた車イスの数は2000台を超えた。
単なる足代わりではない障がい者が自由を手にできる、夢のオーダーメイド車イス作りに挑戦し続けるのは、アローワンの西平社長。
50年前(1961年)筋ジストロフィーと診断された弟(守儀さん)、月日が経つと共にその病気は進行してゆく・・・
こうした中、少しでも自由な暮らしをさせてあげたいと父親らと一緒に電動車いすを作ったのがこの世界に携わったキッカケだった。
電動で座席を昇降させたり、リクライニングさせたりできるよう改良を重ね、移動の自由を得た弟は趣味の油絵も楽しめるようになった。
弟・守儀さんが19歳で他界したあとも同じように困っている人たちのために電動車イス作りに関わっていった西平。
しかし、需要が少なく商売としてはとても厳しい電動車いすの業界。
10年前、西平が経営していた会社は1億を超える負債を抱え倒産、一時は自殺も考えた。
車イス作りとは離れようとしたとき、かつての自分の客から電話が入った・・・
「車イスを改良して欲しい」。
売ったら終わりではない電動車イス、自分が作った車イスを頼りに生きている障害者の人たちをここで裏切るワケにはいかない、西平は再び電動車いす作りを始めた。
そして今、西平は40年前から想い描いた、ある車イス作りに挑んでいる。
今までの限定した場所でだけ自由に動けるものではなく、狭い家の中でも、段差の多い外でも自由に動ける夢の車イス作り。
レギュラー仕様の車イスに乗れない、身体状況の合う電動車いすがない、そうした人たちが諦めなくていい自由を手にできる夢の車イス作りを目指して・・・
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西平さんの電動車いすを「翼」と表現していた利用者の話を聞きながら、西平さんは翼を作っていることに気づかされる。
また、この番組を見ていて、スウェーデンに行ったときにTPO(時・場所・目的)に応じて車椅子があることを思い出した。
驚いたことに何百種類もの車椅子があるという。
そして、古い建物の中、バリアフリーが施されていないことに気づく。
そのことを質問すると「文化伝統は頑なに守るべきだ。だが、困っている人がいたら、それにあわせた道具を作ったり周りの人が助ければいい」と言い切られた。
内心「そうだよな」と思いながら、なぜか恥ずかしくなった。