<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



私の地元JR阪和線では2種類の特急が走っている。
一つは関西空港と大阪・京都を結ぶ特急はるか。
もう一つは和歌山方面と大阪・京都を結ぶ特急くろしお。
コロナのパンデミックが発生してから特急はるかは回送状態。
駅から通過する姿を見ていると空気を運んでいるんじゃないかと思えるくらいお気の毒な乗車率だ。

はるかは国際線に搭乗するお客がメインだろうから、今や関空は一日に10便以下しか国際線が飛んでいないので(国際貨物便はひっきりなしに飛んでいる)利用客は朝夕の通勤客になっていてさながら通勤特急の様相だ。
最近通勤用の特急料金も設定されたので、あながち関空特急から通勤特急に様変わりするのもそう遠くないような気がする。

一方特急くろしおも似たようなものだが、こちらは南紀白浜や串本・新宮方面の乗客が利用するので休日中はそこそこの乗りである。
でも平日日中ははるかと似たようなもんで、これもお気の毒状態。

で、この年末年始はコロナも少し収まっていたので南紀方面への乗客は2.5倍ほどに増加。
そこそこの乗車率だったようだ。
このまま推移するとこれから南紀は梅のシーズンでさらには海のシーズンに突入するし、パンダを見に行く人も増えることだろうから元に戻るのも意外に早いかも知れない。

はるかもコロナを避けるために乗る特急になれば、それも乗客増につながるだろう。

特急列車の乗車率の復調はコロナの終焉のサインなのか。
しばらくは通過する特急の乗車風景からなんとなく目が離せないのだ。


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阪神大震災が発生したのが1月で地下鉄サリンが3月。
このとき、報道の軸足が神戸・大阪から一気に東京へ移ったことは今も記憶に生生しく刻まれている。
サリン事件が発生したら神戸の地震が解決した、なんてことはもちろんなく、現場では懸命な救命活動と復旧活動が続けられていた。

以来、テレビもラジオも信頼しなくなった。
儲かればそれでいいというのが彼ら多くの姿勢なので、視聴率を稼げないテーマはたとえ何万人が災害に巻き込まれようが関係ない。
奇異なトピックに集まる姿は、暑い夏場、路上に落ちている犬のう○こに群がる蠅みたいなものなのだろう。

今朝、九州地方でM4の地震が発生。
ちょうどそのときにテレビの「ニュース番組」では今年の「大河ドラマ」の話題が放送されていた。
そもそもこれって報道番組でお伝えする内容なのかどうか疑ってかかる必要がある。
その時、字幕で地震があった旨伝えられたが大河ドラマの「番宣」が中断されることはなかった。

こういう放送局が一般市民から受信料をなる料金を強制的に徴収することを正当として叫んでいるのが理由がわからない。

地震より番宣が大切。
次回、阪神淡路大震災や東日本大震災級の地震が日曜夜に発生したら、多分ドラマが優先されるんだろうな、と思った朝のひとときであった。


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正月2日の夕方。
買ってあったお酒を飲み干してしまったので、もう一本買おうと近くの食品スーパーへ出かけた。
で、驚いた。
なんと正月2日というのに休んでいるではないか。
年末ここを訪れるとごった返すような賑わいでレジに10分以上並んだから、きっと倒産したのではないだろう。

入り口の張り紙を見ると。

「新年は3日から」

とある。
おー、なんてこった。
子供の頃に戻った感じがした。
スーパーマーケットとは元日から営業しているものと思っていたが、元日はおろか2日も営業していない店が出現している。
まるで私の子供の頃のようなのであった。

高校1年のとき。
友達と4人ほどで初詣に初めて京都へ出かけた。
京都と言っても大阪からなので当然旅行ではない。
少し遠出の初詣。
しかも男の友人ばかりの初詣なので、今になってみればなんでこんなに色気のない初詣をしてしまったのか大いに悔やまれるところだ。

移動は京阪電車。
下車したのは当時京阪の最北ターミナルだった京阪三条駅。
お参りしたのは定番の平安神宮であった。
なんで八坂さんや北野の天神さんを選ばなかったのかというと、知らなかったというのが正しい。
京都の神社といえば勝手に平安神宮になっていたのだった。

で、大勢の人に混じって平安神宮に初詣をしたあと四条河原町で昼でも食べようということになった。
腹が減っていたのだ。
考えてみれば高校一年生という色気よりも食い気だったのかも知れない。
しかもどいつもこいつも私を含めてモテそうな奴は一人もいなかった。
後に全員結婚できたのは奇跡だったのかも知れない。

そういう連中で訪れた四条河原町。
困ったことがわかった。
開いているお店がまったくない。
昼を食べるにもどこもかしこも「正月休み」。
今のようにチェーン店の飲食店が繁殖していることはなく、京都なので個人事業のお店が多い。
したがってお店の人もお正月であって店なんかやってなかったのだ。

