彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本三大、大学自治寮➊京都大学「熊野寮」「吉田寮」、北海道大学「恵迪寮」―バンカラ伝統も

2022-10-19 10:17:52 | 滞在記

      上記写真は、京都大学吉田キャンパス本部エリア

 日本には780余りの大学がある。そのうち600余りは私立大学で、180余りが国公立大学だ。私の息子や娘が大学に入学したり卒業した2000年代の10年間、伝統的な建築群もありキャンパスが美しいと言われる大学を中心に約150箇所余りの大学を見て廻ったことがあった。そして、私なりの「日本の大学ランキング・ベスト50」を作成してみたりもした。評価ランキング作成の観点は、「①その大学のキャンパスの光景[建物群含む](40%の得点)、②その大学の難易度[偏差値など](20%の得点)、③その大学の周囲の環境[都市環境など](10%の得点)、④その大学の学問性の高さや自由度(30%の得点)」

 その4つの観点から、私なりの大学総合評価ランキングの第一位は京都大学、第2位は東京大学、第3位は北海道大学、第4位は早稲田大学、第5位は一橋大学、第6位は同志社大学、第7位は東北大学、第8位は奈良女子大学、第9位は東京工業大学、第10位は慶応大学だった。

   11位~20位には、関西学院大学、御茶ノ水女子大学、神戸大学、大阪大学、名古屋大学、立命館大学、九州大学、青山学院大学、岩手大学、帯広畜産大学などが入る。②の超難関大学の中でも、例えば、大阪大学・名古屋大学・九州大学などは、①があまりよくない。また、②の難関大学の中でも、例えば、明治大学や法政大学などの①は、まるで一流企業の都心の高層建築のようで、大学という雰囲気はほとんど感じられないので論外となり、ベスト40にも入らなかった。

 2009年1月6日付の朝日新聞に、「日本一のキャンパス 大志ここに」という見出し記事が新聞の1ページ全体を使って掲載されていた。約1万人余りからのアンケート結果をもとに、「日本一だと思うキャンパスベスト10」が掲載されていた。それによると、1位は北海道大学[札幌](4105人)と圧倒的。続いて、2位は東京大学[本郷](2833人)、3位は早稲田大学[早稲田](1405人)、4位同志社大学[今出川](1228人)、5位慶応大学[三田](872人)、6位関西学院大学[西宮上ケ原](797人)、7位青山学院大学[青山](685人)、8位立命館大学[衣笠](662人)、9位一橋大学[国立](635人)、10位東北大学[片平](557人)となっていた。まあ、このベストテンの大学は、①のキャンパス光景はなかなかのものだ。だが、慶応大学の三田キャンパスに実際に行くと、伝統的な何棟かの建物群は素晴らしいが、あまりのキャンパスの狭さにはちょっとがっかりもした。

 さて、この新聞記事のベスト10には、京都大学[吉田]がないではないか。これは、なぜだかまったくわからない?!私が見た150余りの大学キャンパス光景の中では、まあ、北海道大学に次いで、東京大学とともに美しく、且つ、優れた広いキャンパス光景だ。記事が故意的に間違っているのではないかと思ってもしまう。

 さて、話しは少し変わるが、日本全国の大学の学生寮の中で、現在もなお学生(寮生)たちによる寮の自治運営の伝統が残る(守られている)大学寮が三つ、日本にはある。この三つともに、今なお、バンカラ的雰囲気や一種のアホさ、バンカラ的雰囲気が濃厚に、カオス的に、そしてその汚さでも、伝統的に保たれている学生寮である。京都大学の「熊野寮」と「吉田寮」、そして北海道大学の「恵迪(けいてき)寮」の三つの学生寮である。

 私が勤務する中国福建省の閩江大学3回生の呉文潤沢君がこの10月から京都大学に1年間国費留学生として来日することになったので、おそらく大学の寮に入るのだろうと思い、8月下旬、久しぶりに、今の「熊野寮」と「吉田寮」はどうなってるんだろう?と、行ってみることにした。実は、私は大学1回生の時(1970年代前半)にこの「熊野寮」に2カ月間ほど暮らしていたことがあった。(■呉君の国費留学先は、「①東京大学、②東京外国語大学、③京都大学、④大阪大学」があった。この中から留学先希望大学に、1位から4位を選択し、国費留学試験に臨んだ。呉君から4月上旬に、「先生、どの大学がいいですか?」と問い合わせがあったので、「京都大学が一番いいですね」と返答していた。)

