彦四郎の中国生活

中国滞在記

2回生の学生たちなど40人あまりとの、アパートでの「鍋パーティ」―アパートの床が抜けないかちょっと心配に

2019-12-31 21:22:11 | 滞在記

 12月28日(土)、2回生たちの「日本語情景劇」が午前中に行われたその日の夕方、2回生たち35人ほどが私のアパートにやってきた。日本語学科は各学年ともに2クラスがある。1回生の入学時は2クラスで合計40人あまりの在籍数だが、2回生になる時に学部を移ったり退学する学生が多少いる。現在の2回生の学生在籍数は35人(男子8人・女子27人)。そのほとんどがアパートに来ることになったので、床が抜けないか少々心配になっていた。毎年この時期頃に学生たちとアパートで鍋料理を囲むが、クラス別に違う日にアパートに来てもらったりしていたので、今まで来た学生の その日の最高人数は20人程度だった。今回は学生が35人あまり来るので、私や妻なども入れると40人あまりとなる。

 閩江大学の正門(南門)や北門のバス停からバスを乗り継いで1時間30分あまりで、私のアパートに近い師大バス停に到着する。この日、福建師範大学倉山キャンパスの大門(正門)で学生たちと午後3時45分に待ち合わせとした。2回生たちの日本語劇の指導を担当した日本人の山田さんと彼女の友達の木村さん(福州大学で中国語を学ぶ留学生)も来ることとなった。アパートから大門に学生たちを迎えにいった。3時45分に大門に行くと30人近くがすでに集まっていた。4時頃には全員が集合したようなので、アパートに向かった。

 大門からアパートまでは徒歩7分くらいだ。アパートの部屋から徒歩1分以内という近くに小さなスーパーマーケットが2店舗あり、その店を教えて部屋に戻った。妻もあまりの人数の多さに改めて驚愕していた。室内のスリッパは20ほどしかないので、全員 靴のまま部屋に入ってもらった。買い物に学生たちと一緒に行き、鍋の食材にするさまざまな野菜類や肉類、鍋の素、酒類、ジュース類、調味料などを超大量に買い込むことに。買い物の続きは学生達に後は任せて一足先にアパートに戻った。

 4時30分ころから鍋を学生たちの一部が作り始めたが、作り始める前に乾杯をして飲み始めた。ちなみに、中国では「タバコや酒は18歳以上から」という法律があるという人も少数派だがいるが、ほとんどの中国人たちや学生は「年齢制限はない」と考えている。2回生の彼らは19歳という年齢が多い。中国では生まれた瞬間に1歳となるので、日本の満年齢でいえば彼らは20歳となる。

 午後5時頃に2箇所での鍋が出来上がり、みんな旺盛に辛い鍋料理を食べ始め、飲みながらおしゃべりに花が咲いていた。私の部屋には、日中さまざまな種類の酒類(ビール・ワイン・白酒[バイジュウ]・日本酒・紹興酒・マオタイ酒・紅酒など)がたくさん置いてあるので、学生たちも飲んでいた。学生どうしの対人関係が苦手で授業も休みがちな1人の女子学生もこの日は来てくれていた。

 2か月間あまり準備・練習してきた日本語劇を終えて、日本語劇の打ち上げも兼ねたような宴会となった。学生たちも開放感に生き生きと過ごしているように思えた。劇の衣装のままで来ている学生も数人いた。妻も学生たちや日本人と話しながら、食べて飲んで過ごしていた。

 日本の大学では、ゼミの担当教員と学生たちが居酒屋などで飲食をともにすることはけっこうあるかと思うが、一般的に中国の大学教員は学生たちとのこのような交流はほとんどしない。中国全土から来ている学生たちは、故郷に帰るのに1日~2日間あまりかかる遠方から来ている学生が多い。教員のアパートでのこのような交流は思い出に残るかと思い、迎えるための準備は少々大変だが、毎年 学生たちとこの時期にアパートで鍋を囲んでいる。

