<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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正月2日の夕方。
買ってあったお酒を飲み干してしまったので、もう一本買おうと近くの食品スーパーへ出かけた。
で、驚いた。
なんと正月2日というのに休んでいるではないか。
年末ここを訪れるとごった返すような賑わいでレジに10分以上並んだから、きっと倒産したのではないだろう。

入り口の張り紙を見ると。

「新年は3日から」

とある。
おー、なんてこった。
子供の頃に戻った感じがした。
スーパーマーケットとは元日から営業しているものと思っていたが、元日はおろか2日も営業していない店が出現している。
まるで私の子供の頃のようなのであった。

高校1年のとき。
友達と4人ほどで初詣に初めて京都へ出かけた。
京都と言っても大阪からなので当然旅行ではない。
少し遠出の初詣。
しかも男の友人ばかりの初詣なので、今になってみればなんでこんなに色気のない初詣をしてしまったのか大いに悔やまれるところだ。

移動は京阪電車。
下車したのは当時京阪の最北ターミナルだった京阪三条駅。
お参りしたのは定番の平安神宮であった。
なんで八坂さんや北野の天神さんを選ばなかったのかというと、知らなかったというのが正しい。
京都の神社といえば勝手に平安神宮になっていたのだった。

で、大勢の人に混じって平安神宮に初詣をしたあと四条河原町で昼でも食べようということになった。
腹が減っていたのだ。
考えてみれば高校一年生という色気よりも食い気だったのかも知れない。
しかもどいつもこいつも私を含めてモテそうな奴は一人もいなかった。
後に全員結婚できたのは奇跡だったのかも知れない。

そういう連中で訪れた四条河原町。
困ったことがわかった。
開いているお店がまったくない。
昼を食べるにもどこもかしこも「正月休み」。
今のようにチェーン店の飲食店が繁殖していることはなく、京都なので個人事業のお店が多い。
したがってお店の人もお正月であって店なんかやってなかったのだ。

まさか正月の京都の中心部でひもじい思いをすることになるとは予想しなかった。
観光客はどうしていたのか。
旅館の飯で生きながらえていたのか、ただ単に高校生の我々が開いている店を見つけることができなかっただけだったのか。
定かではない。
で、やっと見つけたのがマクドナルド。
マクドナルドは当時も年中無休だった。
仕方がないので新年早々マクドのハンバーガーで腹を満たせて大阪へ戻ったというのが初めての京都での初詣なのだった。

今回、2日に休業していたスーパーマーケットを見て思い出したのが昭和な京都での新年の風景。

そんな話をしていたら学生時代をフランスで生活していたカミさんが、
「フランスのクリスマスのほうがすごいで。店、パン屋以外はまず開いてないから、そらもう一人暮らしは、大変寂しい」
と。
「プランタンとかのデパートはやってんやろ?」
「そんなん、やってないよ。みんな休み。クリスマスやから」

休日というのはそれほど重要なものであることを今回再認識したのであった。


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