<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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野球がメジャーなスポーツな日本と米国。
どちらの国も熱狂的なファンが存在し、世代を超えた話題を提供してくれる。
子供の頃は誰もがボールとグラブとバットを握ったことがあり、プロ野球があり、時代を代表する選手がそれぞれの世代に存在し、自分たちの青春をそれぞれお気に入りの選手に映しだし語ることができるのだ。

とりわけ野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースに入団してから、その差はさらに小さくなった。
日本人にとって日本のプロ野球と米国のメジャーリーグを並行して語ることができるようになったことは、少なくとも日米の間の野球における長い国境時代が無くなったということができるかもしれない。
日本と米国が同じ選手の名前を共有し、パブなどで語り合える時代がやってきのだ。

これだけ野球文化が盛んな2つの国で、絶対的に異なる野球の文化が存在する。
野球映画。
米国にはあって日本にはない文化が、優れた野球映画ではないだろうか。

クリント・イーストウッド主演の最新作「人生の特等席」はメジャーリーグの老スカウトマンと、彼を取り巻く娘、友人、若きライバル、宿敵などとの関係を描いた爽やかな野球ドラマなのであった。

米国の野球映画には優れたものが本当に多い。
古くはゲーリー・クーパーの「打撃王」。
ルー・ゲーリックの半生を描いたモノクロの映画はいま見ても新鮮な野球映画だ。
40代以上の人々には必ず記憶に残っているであろう、ケビン・コスナーの「フィールド・オブ・ドリームス」。
野球へのオマージュに涙した人も多いことに違いない。
小品ではロバート・レッドフォードの「ナチュラル」やトム・ハンクス、マドンナたちが主演していた「プリティ・リーグ」。
コメディではとんねるずの石橋貴明が出演した「メジャーリーグ」シリーズ。
などバラエティに富んでいる。
そしてどれもこれも素晴らしい作品で野球を楽しめることはもちろんのこと、野球を取り巻く人々のドラマが爽快に、ある時はダークに深く描かれているのが特長だ。

それに対して日本には野球映画がほとんど存在しない。
野球漫画や野球アニメは存在しても、世代を超えて楽しめる、語り続けることのできる野球映画がほとんどない。
この違いはなんだろう、
「人生の特等席」を見たあとに感じたのは、この野球に対する想いが、実は日米では大きく異なるのではないかということなのであった。
映画の中で描かれる老スカウトマンの超アナログな思考は、データ重視の日米の野球を皮肉っているのだが、そのアナログな部分の魅力は日本ではなかなか描けない素朴な野球への愛情のようなものが感じられ、野球文化の違いを見る思いがしたのであった。

根性の日本野球。
感性の米国野球。

野球文化を通じて人生とは何か、を感じることのできる爽やかなアメリカ映画なのであった。

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出張の朝。
私は浅草にある某ホテルで目を覚ました。

「ハラ減ったな.....。」

私の場合、モーニングコールも、目覚まし時計も必要なく、朝は爽やかに空腹感で目がさめることが多い。
ジリリリリリリっと時計が鳴る代わりに「くう~~~」と腹がなるのだ。
幸いにも、ホテルでは朝食が用意されており、午前7時から好きなときに好きなだけ朝食を楽しめるブレックファースト・バイキングが待っている。
私はボサボサのアタマにユニットバスの蛇口を捻って手に水をすくい、ペチャペチャペチャとトニックの代わりにアタマにふりかけ髪を整える。
ズボンを履き、シャツを着て、スリッパから革靴に履き替えると部屋のキーを持って廊下へ出た。

廊下は部屋の中と違って冷たい空気に包まれ、エレベータ付近からは1階のレストランの食事の香りが漂いだしてくる。
廊下の両端は非常用階段になっていて全面ガラスの扉がついている。
その東の扉から朝の日差しが差し込んできて廊下のカーペットを照らしている。

「晴れかな....」

夕方雨が振って、慌てて駅前のコンビニで傘を買ってホテルに入ると、翌朝雨が上がって快晴のことが少なくなく、何のために傘を買ったのか悔やまれることが多いが、今日はそういう朝なのであった。
今日は都内をあっちこっち歩きまわらなければならないので天候が気にかかるが、この様子では快晴かな。
と思って朝の陽射し黄金色に差し込むドアの方に歩み寄ると、なんと、あのスカイツリーが目の前にそびえ立ち、その丁度向こうから太陽が登っていく景色が目に飛び込んできたのだった。

「すごい!シャッターチャンスや!」

と慌てて部屋に取って返し、鞄からデジカメを取り出すと一目散に非常扉に向かって走ったのであった。
この時、危うく部屋のキーを室内に残すところで、部屋に戻れないというシュチュエーションに陥るところなのであった。

この時撮影したのが上の写真。

私はスカイツリーはとりわけ特別な建築物という感じがせず、東京なら東京タワー、大阪なら通天閣か太陽の塔というのが大都市を代表する「タワー」なのではないかと今も思っている。
スカイツリーは完成前に地上350mの下の方の展望台まで上がる機会を得て、実際に上がってみたのだが、天候が曇りであったことも手伝ってあまり感動を覚えず、

「これやったら、台北の台北21やシカゴのシアーズタワーのほうがええわ」

と思ったものであった。
台北21では近くの松山空港を離着陸する飛行機が目線より下に見えたのが感動的で、シアーズタワーでは碁盤の目になったシカゴの街の美しさに魅了されたのであった。
スカイツリーは錦糸町のビル群が間近に見えることに若干驚きを感じたものの、浅草の浅草寺や上野公園などがあまりに小さく見えすぎて感動もそこそこなのであった。

ところが、この朝のスカイツリーの壮大なこと。

スカイツリーは登るものではなく、見るものであると理解した朝なのであった。
従って4500円も支払って登り必要は無い、とTDLとスカイツリーに行きたがっている娘に言い聞かせる私なのであった。
なおTDLについては「あればUSJと一緒のアメリカがやっている遊園地で同じ。運営している映画会社が違うだけや」と言っては顰蹙を買っているところである。

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