100人余りの「歌声広場」に集まっている人たちの表情は、心から歌を歌う姿が印象的だ。
この「歌声」のグループたちから別の場所に行くと、別の歌声広場が行われていた。ここは人数は20~30人あまりと多くないが、大きなスクリーンに歌詞や映像を映し、男性たち7〜8人が並べられたスタンドマイクに歌声を響かせる。音楽はカラオケに合わせ、バンドはいない。スクリーン前では50代前半の女性たち3人が歌に合わせて踊っていた。別の場所では若い10人ほどの男女が、テンポの速い曲に合わせてキレのいいステップ舞踏を行っていた。
20人ほどの人たちが広場舞をしているところでは、扇を使った舞踊を年輩の女性たちがしていた。さらに、他の場所では、150人以上の人々が輪を作って「歌声広場」をしていた。
ここも生演奏バンドだった。ここの歌声広場は革命歌などは少なく、どちらかというと中国の大衆が好むもう一方の叙情的な大衆歌が多く歌われていた。
30分ほど公園にいて、公園入口に戻る途中、見事なムードステップで踊る男女たちのグループも。公園入口は明るいので、ここでバトミントンの羽根の大きいものを足で蹴ってパスし合うものをやっている人たちも。この日の夜、この公園に来て、舞踏や広場舞、歌声広場をしていたグループは20ほど。
午後9時ころ、まだ中国の都市は明かりが煌々としていた。バスを乗り継いで、アパートに戻ったのは午後10時すぎ。少しビールを久しぶりに飲み、ベットの上であっという間の眠りに落ちた。
中国の人々の暮らしは、人と一緒に「生活を楽しもう」という感が、日本と比べてとても強い。団地内でも、人々のつながりが日本よりとても強く、老人は老人で数人がいつも同じ場所に腰をおろし、集まって、日がな一日を過ごしたりしている。日本と違った生活・暮らしの豊かさというもの、人々どうしのつながりをもち生活を楽しむというところは、日本よりかなり豊かという印象がある社会だ。「民(たみ)が主(あるじ)となる」民主はなくても、それはそれで、お上(かみ)の政治は政治としてあまり関わらず、生活・人生をより楽しむという長い長い激動の歴史を生きる中国民族14億人の人々がここにある。