12月28日(土)、2回生たちの「日本語情景劇」が午前中に行われたその日の夕方、2回生たち35人ほどが私のアパートにやってきた。日本語学科は各学年ともに2クラスがある。1回生の入学時は2クラスで合計40人あまりの在籍数だが、2回生になる時に学部を移ったり退学する学生が多少いる。現在の2回生の学生在籍数は35人(男子8人・女子27人)。そのほとんどがアパートに来ることになったので、床が抜けないか少々心配になっていた。毎年この時期頃に学生たちとアパートで鍋料理を囲むが、クラス別に違う日にアパートに来てもらったりしていたので、今まで来た学生の その日の最高人数は20人程度だった。今回は学生が35人あまり来るので、私や妻なども入れると40人あまりとなる。
閩江大学の正門(南門)や北門のバス停からバスを乗り継いで1時間30分あまりで、私のアパートに近い師大バス停に到着する。この日、福建師範大学倉山キャンパスの大門(正門)で学生たちと午後3時45分に待ち合わせとした。2回生たちの日本語劇の指導を担当した日本人の山田さんと彼女の友達の木村さん(福州大学で中国語を学ぶ留学生)も来ることとなった。アパートから大門に学生たちを迎えにいった。3時45分に大門に行くと30人近くがすでに集まっていた。4時頃には全員が集合したようなので、アパートに向かった。
大門からアパートまでは徒歩7分くらいだ。アパートの部屋から徒歩1分以内という近くに小さなスーパーマーケットが2店舗あり、その店を教えて部屋に戻った。妻もあまりの人数の多さに改めて驚愕していた。室内のスリッパは20ほどしかないので、全員 靴のまま部屋に入ってもらった。買い物に学生たちと一緒に行き、鍋の食材にするさまざまな野菜類や肉類、鍋の素、酒類、ジュース類、調味料などを超大量に買い込むことに。買い物の続きは学生達に後は任せて一足先にアパートに戻った。
4時30分ころから鍋を学生たちの一部が作り始めたが、作り始める前に乾杯をして飲み始めた。ちなみに、中国では「タバコや酒は18歳以上から」という法律があるという人も少数派だがいるが、ほとんどの中国人たちや学生は「年齢制限はない」と考えている。2回生の彼らは19歳という年齢が多い。中国では生まれた瞬間に1歳となるので、日本の満年齢でいえば彼らは20歳となる。
午後5時頃に2箇所での鍋が出来上がり、みんな旺盛に辛い鍋料理を食べ始め、飲みながらおしゃべりに花が咲いていた。私の部屋には、日中さまざまな種類の酒類(ビール・ワイン・白酒[バイジュウ]・日本酒・紹興酒・マオタイ酒・紅酒など)がたくさん置いてあるので、学生たちも飲んでいた。学生どうしの対人関係が苦手で授業も休みがちな1人の女子学生もこの日は来てくれていた。
2か月間あまり準備・練習してきた日本語劇を終えて、日本語劇の打ち上げも兼ねたような宴会となった。学生たちも開放感に生き生きと過ごしているように思えた。劇の衣装のままで来ている学生も数人いた。妻も学生たちや日本人と話しながら、食べて飲んで過ごしていた。
日本の大学では、ゼミの担当教員と学生たちが居酒屋などで飲食をともにすることはけっこうあるかと思うが、一般的に中国の大学教員は学生たちとのこのような交流はほとんどしない。中国全土から来ている学生たちは、故郷に帰るのに1日~2日間あまりかかる遠方から来ている学生が多い。教員のアパートでのこのような交流は思い出に残るかと思い、迎えるための準備は少々大変だが、毎年 学生たちとこの時期にアパートで鍋を囲んでいる。
午後6時30分頃に一部の学生達がゴミ処理や後片付けを始めて、学生たちは7時前にはアパートを出て大学に戻って行った。なんともすざましい人数での鍋パーティとなった今年の年末だった。無事に終わってホッとした。
私も辛い料理や鍋料理に、長くなった中国生活を経て、舌が慣れている。中国人の味覚として、辛さがないと美味しさを感じにくいようで、辛さをベースとして、その上に甘さやしょっぱさや酸っぱさを感じるという味覚舌になっているようだ。
日本では大晦日の夜となった日本時間午後9時すぎ(中国時間午後8時すぎ)の今、紅白歌合戦を観ながら賑やかに年越しを迎えようとしている人も多いかと思う。私は一人でアパートにいるが、大晦日の日は特に侘しさや孤独感を感じたりするので、毎年、中国時間の午後8時過ぎには眠りにつき、翌朝の元旦、午前3時頃に起床し、新しい年を迎えることにしている。
みなさん、また来年もよろしく。よい新年を!!