まさか正月の京都の中心部でひもじい思いをすることになるとは予想しなかった。
観光客はどうしていたのか。
旅館の飯で生きながらえていたのか、ただ単に高校生の我々が開いている店を見つけることができなかっただけだったのか。
定かではない。
で、やっと見つけたのがマクドナルド。
マクドナルドは当時も年中無休だった。
仕方がないので新年早々マクドのハンバーガーで腹を満たせて大阪へ戻ったというのが初めての京都での初詣なのだった。

今回、2日に休業していたスーパーマーケットを見て思い出したのが昭和な京都での新年の風景。

そんな話をしていたら学生時代をフランスで生活していたカミさんが、
「フランスのクリスマスのほうがすごいで。店、パン屋以外はまず開いてないから、そらもう一人暮らしは、大変寂しい」
と。
「プランタンとかのデパートはやってんやろ?」
「そんなん、やってないよ。みんな休み。クリスマスやから」

休日というのはそれほど重要なものであることを今回再認識したのであった。


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新年の初お出かけは「せんなんロングパークのスタバでお茶」なのであった。

ここ泉南ロングパークは関西空港の対岸に位置する長〜〜〜〜い、海辺の公園だ。
対岸と言っても淡路島ではなくもちろん大阪側。
ここにはコテージ、地産マーケット、レストラン街、スポーツ施設があり季節を問わずに大勢の人々で賑わっている。

とりわけここにあるスターバックスは全国で唯一水着のままで入ってくることができるスタバのお店だという。
昨年は残念ながら新型コロナのために水着での入店はできず、お店のすぐ前のビーチも遊泳禁止になってしまっていた。
それでも広い前面ガラスの窓からは海が一望でき、沖合には関西空港の全景。
飛行機の離発着を眺めながらいただくコーヒーはなかなかおつなものがある。

ここ付近の大阪湾の海はとっても美しく天気が良いと底が見える。
堺生まれの私の母は子供の頃、浜寺公園の白砂青松の浜辺の話を時々してくれたものだが、戦前のその風景には負けるかも知れないが大阪の海は随分ともとの姿を取り戻しつつあると感じることのできる場所でもあるのだ。

ここは夕日タイムがベストかもしれないが、朝もなかなか良い。
朝の陽光が関空のターミナルビルの銀屋根に反射して、それはそれで美しい光景が広がる。
遥か彼方には明石海峡大橋の壮大な姿も拝むことができる。

公園はシンプルで美しく整備されていて、犬を連れて散歩をする人、自転車で走る人、スケートボードをする若者たち、などなど。
まるでテレビドラマに出てくるアメリカ西海岸の風景を彷彿させる明るさと暖かさがある場所なのだ。

道路を挟んで陸側には大きなショッピングモールがあるのだが、そことは少し隔絶された世界でもあり、それがまたナイスなのだ。

ということで新年最初の朝の一時は海を眺める一杯のソイラテでスタート。
大阪とは思えない大阪の素敵な風景。
ほんわりする一時なのであった。


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大晦日の紅白歌合戦をテレビで観ていて奇しくもミュージシャンをアーティストと呼ぶ理由がわかった。

テレビやラジオを視聴していると音楽がかかるとき、歌手やバンド、作曲家、作詞家のことを「アーティスト」と紹介されることが多い。
私はそういう呼び方を耳にしてから違和感いっぱいで、なにをもってして音楽関係者を「芸術家」としなければならないのか理解できかなった。

演歌歌手がアーティスト?
アイドルグループがアーティスト?
オーケストラがアーティスト?

なんじゃいそれ?
しっくりこんな。
という感じだった。

で、先日の紅白歌合戦。
テレビでこれを観ていると、というか聴いていると出てくる連中のほとんどを私は知らないことに驚きを覚えた。
いかに世間から隔絶した生活を私は送っているのだろうか。
たはまた世の中に関心を払っていないのだろうか。といささかびっくりしたのだった。

「知らへんのはお父さんぐらいやで」

とカミさんは指摘する。
しかし聴いたことがないことには間違いなく、オープニングの郷ひろみ以降、松平健まで完全にアウェーの状態に置かれてしまった。
誰が出てきて何と歌っても、私には新人発表会とほとんどかわらなかったのであった。

