彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本語学科1回生、「2019級日語系卡拉OK大赛」なるものが開催された―沖縄「島唄」のこと

2019-12-14 13:04:06 | 滞在記

  12月7日(土)、午前9時半から11時までの2時間、閩江大学外国語学部日本語学科1回生の「2109級日語系カラオケ大会」なるものが開催された。この日の2週間ほど前に1回生の授業を担当している中国人教員の邱先生から審査員として参加してくださいと頼まれたのでこの日 大学に向かった。

 2019級というのは、2019年9月入学生という意味だが、日本語を学び始めてまだ3カ月あまりしか経っていない1回生たち。日本語の「あいうえお」や「アイウエオ」などの、ひらがな・カタカナを書いたり読んだりすることはほぼできているが、「私は〇〇です。」ぐらいの簡単な構文くらいしか話せない段階の学生たちばかりだ。それなのになぜ日本語で歌うカラオケ大会を実施するのか疑問にも思ったが、まあ、行くこととなった。

 大学構内に4つある大学食堂の一つ・第一食堂の3階にある小ホールに行くと、司会担当らしい学生たちが、たとたどしく必死に日本、語会話文の発話練習をしていた。閩江大学の外国語学部は各学年(回生)英語学科5クラス、日本語学科2クラスで構成されていて、約800人が在籍している。日本語学科1回生は2つのクラスで40人あまりが在籍。

 司会の挨拶から始まり、ステージに次々と登壇し、日本語の歌を歌い始めた。曲名は①「人間だった(「はるまきご飯歌唱カバー曲」)、②「夢灯籠」、③「風になる」、④「キャンパス」。1人で歌う学生もあれば2人〜5人で歌うグループもあった。

 ⑤「一休さん」、⑥「いつも何度でも」(ジブリのアニメ曲)、⑦「Sumer time」、⑧「僕らの手には何もないけれど」

 ⑨「君がくれたもの」、⑩「夕べは俺が悪かった」、⑪「釣り堀」、⑫「His/History」、⑬「アドレナリン」

 ⑭「Butter fly」、⑮「前前前世(ぜんぜんぜんせい)」、⑯「Rain」、⑰「星空のバラード」と17曲が歌われた。まあ、1回生のこの時期、みんな頑張って歌唱練習をしたのだろう。上手だなあというのが2曲ほどあった。「一休さん」の最初の出だし「好き好き好き好き一休さん」は、なかなか出だしがわからなくて、会場の爆笑をとっていた。

 特別出演ということで、日本語学科の中国人教員の譚先生と邱先生が、日本語と中国語で、テレサ・テンの「時の流れに身を任せ」を歌ったが、とても上手だった。譚先生から1週間ほど前に「寺坂先生も歌を準備しておいてください」と言われていたので、沖縄の歌である「島唄」を歌った。

 「島唄」は日本の居酒屋などでたまに歌うこともあった。「島唄」(The Boom)の作詞・作曲をして歌っている人によると、この歌は、23歳頃に初めて沖縄を訪れ、「第二次世界大戦の末期にアメリカ軍に包囲され侵攻され、ガマで集団自殺をした沖縄の人たち」の生き残りのおばあさんから話を聞き、作詞作曲したものだった。「千代にさよなら」「八千代の別れ」などの歌詞は「君が代」の歌詞からとったものだった。

 ―島唄―

一、デイゴの花が咲き風を呼び嵐が来た デイゴが咲き乱れ風を呼び嵐が来た 繰り返す悲しみは島渡る波のよう

ウージの森であなたと出会い ウージの下で千代にさよなら 島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ 島唄よ風に乗り 届けておくれ私の涙

二、‥‥‥‥

 私が暮らす福建省福州と尖閣諸島と沖縄の那覇は同じ緯度26度にあり亜熱帯性の気候。「島唄」の歌詞にあるデイゴは福州でもよく咲いている花だ。今、12月になっても、咲き残っているデイゴの花が大学構内にもある。今年の秋に、失火によって首里城の主殿の建物が全焼してしまった沖縄。沖縄の歴史を題材にした『琉球の風(上下)』著・陳舜臣を今読んでいる。1600年代初頭、島津氏の薩摩藩によって侵略され、その後、中国の明王朝や清王朝と日本の両国に従っていた琉球王国は、明治期になって日本領土としてなってしまった。そして、1945年4月から6月までの沖縄戦へと悲劇の歴史が続いた。

 歌詞に「ウージの森」とあるが、これはサトウキビ畑のことだった。米軍から逃げ込んだガマ(洞窟)の近くのサトウキビ畑を「島唄」の歌詞は意味をしている。

 沖縄の三大花といえば、「デイゴ」「ハイビスカス」「ブーゲンビリア」。ここ福州でもこの花々は多く咲き誇っている花だ。

 

 

 

 