 午後6時30分頃に一部の学生達がゴミ処理や後片付けを始めて、学生たちは7時前にはアパートを出て大学に戻って行った。なんともすざましい人数での鍋パーティとなった今年の年末だった。無事に終わってホッとした。

 私も辛い料理や鍋料理に、長くなった中国生活を経て、舌が慣れている。中国人の味覚として、辛さがないと美味しさを感じにくいようで、辛さをベースとして、その上に甘さやしょっぱさや酸っぱさを感じるという味覚舌になっているようだ。

 日本では大晦日の夜となった日本時間午後9時すぎ(中国時間午後8時すぎ)の今、紅白歌合戦を観ながら賑やかに年越しを迎えようとしている人も多いかと思う。私は一人でアパートにいるが、大晦日の日は特に侘しさや孤独感を感じたりするので、毎年、中国時間の午後8時過ぎには眠りにつき、翌朝の元旦、午前3時頃に起床し、新しい年を迎えることにしている。

 みなさん、また来年もよろしく。よい新年を!!

 

 

 

 

 

 


妻が3日間、中国福州に来てくれた―日本語劇・学生たちとの鍋パーティ・中国人の日々の暮らしを眺める

2019-12-31 08:19:54 | 滞在記

 12月25日(水)の午後7時頃の福州五一広場(人民広場)、たくさんの人たちが広場に集まり広場舞(ダンス・体操)をしていた。この日の午後7時30分から、閩江大学卒業生で福州の日系企業に勤めている卒業生3人と広場近くの日本料理店「古都」で食事をすることとなって1時間ほとを過ごす。鍾さんと柯さんの2人の卒業生(女性)たちと別れたあと、男性の王君とほど近くにある「日本式クラブ(スナック)」に飲みに行く。日式クラブに行くのは1年ぶりくらいだろうか。顔見知りの福州の日系企業の駐在員たちの姿も店に7〜8人が来店していたので挨拶を交わした。王君は、「日式クラブ」は初めての経験だった。

 12月26日(木)、関西国際空港からの厦門航空便で妻が福州に来た。午後10時頃に福州空港に到着、妻を迎えに行った。アパートには深夜12時頃に着く。翌日の27日(金)、旅の疲れもあるので一日をゆっくりと二人で過ごすことにした。アパート周辺の福建師範大学倉山校区に散歩に行く。3年前まで師範大学外国語学部で教鞭をとっていたこのキャンパスの歴史は古い。1907年頃の清王朝末期の創立となるので、建物も歴史的だ。

 昼食を摂るためにために近くの日本料理店に行き、私お勧めの鯖定食を二人分注文。その美味しさに妻も満足そうだった。料理店近くには電動バイクに乗った料理宅配便の人たちがたくさん集まって談笑していた。食事後、福建師範大学に隣接した場所ある喫茶店に行った。ここの喫茶店は珈琲が30元(約500円)くらいとかなり高いが、福州市内の喫茶店では最もいい茶店だと思うのでたまに行く。喫煙席のエリアもあり分煙。2〜3時間、パソコンを持ち込み仕事などをしている人の姿も多い。

 アパートに戻り4時間ほどは、昼寝をしたり読書をしたり洗濯をしたりとして過ごす。夕方の6時頃アパートを出て、アパートからもほど近い市内を流れる閩江(大河)周辺の夜景を見に行くことにした。夜景の凄さに妻は驚いていた。とても安くて美味しい「海鮮料理店」があり、たまに知人や学生と食べに行くこともある。この日はここで妻と食べることにした。アワビ、上海蟹(カニ)、アサリ、カラス貝などの海鮮を食べた。カニもアワビも、スーパーマーケットで、日本人からしたら驚くべきとても安い値段で売られている中国では、これらの食材は日常的なものだ。

 28日(土)、この日は2回生たちの日本語劇が午前9時30分から始まる。早朝7時頃にアパートを妻と出て、アパート近くの朝市(露店)に案内。狭い通りに所狭しと野菜・魚・肉などの食材が並んでいるさまは、中国庶民の生活の一端を垣間見ることもできる。

