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彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国のゴミ回収の様子―分別回収の無い大量のゴミはどうなるんだろう―

2016-05-02 09:42:43 | 滞在記

 中国では、ほとんどのところで「ゴミの分別」回収というものがない。(※上海などの一部地域では「分別回収」が行われ始めたようだが)
 私の住んでいる福州も、「生活ゴミ」は全て分別せずにゴミとして出す。宿舎の近くにゴミを出す場所がある。青い大型ポリバケツだ。ここにゴミを置く。ゴミは「紙類・野菜や肉類などの食べ物・植物類」などのあらゆる燃えるゴミ、「金属類・ガラス類・岩石」などの燃えないゴミ、「ビニール類など」の燃やさないゴミ、「電池・液体類」などのゴミ、「本棚やベットや電気製品」などの大型ごみ、そして「ペットボトル・缶類・段ボール」などの資源ゴミや生ゴミなど、ありとあらゆるものが一緒に捨てられる。
 小さなポリバケツには当然入りきらず、付近にゴミが無造作に放り散らかされている。そして、毎朝7時すぎに 「清掃・ゴミ回収」の人が集めに来ている。自転車で引く「ゴミ回収」の車で来る。「ペットボトルや缶類、段ボール」などは、時には近所の人が 置かれたゴミの中から集めて、資源ごみ屋に持って行き「小遣い稼ぎ」としている。私などは、やはり日本のゴミ出しの習慣が身に付いているので、最低「燃えるゴミ」と「資源ごみ」を分けてゴミ置き場に置いている。そうすると、数時間もせぬうちに「資源ごみ」はだれかが持っていっている。
 「段ボール」などの資源ごみを集める商売をしている人も、毎日やって来る。リヤカーを引き、哀愁のある呼び声を連呼しながら「ダンボ―ル・衣服などはないか。」と廻っている。リヤカーの入らない通路や場所には、大きな袋を持って歩き廻り、集めながら生活をしているのだろうな。

 福建省の省都「福州市」は、人口約700万人。面積は大阪府より大きい。市の中心地域(市街地)に約200万人が暮らしている。ゴミは分別されずに集められてどうなっていくのだろうか。大量の「家庭・会社・工場・学校・市場・商業施設・食堂」などから出される、大量の「生活・業務」の「分別されていないゴミ」。どう処理されるのだろうか。
 町の通路・道路などには、これも大量のゴミが無造作に捨てられる。ゴミ箱はいたるところにあるのだが、目の前にゴミ箱があっても「ゴミをポイ捨てする」人が、かなり多い。それは、女性も男性も。老若男女、ゴミ捨てを平気でする人がかなりの比率でする人が多い。(50%ぐらいかな)
 2日前、女子高校生が三人、売店でLサイズビニールコップでジュースを買って飲んでいた。飲み残しのあるコップを後ろ向きに道路に捨てた。このコップが通行人に当たって文句を言われていた。さして、悪いと言う様子も見られない。「失敗したな」という感じ。あとの二人はどうするのかなと思って様子をながめていたら、やっぱり 道路にポイ捨てをしていた。一事が万事、こんな様子が日常的にみられる中国人と中国社会。
 露店や、食堂、市場、散髪屋などに行くと、多くの店は 店から出たゴミを前の道路に捨てている。(市街地の中心地の店は、あまりそのようなことはしない。)
 このようにして、一日の終わりが近づく夕方8時頃には 町はゴミが散乱する状況となって一日が暮れきる。

 この福州市には、何人の「ゴミ回収・清掃人」がいるのだろうか。何千人ではきかないだろう。おそらく何万人もいるのではないだろうか。担当する地区を毎日清掃したり、ゴミを集めている。「中国式の大型竹ぼうき」を使って、捨てられたゴミを掃き集め、回収して行く。早朝から仕事を始めるので、朝の8時頃には 昨夜の大量のごみが集められ 道路は 一応きれいになっている。そして、夕方までには再び大量のごみが散乱している。 毎日この繰り返しが中国社会だ。もし、この清掃員がいなければ、一週間で 道路は通行ができにくくなるほどのゴミが大量に散乱する状況になるだろう。

 上記の写真は、ダンボールなどの資源ごみや市内のごみを集める人達だが、これらの何万人の人たちは、ゴミが大量に捨てられる中国社会だからこそ仕事があるわけでもある。

 ゴミ収集車は、日本のように中型トラックのゴミ収集車ではない。おもに三種類がある。上記の写真の左から①三輪自動車型ゴミ収集車②バイク型ゴミ収集車➂自転車型ゴミ収集車だ。そしてもう一種類は、人力だけのゴミ収集車だ。

 上の写真は、福建省三明市尤渓町の町並みと「町のゴミ集積場」だ。尤渓町の各町内から集められたゴミがここに集められる場所のようだ。ここに集められたゴミは、さらにトラックでゴミ処理場に集められるのだろう。ゴミ処理場といっても、その多くは燃やされもせず、積まれて山のようになっているようだ。あまりに大量のゴミが集まるため、「ゴミを燃やす(燃えるゴミも燃えないゴミも一緒に燃やす)」のも、施設の貧弱さと量の多さによって限界があるようだ。
 このようなゴミ処理の状況は、中国だけの話ではない。アジアの多くの国がそのようである。ただ、中国は 人口の多さや消費量の多さが他国を圧倒しているだけの話である。かって、2004年~2006年にかけて、フィリピンに何度かいったことがある。マニラ市のドント地区というところがあり、「アジア最大のゴミ集積場」があり、山のようになっていた。「スモーキィ・マウンティン」(煙の山)の名の通り、ゴミが発酵して煙がたなびく場所でもあった。このゴミから資源ごみを探し生活する人が2万人あまりいた。
 日本のゴミ分別の習慣は、中国人にしてみれば驚きの一つだ。中国から日本に来た留学生も、「分別の知識」がまったくないから、当惑していた。「なんでこんなことしなければ いけないのか。理解ができないし、めんどうくさいです。」とこぼす。
 しかし、この習慣も一夜にして日本人に身についたものではない。日本政府は1980年より、ゴミの分別を始め、その制度を継続して整備してきた。その間に、国民(市民)がゴミを分別し、それを回収、資源を再利用するという安定したサイクルを形成したのだ。
  建設残土がビルの20階相当まで山のように積まれ、それが崩壊し、大勢の犠牲者を出した「土砂崩壊」が昨年の12月に広東省深圳市で起きた。大量の建設残土や大量のゴミがうず高く都市の周りに置かれている中国社会。ゴミの「平気なポイ捨て」という民度(公共マナー)の低さとも相まって、このような環境に対する意識が高まるまでに、今後 少なくても十数年以上はかかるだろうと思われる。






 








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