巨大な毛沢東像が建つ人民広場の夜―ネット動画配信の撮影者―日系企業の駐在員や卒業生たちと

2019-12-14 06:07:18 | 滞在記

 12月3日の火曜日、この日の夕方6時過ぎに福州市の人民広場である五一広場にてしばらく過ごしていた。冬至が近くなり午後5時ころにはとっぷりと日が暮れている。平日とあって広場に集まる人もまばらだった。中国各地の大きな都市ではどこもそうだろうが、人民広場には毛沢東の巨大な像が建てられているところが多い。像の下には2017年11月より全国的な標語となった「緊密団結在以習近平同士為核心的党中央周辺 奮闘奪力新時代中国特色社会主義偉大勝利」の赤い横断幕が。像の背後にある小高い于山の中腹の寺院の白い塔がライトアップされている。

 この人民広場の場所はかっての明王朝の時代には、福州城の巨大な城門や城壁や楼があった場所。今は当時の石垣跡がほんの少しだけ残っている。小高い丘のような于山は、1912年の孫文を中心とした辛亥革命時には革命軍の福州本部が置かれたところだった。

 この広場は週末、とりわけ土曜日や日曜日の夕方から夜にかけて、大勢の人たちで賑わう。広場舞やダンスを練習するたくさんのグループや聴衆とともに歌声を響かせるグループ、さまざまな楽器の演奏などが行われる。人民広場の中に「大劇場」がある。久しぶりに広場にきてみたら、この大劇場がマッピングされ、さまざまな光の饗宴をしていた。

 年老いた母の腕をとりダンスのステップの仕方を教えている、老母の娘さんらしい二人の女性が。ほほえましい光景だ。龍の蛇腹のような凧のようなものを空中に泳がせている人も。これも2017年11月月から全国的な標語となった「不忘初心牢记使命」(初心忘れず 使命を心に刻もう)の大きな電光文字が光を放っていた。

 広場の一角で十人ほどの人が集まっていたので行ってみると、その中心には一人の若い女性が歌を歌っていた。その歌っている様子をその女性自身が動画の自撮りをしていた。インターネットサイトに投稿発信してフォロワー数を多く獲得していくことを目的としているものだ。2014年頃から急速に普及が広まった携帯スマホにより、このようなフロアー数を増やすことにより、収入を得たり有名人(ネットスター・星座)になっていく人が出始めてきた。

 資金がなくても、携帯スマホ一つで多くのフォロアー数を獲得することが可能にもなるこのようなサイトは、数年で爆発的に中国では広がってきた。私もこのようなものは携帯電話の動画で時々見ることもあるが、フォロアー数が何百万人以上ともなると多くの収入を得ることもできる。(※1か月に20万元[320万円]以上を得る人もめずらしくないようだ。) 動画の多くは、自分の部屋での生活の様子を撮影したものが多い。おはようから始まって 私生活の様子を動画配信し いろいろと語りかけてくる動画だ。恋人同士や祖父母と孫などが日常的にアプリ機能を使って連絡し合う光景は、日本でも使う人は多いかと思うが、それを商売にしたサイトだ。

 このため、山奥の田舎に暮らす娘さんでも、地方から都会に働きに来ている娘さんでも、一攫千金を夢見て このようなサイトへの投稿を行い続ける人が多い。そして、このようなサイトを商売としている会社も多くあり、優秀な(売れる)投稿者を所属させ 売り込みをかける。一種のプロダクションのようなものだ。この種のプロダクションは動画の主人公がある商品を紹介したりすることにより、その商品を販売している企業と契約関係をむすび利益を得る。

 この中国のインターネットサイトについての特集ドキュメンタリーが日本のテレビ報道で半年ほど前にあった。中国南部の広東省にある有名大学「広東外語外貿大学」の学生生活のようすを日常的に動画配信している女子学生の動画サイト。1回生の頃から始めたこのサイトは何百万人のフォロワーを集めるようになった。そして、所属するサイト会社と「どのようにサイトフォロアー数を維持・増加させていくのか」という戦略会議で、本人と会社側の考えが違っていき、ついにこの所属会社を辞めるという内容だった。

 五一広場近くの日本料理店「古都」に、この日の6時半過ぎに私を含めて5人が集まって会食と乾杯の運びとなった。福州にある日系企業の一つで、岡山県倉敷市に本社をもつ「丸五富井工業有限公司」の総経理(社長)の白石さんや駐在員の枝松さんが設けてくれた会食で、今年の6月に閩江大学の日本語学科を卒業し、この会社で翻訳や通訳業務に従事している鍾さんと柯さんもこの日 参加した。2時間ほど会食しながら過ごした。

 白石さんは断続的だが 1980年代より中国で生活を始めている。企業駐在員としては20年間あまりの経歴の持ち主。東京外国語大学中国語学科に在学中、1年間、大学を休学し北京の日本大使館で働いたこともあったそうだ。1980年代初頭からの40年間の中国社会の歴史・変移を体感している人だ。