彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国女子バレーボール代表❷中国代表チーム育成に関わった大松監督(1964・東京五輪女子排球監督)

2019-12-11 19:49:49 | 滞在記

 1964年東京オリンピック(五輪)で悲願の金メダルに輝いた女子バレーボール日本代表。強敵・ソ連(現・ロシア)を破って優勝。その代表チームを指導した監督は大松博文氏だった。回転レシーブなど、技術的にも新しいレシーブも駆使しての「拾って拾って、繋いで繋いで速攻やトリックプレーで攻める」というスタイルは「東洋の魔女」とも呼ばれた。

 バレーボール日本女子代表の活躍は、中国に影響を与えた。おりしも、中国では10年間にもわたる文化大革命が始まった時期でもあった。中国はソ連との関係悪化という状況もあり、ソ連を破った日本女子バレーボール隊は、毛沢東にもまぶしく思えたのかもしれない。中国は翌年の1965年4月、日本代表監督だった「鬼の大松」こと大松博文氏を招き、1か月間指導を受けた。まだ、日本と中国の国交回復がない時代だったが。(1972年に国交回復)

 当時の中国バレーボール代表は、昼寝をした後に数時間練習するのが日課だったようだ。大松氏は毎日10時間、深夜まで特訓を続けた。医者や救急車を待機させ、傷だらけで意識がもうろうとしている選手に、「やる気がないなら田舎へ帰れ!」と容赦ない罵声を浴びせ、しごき上げたという。選手たちは、「毛沢東精神で武装した私たちが、日本人に負けるわけにはいかない」と歯を食いしばったと伝えられてもいる。

 大松氏は、「日本人より背が高く、体も柔らかい。国家のために自分を投げ出す信念と、自ら学ぶ意志がある」と語っている。磨けは光る原石のような選手たちにほれ込み、選手の国籍など関係なく、全身全霊で指導を続けたようだ。この時に指導を受けた中国選手たちの中には、ようやく文化大革命が終息し「改革開放」が始まった1980年からの「中国女子バレー代表」の黄金期に向けて、選手たちを指導・監督する人たちの存在につながっていくこととなった。

 今年のNHK大河ドラマ「いだてん」では、東京オリンピックに向けての日本女子バレーボール代表の練習の様子や大会での様子を描いている。主将(キャプテン)の葛西選手役は安藤さくら、大松監督役はチュートリアル・徳井。吉本興業所属のチュートリアル・徳井の脱税事件があり、この場面での取り扱いに大変困ったこととなった。故・大松博文氏も草葉の陰で「あんなもんに私の役をさせるなんて」と怒っていることかと思う。

 中国バレー女子が三大大会で最初に優勝したのは1981年のw杯(ワールドカップ)。強烈なスパイクが「鉄のハンマー」といわれたエースアタッカーの郎平を中心に、翌年82年の世界選手権、84年のロサンゼルスオリンピック(五輪)でも金メダルを獲得する快進撃を見せた。85年w杯優勝、86年世界選手権優勝と5連覇の偉業と続いた。

 当時の中国は、鄧小平主席の主導する改革開放政策の開始により世界に門戸を開き、外資導入や経済の自由化を始めたばかり。世界の最新技術や文化を取り入れ始めたが、それと同時に「世界の中心」と信じていた中国が「世界で遅れた国」であることに国民が気づかされた時期でもあった。スポーツ界もほとんどの競技で世界の強豪にまったく歯が立たない。そんな中で、中国バレー女子は1980年代に世界大会五連勝を果たし、中国人のプライドを呼び覚ましたとも言われる。

 この当時、女子バレーボール代表の「訓練地」は福建省の漳州市にあった。ここは厦門(アモイ)に近い場所でバナナの名産地としてバナナ畑が広く広がる地。私が福建師範大学で教員をしていた時、身長が180センチを超える女子学生(日本語学科)がいた。彼女は漳州が故郷で、かっては将来のバレーボール代表を目指して日々訓練を受けていた時期もあったと話していた。漳州は女子バレーボールの聖地のようなところらしい。

 この1980年代の中国バレーボール女子の監督を務めたのが、1965年に大松博文氏から厳しい指導を受けた陳忠和氏などである。陳忠和監督は、かなり厳しい「血のでるような」指導を行ったようだが、大松監督同様に 選手たちには厳しいながらも慕われた存在だったようだ。

 1990年代になって三大大会からの優勝から遠ざかったが、2013年から郎平氏が監督に復帰してから、若手を積極的に起用し、米国やオーストラリアなどからトレーニングコーチなども招き、世界大会を次々と制覇していくようになり現在に続いている。そして、2019年10月に世界ランク1位に約30年ぶりに返り咲くこととなった。

 中国のテレビ報道やインターネット動画記事でも、中国女子排球代表の記事はとても今 多い。

 2020年の1月25日の春節が始まる日に全国で封切られる映画「中国女排球」。ポスターの文字には、「中国女排 流血不流泪  掉皮不掉队」(中国女子排球隊は、血を流しても泪を流さず 皮がむけようとも 落後せず)と書かれていた。

 ※前号で「エン・シンゲツ」と書かれていた選手の名前を間違えていました。正しくは「張常寧」選手です。

   ―中国のインターネット記事では、日本の卓球選手のこともよく掲載されている―

 「天才少女・少年」と中国ネット記事でよく紹介されているのは、伊藤美誠・平野美宇・張本智和の3人。さらに、石川佳純や早田の名前も。来年の東京オリンピックでの「中国常勝」に赤信号と危機感をもっている記事もけっこう目にする。(日本勢の上記の選手たちとの戦いで)

 2019年12月現在、世界女子卓球のランキング(世界ランク)では、1位から10位までの10人のうち6人が中国。2人が日本(伊藤4位・石川10位)、他は台湾とシンガポールが一人ずつ。平野は11位。

 あと半年後近くに迫ってきた東京オリンピック、日本女子バレーは中国に1セットでも取るという大善戦ができるだろうか。また、卓球はどれだけ中国を追い上げることができるだろうか。オリンピックでの激戦が楽しみだ。