12月7日(土)、午前9時半から11時までの2時間、閩江大学外国語学部日本語学科1回生の「2109級日語系カラオケ大会」なるものが開催された。この日の2週間ほど前に1回生の授業を担当している中国人教員の邱先生から審査員として参加してくださいと頼まれたのでこの日 大学に向かった。
2019級というのは、2019年9月入学生という意味だが、日本語を学び始めてまだ3カ月あまりしか経っていない1回生たち。日本語の「あいうえお」や「アイウエオ」などの、ひらがな・カタカナを書いたり読んだりすることはほぼできているが、「私は〇〇です。」ぐらいの簡単な構文くらいしか話せない段階の学生たちばかりだ。それなのになぜ日本語で歌うカラオケ大会を実施するのか疑問にも思ったが、まあ、行くこととなった。
大学構内に4つある大学食堂の一つ・第一食堂の3階にある小ホールに行くと、司会担当らしい学生たちが、たとたどしく必死に日本、語会話文の発話練習をしていた。閩江大学の外国語学部は各学年(回生)英語学科5クラス、日本語学科2クラスで構成されていて、約800人が在籍している。日本語学科1回生は2つのクラスで40人あまりが在籍。
司会の挨拶から始まり、ステージに次々と登壇し、日本語の歌を歌い始めた。曲名は①「人間だった(「はるまきご飯歌唱カバー曲」)、②「夢灯籠」、③「風になる」、④「キャンパス」。1人で歌う学生もあれば2人〜5人で歌うグループもあった。
⑤「一休さん」、⑥「いつも何度でも」(ジブリのアニメ曲)、⑦「Sumer time」、⑧「僕らの手には何もないけれど」
⑨「君がくれたもの」、⑩「夕べは俺が悪かった」、⑪「釣り堀」、⑫「His/History」、⑬「アドレナリン」
⑭「Butter fly」、⑮「前前前世(ぜんぜんぜんせい)」、⑯「Rain」、⑰「星空のバラード」と17曲が歌われた。まあ、1回生のこの時期、みんな頑張って歌唱練習をしたのだろう。上手だなあというのが2曲ほどあった。「一休さん」の最初の出だし「好き好き好き好き一休さん」は、なかなか出だしがわからなくて、会場の爆笑をとっていた。
特別出演ということで、日本語学科の中国人教員の譚先生と邱先生が、日本語と中国語で、テレサ・テンの「時の流れに身を任せ」を歌ったが、とても上手だった。譚先生から1週間ほど前に「寺坂先生も歌を準備しておいてください」と言われていたので、沖縄の歌である「島唄」を歌った。
「島唄」は日本の居酒屋などでたまに歌うこともあった。「島唄」(The Boom)の作詞・作曲をして歌っている人によると、この歌は、23歳頃に初めて沖縄を訪れ、「第二次世界大戦の末期にアメリカ軍に包囲され侵攻され、ガマで集団自殺をした沖縄の人たち」の生き残りのおばあさんから話を聞き、作詞作曲したものだった。「千代にさよなら」「八千代の別れ」などの歌詞は「君が代」の歌詞からとったものだった。
―島唄―
一、デイゴの花が咲き風を呼び嵐が来た デイゴが咲き乱れ風を呼び嵐が来た 繰り返す悲しみは島渡る波のよう
ウージの森であなたと出会い ウージの下で千代にさよなら 島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ 島唄よ風に乗り 届けておくれ私の涙
二、‥‥‥‥
私が暮らす福建省福州と尖閣諸島と沖縄の那覇は同じ緯度26度にあり亜熱帯性の気候。「島唄」の歌詞にあるデイゴは福州でもよく咲いている花だ。今、12月になっても、咲き残っているデイゴの花が大学構内にもある。今年の秋に、失火によって首里城の主殿の建物が全焼してしまった沖縄。沖縄の歴史を題材にした『琉球の風(上下)』著・陳舜臣を今読んでいる。1600年代初頭、島津氏の薩摩藩によって侵略され、その後、中国の明王朝や清王朝と日本の両国に従っていた琉球王国は、明治期になって日本領土としてなってしまった。そして、1945年4月から6月までの沖縄戦へと悲劇の歴史が続いた。
歌詞に「ウージの森」とあるが、これはサトウキビ畑のことだった。米軍から逃げ込んだガマ(洞窟)の近くのサトウキビ畑を「島唄」の歌詞は意味をしている。
沖縄の三大花といえば、「デイゴ」「ハイビスカス」「ブーゲンビリア」。ここ福州でもこの花々は多く咲き誇っている花だ。