 バスに乗り、乗り継いで閩江大学正門に着き、研究室でしばし休憩をとり日本語劇の行われる会場に向かう。途中、まだ咲き残っている亜熱帯の花であるハイビスカス・デェイゴ・ブーゲンビリアや香港蘭(バウヒニア)、バナナの樹木などを妻は写真におさめていた。9時30分より11時ころまで日本語劇が行われた。大学の学食で昼食。油の多い学食料理に妻は閉口していた。

 昼食後、正門からバスを乗り継いでアパートに向かう。終点の師範大学バス停で下車し、妻の職場のお土産用に近くの大型スーパーマーケットに中国のチョコレートを買いに行った。アパートに置いてあったチョコレートを食べて、「これは美味しいわ。職場の土産にいいね。」ということで買いに行くこととなったのだ。

 この日の午後4時ころ、日本語劇を午前中に終えた2回生たちが、私のアパートにたくさんやってきた。辛い鍋パーティを2時間あまりやって過ごした。妻はアパート内を埋め尽くしたあまりの人の多さに驚いていた。学生たちは午後7時ころに大学に戻って行った。 

 学生たちが去ってから、妻とタクシーで五一広場(人民広場)に行くことにした。20分ほどで広場到着。週末土曜日の夜ともあって、たくさんの人たち、たくさんのグループの人たちが、広場で踊っていた。踊る人とそれを見るたくさんの人たち。

 広場の一角では100人あまりの人たちが集まっている歌声広場も行われていた。30分ほどして、アパートに戻ることとした。この日一日、鍋パーティでの、ビールや白酒(バイジュウ)、日本酒などもけっこう飲んでいたので、すぐに眠りについた。

 翌日29日(日)の午後2時頃、妻は福州空港から日本に戻って行った。再び、一人だけの日常生活がアパートを包む。中国での一人暮らしは、わびしいもので、わびしいと言うだけでなく、寂しいというか、中国人という大海の中に ポツリと孤立して生きているというか。常に不安に包まれているというか。たまにたまに知り合いや学生たちが訪れてくれる。まあ、陸地は見えるが 波の高い大海に浮かぶ小舟のような生活だ。

 日本でも孤独な生活を送っている人も多いかとも思う。孤独にもさまざまな種類がある。家族と共に住むが、引きこもりという孤独、一人暮らしの40代・50代、そして60歳以上の老年の人たちの暮らしなど。そんな日本での孤独とはまた違うのが、その国の言語がほとんどできないなかで暮らす「孤独」だけでなく「孤立」という暮らしだ。不安は日常的にとても大きなものがある。私の中国生活は「蝉(せみ)」のような一生みたいだと思う。7年間土の中にいて、地上に出て1~2週間だけ、生を輝かせる。大学での授業などでのやりがいにかろうじて支えられて、中国生活もあと半年で7年間が経過する。次に日本に一時帰国できる日を「一日千秋」心待ちに指折り数える7年間あまりの日々でもある。

 今日は2019年12月31日、大晦日となった。中国の新年は旧正月(春節)なので、1月31日は普通にみんな仕事や学校に行き、1月1日だけは休日となり、2日から仕事や学校がある。今年の中国の春節は例年よりかなり早い1月25日から始まる。私も年末年始(12月31日~1月3日)は膨大な成績資料や学期末資料を作成し大学に提出するための作業に追われる。1月5日(日)に日本に1か月間あまり帰国(冬休み休暇)予定だが、就労ビザ延長の手続きのためにパスポートは福州入国管理局に置かれたままだ。1月3日(金)中に、帰国に間に合うようにパスポートが返されなければ、1月5日には日本帰国ができないこととなる。

 妻が中国福州に来てくれるのは、2013年9月から中国・福州に赴任して3回目となる。前回来たのは4年前の2015年12月の暮れ。今住んでいるアパートは初めてだった。妻は学生たちとの鍋パーティは初めての経験だった。今回の3泊4日の福州での食事で一番美味しかったのは?と聞くと、鯖定食とのことだった。2年前の2017年12月、娘たち夫婦二人が福州に来たので学生たちとアパートで鍋を囲んだことがあった。