 1070年代の前半当時、学生紛争がまだくすぶり続け、熊野寮は新左翼と呼ばれる学生運動団体の有力拠点の一つのようで、60歳代かと思われるおじいさんなど、得体の知れない人たちもたくさんこの寮で暮らしてもいた。私がしばらく暮らした雑然とした足の踏み場もあまりない寮室は、私を含め5人が同居していた。寮費は月に1000円ほどだった記憶がある。2カ月間あまりでこの寮を出て、その後、平安神宮近くの2畳部屋(5000円の家賃)に1年間、そして、銀閣寺に隣接した4畳半部屋(1万5000円の家賃)へと引っ越しをした。

 この銀閣寺隣の下宿部屋からは、吉田山がよく見えて環境抜群だった。隣の部屋の新左翼らしい京都大学フランス文学科の学生は、警察に逮捕されて、この部屋を去っても行った。国宝の銀閣寺に夜に数人で山の方から忍び込み、足利義政ゆかりの井戸のある場所で、京都の夜景を見ながら一升瓶で酒盛りをしたことも2度あまりあった。いわゆる、「真面目だが、アホなことも、けっこうする学生」でもあった。当時の右翼的学生から新左翼的な学生たちまで、さまざまな考え方をもつ学生たちとの交流があった学生時代でもあった。

 まあ、そんな思い出もある熊野寮構内や建物内にこの8月28日(日)の午後3時頃、数十年ぶりに入ることとなった。この日たまたま、熊野寮は「くまの夏の夜まつり」という夏祭りを開催していた。午後3時から午後9時までの開催らしい。寮構内には、おびただしい数の学生たちの自転車置き場。懐かしいなあと思った‥。

 寮の近所の理髪店の窓にも、「くまの夏の夜まつり」のポスターが貼られていた。祭りは始まったばかりの時間帯だったが、若い女性たちや子供連れの一般人たちも祭りに来ていた。祭りの行われる寮構内の小さな広場(空き地)には、音楽を演奏するステージや盆踊り的な櫓(やぐら)なども組まれている。

 屋台テントも10棟ほどできていて、例えば、スマートボールなどの遊技台には親子で興じる姿なども‥。祭りに合わせた熊野寮オリジナルTシャツグッズなども売られていた。スマートボール台の横には、「2022年度の流行語"マスク詐欺"―どっか良い男はいないかしら—」の紙が貼られていた。

 寮は4階建てのA棟・B棟・C棟の三棟があり、さらに食堂棟がある。寮の正面玄関の横に、灰皿の置かれた屋根付きベンチがあり、ここにいた数人の学生たちと喫煙しながら話をしながら、現在の寮での暮らしのことなどを聞いた。一人の寮生とは、さまざまな政治・経済、世界情勢などの話を20分間くらいにわたって話をしたが、最近の学生にしてはこれらの話題に関心も高く、知的レベルも高いかなりの勉強もしているなあと感じる学生だった。

 懐かしい食堂棟に入る。40年ほど前の熊野寮の雰囲気や様子とさほどの違いは感じなかったというか、あの頃のままにほぼ近いことに驚いた。まず、食堂入り口には、学生帽子に白衣を着た学生らしい人の同寸大の人のパネル。「玄関まわりの不穏な政治的看板は、この男が書いています。苦情はお気軽に。愛と誠実。」と書かれた紙をもって立て掛けられている。その横には、「中核派の革命的見解です」と書かれた見出し記事の大きな立て看板。今時にもこんな大学寮があるんだとと改めて驚かされる。

 食堂棟内部に入って行くと、熊野寮の年間のスケジュールや行事が書かれた貼り紙、「"前進"を読もう—食堂で読む会を毎週火曜日19:00~19:55開催」「安倍国葬粉砕」の一面見出し記事の、中核派の機関紙「前進」などが貼られている。まあ、雑然とした雰囲気だ。ソファーの周囲には何本ものギターが置かれ、本や雑誌なとも雑然と置かれている。

 フロアーには、ここの寮生ではない40代〜50代くらいの人たちが数人バンド演奏をしていた。部屋のある廊下には、冷蔵庫やレンジなどが所狭しと置かれている。トイレはペンキでの落書きだらけ。

 共同洗面所や共同台所はまだきれいか‥。なにか怪しげな▲型鉄骨が置かれた、防火水槽用の池。私は当時、このB棟の2階に住んでいた。この熊野寮が設立されたのは1965年。当初、男の学部生だけの入寮だったが、現在は女子学生も、大学院生も留学生も入寮が認められているようだ。京都大学に学籍を置く全ての学生に入寮の門戸が開いている。

