セナの事故後に再開されたレースでは、ウィリアムズ・チームのもう一方のFW16、デイモン・ヒル車のパワー・アシスト装置の機能を解除して出走させた。そして、レース終了後、クラッシュ直前のマシンの挙動が問題視された。事故死かチームのマシンの整備不良等の過失責任が原因なのか司法の手による裁判が開かれた・・・。
問題の事故車FW16は、すぐに検察当局に差し押さえられた。しかし、車に搭載されたテレメトリーは、事故直後にFIAの許可を得た上でマシンを製作したウィリアムズ・チームの手に渡っており、そこで事故原因を究明が行われた。事故から2週間も過ぎてから、イタリアの検察はインターポールを要請し、フランス警察がルノー本社に出向いて押収することでそのテレメトリー・データを手に入れる。ただ、テメレトリー・ボックスはコネクターが破損しており、直接情報を取り出せなかったため、押収できたのはデータがセーブされたメモリーであった。
1997年2月20日から始まった第一審公判の被告席に立ったのは、ウィリアムズ・チーム、グランプリ主催者(FIA)、およびサーキットを運営する会社(SAGIS)から以下の6名である。
(ウィリアムズ・チーム)
フランク・ウィリアムズ チーム代表
パトリック・ヘッド チーム・テクニカル・ディレクター
エイドリアン・ニューウェー 元チーム・マシン・デザイナー
(FIA)
ローランド・ブリューインセラード FISA安全委員
(SAGIS)
フェデリコ・ベンディネッリ 社長
ジョルジョ・ポッジ サーキット・ディレクター