5月に入ってものすごい湿気がともなう35度以上の猛暑が続く福建省の福州、今年の5月は例年にもまして異常に「悶絶するような蒸し暑さ」だった。6月に入った一昨日は、前夜に降った激しい雨のため少し涼しくなった。やや梅雨気味の天候の日々、大学後期の授業もあと残すところ半月間と少しあまりになった。この時期にオレンジ色の花が開花する「丹」の花、亜熱帯特有の欄のような植物の花。(7月2日~13日が期末試験期間、14日より夏休みとなる)
2014年9月に大学に入学した4回生たちがもうすぐ卒業を迎える。この学年(2クラス)は40人あまりの人数。そのうち1クラス(20人)は、1回生の前期から「日本語会話1」で、「あいうえお」から授業を1年間担当した学生たちだった。3回生の時は「日本概論」、そして4回生の時は「日本文化概論」の授業を40人全員に行った思い入れのある学年だ。(※写真左は1回生時)
5月27日(日曜日)、この日は日本語学科の「卒業論文発表会」が行われた。そして、夕方の6時半から、閩江大学の「福建閩江酒店」で卒業記念パーティが行われたので参加した。
6月21日に大学全体の卒業式が行われる予定だが、この式には全員が参加するわけではない。おそらく卒業する日本語学科の学生たちと、この広い中国なので、再び会うこととなる学生はほぼ少ないだろう。別れることは寂しいが、「再見!(さようなら!)」だ。
―日本の大学院への受験―
そんな卒業生たちの中で、日本の大学院入学を目指す学生もいる。沈さんもその一人だ。1回生入学の時から私が担当した学生で、いつも授業の際は最前列の机に座り熱心に受講していた。福建省の泉州市の出身。おそらく卒業生の中では最も優秀な学生だ。
両親の許可がようやくおりて、この9月下旬入学(秋入学)の「立命館大学大学院言語教育情報研究科」を受験することとなり、この5月から超短期間での準備を進めてきた。私とも何度も会って話し合い、必要な多くの書類を急ピッチで2人で準備し、研究計画などを記した「志望理由書3000字」を書き上げ、ようやく5月30日に日本の立命館大学に願書書類を郵送できた。審査・試験を経て7月13日に合否の発表がある。約1カ月間の準備期間では「出願」は難しいとは思ったが、なんとか出願に間に合ったので、「やったね!!」と喜び合った。
5月29日(火)、午後の授業を終えて、沈さんとの受験出願書類関連最後の打ち合わせを午後4時頃から教室で始めた。午後5時ころ、激しいスコール性の猛烈な雨が上がった。打ち合わせが終って、バス停のある大学北門に向かう。北門では、本の移動販売が行われていた。東野圭吾の中国語版の本が十数冊と、最も多く置かれていた。
―バスの中での不思議な出会い、混雑するバスの中で、下車する際に突然に若い女性からメモを渡された―
中国で生活していると、たまに不思議な(※日本ではまずありえない)出来事や出会いに遭遇することがある。雨上がりの29日の夕方、大学北門の始発バス停からいつもの41番バスに乗った。この日は火曜日の夕方には珍しく、多くの学生たちがバスに乗ってきた。大学城地域には多くの大学が集まっている。いくつかのバス停をすぎて、何人もの学生たちが新たに乗り込んできていて、バスの中は満員状態だった。席に座っている私はひたすら、瀬戸内寂聴の『わかれ』という、短編小説集を読むことに熱中していた。
どこのバス停で乗ってきた女性か分からないが、私の横に立っている若い女性らしき人が、立ちながら読書をしていた。これはちょっと驚いた。中国では、ここ福州でも北京でも、バス内や電車内で本を読む人を目にすることはまずありえないからだ。この5年間でたった1度だけ目にしたことがあったくらいだ。(※高校生が受験のための試験勉強で単語などをバス内で記憶学習しているようすなどは、たまに見られるが、これは読書ではない。)
ちらっと斜め上を見て、その彼女が読んでいる新書版の大きさの本の題名を見ると、『村上春樹編 生日故事集』と書かれていた。図書館のハンコが記されていたので、おそらくどこかの大学の女子学生なのだろうと瞬時に思った。そして、再び『わかれ』を夢中になって読み始めていた。
何箇所ものバス停を過ぎ、バスは閩江という大河にかかる2kmあまりの橋を渡った。そして、さらに4〜5箇所のバス停を過ぎて乗り換えのためのバス停が近づいてきた。鞄の中に本をしまって、席から立ちあがって、横に立ちっぱなしの彼女に「請座(チンゾウ)どうぞ座ってください」と言った瞬間に小さな「メモ紙」を渡された。とっさの出来事だったし、車内は移動も難しいくらい込んでいたので、その彼女の顔を見て記憶することもできなかった。絞り出されるようにバスを下車してそのメモを読んだ。
そのメモの裏表に「日本語」と「中国語」で、文が書かれていた。揺れるバス内でのメモなので文字は踊っていた。日本語で書かれた方は、「私の名前は〇〇〇です。よろしくお願いします。あなたから連絡をもらいたい。TEL○○○○」、中国語で書かれた方は、「看到你在车上看、感覚非常令人敬仰。希望有机会結深、车写了請多多見谅。我叫〇〇〇、希望能収到的联系。」
日本語訳:「あなたがバスの中で読書をしている姿を見ました。その様子は、私にとても敬い慕う心を感じさせました。あなたと会う機会がほしいです。バスの中で書いた文字なので失礼します。私は〇〇〇です。あなたからの返事が来ることを希望しています。」というものだった。こんなメモ・手紙を渡されたのは、ここ数十年もというより、かってなかったことだった。中国だからこそありえた、不思議な出来事だった。
それから4日後の昨日(6月2日)、彼女の電話番号にメールを送った。日本語が出来る人なのかどうか分からないので、「日本語と中国語の両表現」を使って、名前や所属(仕事)、連絡先、日本人であることなどを伝えた。その日、彼女から携帯電話にメール返信があった。「私はとても日本の大和文化が大好きで、日本に旅行する机会があります。少し日本語に触れています。あまり上手ではありません。これからも先生とよく交流して、私はとても敬服します。」という内容だった。そして、夜にはパソコンのEメールにもメール(※中国語版と日本語版)が入っていた。日本語版:「あの日、車で先生を見て、本を読んでいましたが、その時、先生と知り合いになりたいと思っていました。先生からの第一感覚は、学識が広くて、見識が広くて、先生に感心しました。」と書かれていた。
おそらく学生なのだろうが、中国にて生活している中でも、かなり不思議な出会いではあった。まあ、日本ではありえない出来事だろう。中国社会はとても競争の厳しい世界だ。自分の未来・将来に向かってどんなチャンスでも糧にして伸びて行こうという気持ちを持つ学生は、かなり少ないが存在する。こういう面白さというものが、この中国社会には潜んでいる。