彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本に一時帰国直後、「大阪地震」、家が倒壊するかと思った―震度6の地震

2018-06-22 12:48:00 | 滞在記

◆6月15日(金)、私が担当している大学後期の最終授業が終わった。この日から2週間は、学生たちにとって7月2日(月)から始まる「後期期末試験」への準備期間となる。私が担当する教科の期末試験は7月9日(月)からなので、まるまる3週間は特に大学の仕事も少なくなる。連日35度を超える気温と湿気が凄い中、外に外出することも辛い日々を3週間も福州で生活することも耐えがたいので日本に2週間だけ(6月17日〜7月1日)一時帰国することにした。

 6月17日(日)の午後、福州空港を2時間遅れで飛行機が離陸した。日本時間で夜の8時頃に関西空港に着陸、自宅には午後10時ころに帰った。深夜12時頃に就寝、翌朝は京都市の銀閣寺近くの娘の家に行き、1才と8カ月近くになった孫と散歩でもしようかと考えていた。

 6月18日(月)の朝8時前だった。娘に「今から京阪電車とバスを乗り継いで行くよ」と電話してからすぐの時間だった。突然「ドスーン!」という音がした直後、とても大きな揺れが起こった。いままで経験したことのない地震の揺れだった。家が揺られ「ミシミシ!!」という音を立てていた。「家が壊れて倒壊する!!」と思った。タンスの扉や引手が飛び出してきた。タンスや本棚などの上に置いてある物もたくさん落ちてきた。大きな揺れはしばらくしておさまった。時間にして30秒間ぐらいだっただろうか。以前に経験した「神戸震災」の時の揺れの2〜3倍以上はあっただろうか。家の中は、落ちてきた物がけっこう散乱していた。

 余震があった。それもおさまってきて、ソトに出ると近所の人たちもソトに出ている。自分の自宅はどうなっているだろうか。とにかく家が倒壊しなくてよかったと思いつつ家を見回すと、外壁に亀裂が入っていた。家の玄関がある正面の外壁被害はないようだが、他の面に合計3箇所のけっこう大きな亀裂や壁の盛り上がりがあった。1年ほど前に外壁を新しくしたばかりだった。屋根瓦も何枚かが落ちていた。

 家の中は幸いに本棚や茶箪笥やタンス類の倒壊はなかったが、上に置いていたものがほとんど下に落ちていた。本棚の本も下に落ちて散乱していた。書斎の恐竜のフィギァの多くが下に落下し壊れていた。なにか「恐竜絶滅」のような光景だった。2階のタンスの上にあった「ガラスケースに入った日本人形やフランス人形」なども落ちていたが、ガラスは奇跡的に割れて散乱していなかった。玄関に置いてある絵も落ちていた。

 近所の被害の様子を見てみると、向かいの家の外壁がかなり大きくひび割れていて壁が盛り上がっていた。屋根瓦が崩れた家も見られた。瓦が落下して、家の駐車屋根を突き破って車のフロントガラスが割れている家もあった。

 この日のテレビニュースや翌朝の新聞を見ると、「震度6弱」となっていた。私の家と大阪北部の震源地とは約15kmぐらいしか離れていない場所だった。神戸震災の時は震源地からかなり離れていたので「我が家は震度4」だったが、それでもかなり揺れた。今回の震度6というのはかなり強烈だった。初めて地震の本当の怖さというものを少なからず体験した。

 地震被害が大きかった大阪府の枚方市や高槻市や茨木市、枚方市に隣接している京都府八幡市は京都府では最も地震被害が大きかった。国宝の石清水八幡宮も石燈籠の多くが倒壊した。テレビニュースでは「八幡市・罹災証明書の申請手続き始まる」と報道もされていた。この日の夕方、近くのキリン堂という店に行ったが、「しばらくは営業を中止します」との貼り紙があり、シヤッターが閉められていた。おそらく棚の商品が落下散乱している状況なのだろう。

 地震のあった18日の午後3時ころに家に戻り、家の中の片付けを始めた。そして、翌日19日の夕方まで、ひたすら家の中を片付けて、ようやく家の中が整頓された。また、19日の夕方からは激しい雨になりそうなので、隣の人の助けもかりて、壊れている外壁にブルーシートを張ったりした。張り付けが終ってしばらくしたら激しい梅雨時期の雨が降ってきた。

 21日(木)に市役所に行き、「罹災証明書発行の手続き」を申請した。たくさんの人が罹災したようで、申請手続き場所には長い列ができていた。地震のあった日の夜12時ころ震度5の余震があった。そして、朝の5時ころにも震度4の余震があった。「1週間以内は最大震度6の余震があるので注意!」との報道もあったので、数日間は心配だった。22日現在、新聞によると ここ八幡市内でも公民館に「避難生活」をしている人もいるようだった。

 地震から4日が経過した今朝22日朝、まだ小さな余震があった。家が倒壊のような大きな被害でなかったので胸をなでおろした今回の地震。外壁の修理が必要なので、業者にも連絡をした。

◆地震被害による「補償」について

「地震による被災証明書の発行」を申請すると2週間以内に、市役所の職員が「被災箇所」を調査しにくる。そして、2〜3週間で「罹災証明書」が郵送で送られてくる。これは、「民間保険会社の地震保険」に加入している人が補償金を受け取る際に必要となる。

 火災保険に加入している人(家)は多いが、地震保険に加入している人は少ない。我が家も加入していない。それは、地震保険の保険料がかなり高く、補償金は少ないからだ。特に、木造家屋はコンクリート家屋に比べて「保険料金は高くて補償金は全壊の場合でも上限300万円まで」と少ないようだ。

 あと、地震被害に遭い、「罹災証明書」が発行されれば、「固定資産税」が被災の状況により減額措置が取られる場合がある。そして、被災地域に指定がされて「国の支援金指定」が決定された場合は、その中から被害状況に応じて各市町村に支援金が配布される。今のところ、今回の地震に関して、国から「支援金」が出るかどうかは決定されていない。地震保険にも入っていなく、国の支援もなければ、修理に必要なお金は全て個人負担となる。地震により壊れた車も、おそらく地震の場合は補償されないのではないだろうか。

 以上のことを、今回の地震罹災を通じて知った。

 修理の仕事が追いつかないほど急増し、当分は休みもないほど忙しい「屋根瓦店」「外壁店」などは、地震の発生は「超特需景気」となる。今回の地震で被害のあった、震源地に近い街には、近畿各県(大阪・京都・滋賀・兵庫・和歌山)から「瓦・外壁」の修理業者が来ているようだ。私の家にはいつ来てくれるかまだ連絡はない。