しかしそれだけに「聴くことの質」に関してはかなり公平な判断が付いていた。

まず、これら私の知らない出演者たちにはある特定の傾向があることがわった。

その1:単品のアイドルがいない。

アイドルといえば昔は単品が常識なのであった。
私の時代、山口百恵でも桜田淳子でも、その後の松田聖子にしろ小泉今日子にしろだいたいが単品歌手でグループではなかった。
グループもいたにはいたが、ピンクレディやキャンディーズを除き、特別に秀でた人はいなかったように記憶している。
しかも一人分のインパクトは小さくなく、今のAKBだか日向坂だかなど大集団に圧勝の華やかさがあった。
もしかすると家電や薬と同じようにアイドルの世界も量販になっているのかも知れない。

2:ビジュアル重視

見た目が重視で明らかに歌が二の次であることもわかった。
派手な衣装。
奇異な踊り。
コンピュータ画像や最新の照明設備を駆使したセット美術戦略。
したがって映像のないラジオで聴いていると単なるどんちゃん騒ぎに聞こえてしまう。
一体あれは何なんであろうか。

3:歌詞が聞き取れない

かつて五木寛之がさだまさしの歌詞を取り上げ優れた日本文学であると評したことがあった。
今の歌は歌詞の意味がどうのこうのという以前に何を言っているのか聞き取れないことが多い。
したがって文学どころではない。
発音は外国語のようなイントネーションとよくわからない滑舌の日本語。
日本語であると認識するまで少し時間がかかることもある。
そして頻繁に交じる外国語の単語。
初めてサザンを聴いた高校時代。
桑田佳祐の歌い方は「ありゃなんじゃい」と思ったことがあったが、むしろそれは今やノーマルだ。
しかもたまに聞き取れたらどんなうたも相手を呼ぶ呼び方が「君が」「君が」「君が」でほとんど同じ歌詞のような様相を呈している。

4:そもそも歌がへたくそ

紅白歌合戦ではなく「NHKのど自慢」だったら鐘1つの歌が続出する歌唱レベル。
これには参ってしまった。
あるシンガーは「愛を込めて歌います」といった。
だから期待して耳を傾けていたら声は出ていないわ、かすれているわ、甲高いわ、何を言っているのかわからないでズッコケたのであった。
ある者はソウルミュージック風のバラードを歌い始めたのだが、はやり声が出ていなくてマイクを持っていない方の手の動きだけが米国の著名シンガーのような振り付けで動きつづける。
盛り上がりの部分でも基本ができていないらしく音程が微妙にずれているし、声に伸びがない。
カラオケ大会の様相を呈してきたと思った。
つまり格好だけ洋楽のトップスターをモノマネしたソウルシンガーやラップミュージシャンが紅白に出ているというわけなのであった。

司会の大泉洋が歌い終わった歌手に対して、
「いや〜〜〜〜、感動しました!」
と言ったとき、カミさんが一言。
「心にもないことを言わなあかん商売なんやな〜」

要はシンガーともアイドルともミュージシャンとも言いにくい、そんな人達なのだ。
だから十把一絡げで「アーティスト」とボカして呼んでいるのだろう。
芸術家も舐められたもんである。

なお、東京国際フォーラムから中継ということだったが、あちこち別の場所からも頻繁に中継されるため紅白歌合戦を観ているというよりも、どちらかというと往年の「ザ・ベストテン」を観ている感覚に陥ってしまったのは私だけだろうか。
次回から司会は久米宏と黒柳徹子にしていただきたいと思うNHK紅白歌合戦なのであった。






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明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

さてさて、令和4年がスタートした。
コロナが収束していない中であちこち混雑が始まっているので我が家では初詣は年末に済ませてきた。

我が家は毎年、大阪府堺市にある「方違神社」にお参りする。
ここは私の生まれた場所に最も近い神社で南海高野線堺東駅から至近距離にあり至極便利でもある。
名前の通り、ここは古より街道の分岐点だった。
東へ向かうと奈良の都に通じる長尾街道と竹ノ内街道があり、南東へ向かうと熊野街道、高野街道。そして南北方向へは紀州街道が通っていてまさに方向を変える分岐点にあたる。
ロケーションも堺の旧市街の東側に隣接し、堺市街からすぐの坂を上がった丘陵部の海に最も近いところに位置している。
すぐ南側には反正天皇陵があり、少し離れて仁徳天皇陵がある。
古代、大阪湾から眺めるといくつもの巨大墳墓とともに、この神社があったわけだからその歴史的な位置は小さくないと思う。
徳川家康や平清盛がお参りした記録があるだけでなく仁徳帝も参詣されたと伝えられている神社だけに歴史は非常に長いのだ。

とはいえ、堅苦しさはまったくなく、気軽にお参りできる地元の神社。
お賽銭を投げ入れ、パンパンッ、と柏手を打ってお願いごとをしたのだった。

年末なので初詣といっても屋台はほとんどなかったが私達と同じような人たちが先行参詣していて境内はそこそこな人出だった。
おみくじを引くと、まあまあのご宣託。

令和4年は少し早くスタートしたのであった。


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