今、ある庁内会議に出ていて感じることがあります。
そのテーマは、多くの部署に影響が出るためか、参加している部署が20くらいになる大会議です。
出席対象者は課長級ということですが、現実的にはほとんどが代理出席です。
このような出席状況に加え、平均2時間程度の会議を数回開催しただけで、まちづくりの根幹を揺るがすことが決まろうとしています。
テーマ的には、その重要性を認識しにくく、また、短期的には影響が少ないことかもしれません。
恐らく、私が在籍予定の10年間の間には、さほど影響は出ないでしょう。
しかし、20年、30年、50年・・・と時間の経過とともに、大きな影響が出てくる可能性があります。なのに、その危機意識が担当者を含めて希薄なような気がするのです。
こういうテーマこそ、じっくりと、慎重に議論し、多面的に考察する必要があると思うのです。
また、目的が、方向性を決めることだけに拘りすぎて、住民の視点からかけ離れていっているような気がするのです。
質問も前もってペーパーでしていないと回答できないという状況です。
なによりも、必死で議論している自分と担当者のやり取りを覚めた目で見ている関係者の皆さん、自分たちの後輩や住民に胸を張って仕事をしていると言える自信がありますか。
そのテーマは、多くの部署に影響が出るためか、参加している部署が20くらいになる大会議です。
出席対象者は課長級ということですが、現実的にはほとんどが代理出席です。
このような出席状況に加え、平均2時間程度の会議を数回開催しただけで、まちづくりの根幹を揺るがすことが決まろうとしています。
テーマ的には、その重要性を認識しにくく、また、短期的には影響が少ないことかもしれません。
恐らく、私が在籍予定の10年間の間には、さほど影響は出ないでしょう。
しかし、20年、30年、50年・・・と時間の経過とともに、大きな影響が出てくる可能性があります。なのに、その危機意識が担当者を含めて希薄なような気がするのです。
こういうテーマこそ、じっくりと、慎重に議論し、多面的に考察する必要があると思うのです。
また、目的が、方向性を決めることだけに拘りすぎて、住民の視点からかけ離れていっているような気がするのです。
質問も前もってペーパーでしていないと回答できないという状況です。
なによりも、必死で議論している自分と担当者のやり取りを覚めた目で見ている関係者の皆さん、自分たちの後輩や住民に胸を張って仕事をしていると言える自信がありますか。