 入寮に関する審査や寮運営などは、寮の自治委員会組織が担ってもいて、今もなお大学寮の自治は40年ほど前と同じように健在だ。現在の寮費は月に4100円(光熱費・ネット代金・水道費込み)。京都大学の寮としては、最大の400人余りが入寮していて、そのうち80人余りが女子学生。個室部屋はなく、ほぼ4人〜6人部屋となっているそうだ。寮の玄関付近の立て看板や貼り紙などを見ると、「中核派に支配された寮」のようなイメージを強烈に受けるが、そうではないようだ。一部の寮生は中核派の学生もいるようだが、寮生のほとんどは中核派とは無関係というか、一線を画しているようだ。だが、そのような中核派の存在が寮内にあることも容認しているのが、熊野寮の自治。犯罪に関与するものは認めないが、その他はなんでも容認するという寮自治の伝統は、ここ熊野寮には濃厚に残って(守られて)いた。

 2018年に出版された本に、『京都大学熊野寮に住んでみた—ある女子大生の呟き』(福田桃果著)[エール出版]がある。この書籍のブック帯には、「それは月4100円(光熱・水道代込み)で住むことのできる、京都大学の学生寮 圧倒的汚さと楽しさを誇る」と書かれている。

■この熊野寮の伝統的な年間行事の一つとして、京都大学の時計台のある本部棟建物の時計台に、学生たち数人が梯子を掛けて登るという、いわゆる「時計台占拠」というものが、脈々と数十年にわたって続けられていた。そして、大学側もこれを黙認してきた歴史がある。だが、昨年の2021年、大学側は、この時計台に登った学生数名を無期停学処分とした。この「くまの夏の夜まつり」の会場では、処分を受けている学生が、「処分撤回」を求める署名活動をしていた。日本一の学問の自由と自治を誇り伝統としてきていた京都大学も、現在変わってもきている。

 特に、その「自由と自治」が大きく変わって来たのが2015年頃からだ。当時、京都大学の学長だったのは、霊長類学者として名高い山極壽一氏(70)だった。彼は2014年から2020年までの7年間、京大の学長だったが、このような「自由や自治」といったことには関心がないようで、京都大学の周辺に置かれた多種多様な「立て看板」の撤去にも踏み切った。京都市民からは「京大はんらしゅうて、いい光景やわ」と惜しまれた立て看板だったのだが‥。

 さらに、彼は、京大学長を兼ねながら、日本学術会議の会長職ともなった。だが、「自由や自治」に関心のない山極氏の会長時代の2020年、「6名の任命拒否」を菅内閣は行った。これに対する抗議も、山極氏はほとんどしてこなかった。山極氏の後任の梶田会長(ノーベル賞受賞者)は、この任命拒否問題の撤回を岸田内閣に真摯に要求している。山極氏は、2021年に京都大学を退官し、現在天下り先として、京都にある「総合地球環境学研究所」の所長になっている。まあ、京都大学の歴代学長の中で、最も「大学の自由と自治」に無関心な、京都大学にふさわしくない人物だったと、私は思っている。 

 この9月下旬に「安倍元首相国葬」が行われた。この国葬実施には、国民世論が二分され、国葬間近の9月下旬の世論調査では国民の反対は7割近くにものぼった。こんな反対世論の中、東京を中心に反対のデモや集会が開かれたが、テレビの報道番組で久しぶりに中核派のデモというものを見た。40年前と同じように「中核」と書かれた白いヘルメットをかぶり「安倍国葬阻止!改憲・戦争の岸田を倒せ!」の横断幕を掲げ、スクラムデモをしていた。

 ■「中核派」とは

「革命的共産主義者同盟全国委員会」というのが「中核派」の正式組織名。「反帝国主義、反スターリン主義の旗のもと、万国の労働者よ団結せよ」をスローガンに掲げる。資本主義だけでなく、ソ連や中国の社会主義も否定する。警察は1960年代末から70年代にかけて、「連合赤軍」や「核マル派」などとともに「極左暴力集団」に指定し、その指導者や幹部などは逮捕されたり指名手配をされた。現在、「中核派」は、「非合法活動」とは決別したとの声明を出し、「合法活動」をしているとしているともされる。京都大学熊野寮には、数人の中核派メンバーがいるようだが、2021年6月には京都府警の機動隊数十人による「家宅捜索」が熊野寮に対し行われた。出入りしている中核派メンバーの一人の「免許不実記載」という軽微な罪状での捜索だった。

 まあしかし、現在もここ熊野寮のようすには、私自身、懐かしさとともに40年ほど前とあまり変わらないようすに、驚いた。あの汚さには、中国の大学での寮生活(4人〜6人部屋)に慣れてはいる国費留学生の呉君にとっても、この熊野寮への入居の推奨は難しく感じた。

 この日「熊野寮」見学を終えて、京都大学医学部や熊野神社近くにある「からふねや珈琲店」に入った。猛烈な暑さのこの日だったので、抹茶練乳かき氷を注文し、しばし休憩し、近くにある次の見学寮、京都大学「吉田寮」に向かった。

 

 

 


コメントを投稿