彦四郎の中国生活

中国滞在記

現代中国における宗教事情❸―「儒教」の復権―政権は容認、警戒も―

2018-06-02 10:18:55 | 滞在記

 福建省三明市尤渓(ヨーシー)、この山間(やまあい)の小さな街は、朱子学(儒教の一派)の開祖「朱熹(しゅき)」=朱子(しゅし)の故郷だ。今から900年ほど前にここで生まれ、学堂を開き「朱子学」(哲理)を広めた。晩年は、同じ福建省の武夷山(世界遺産)の渓谷に学堂を開いた。この尤渓に初めて行った2014年1月、朱子学の「学堂」が再建され始めた。そして、2016年にはこれが完成した。朱子学や儒学に関する学習ができる場所である。ここには朱子が植えたとされる樹齢800年を超すクスノキの大木が2本現存していた。

 「朱子学」は日本に大きな影響を与えた。江戸幕府の「官学」ともなった。この朱子の言葉として、日本人によく知られているのが「少年易老学難成 一寸光陰不可軽 ‥‥‥」(少年老いやすく 学成り難し)であろうか。 現代の日本人の精神構造にも残っている「武士道」の3つ源泉とは、「神道・仏教・儒学」である。この「儒教」、現代中国において再び注目され始め、静かながらブームになってもきている。尤渓での朱熹学堂の再建などもその一つのだ。

 学術会議でもテレビのクイズ番組でも、儒学の祖・孔子の思想が取り上げられている。政治指導者や有名人が孔子の言葉を引用し、さまざまな自称「儒学者」たちが儒教の意味を議論している。毎日、午後5時5分から始まるあるテレビ番組では、「この儒学的」な側面もある番組が人気を博している。私も大学からの帰りのバスの中で時々見ているがけっこう面白い。古代衣装に身を包んだこの番組の出演者はほとんどが小学生・中学生の年代の子供、そして儒家とおぼしめしおじさんが一人。

 「儒学(儒教)」は宗教ではない。中国・朝鮮・日本・ベトナムなどの国々の歴史に多大な影響を与えた「儒学」は、「道徳的修養」「徳治主義的政治」を尊ぶので、精神的な支柱として「哲学」という面が大きい。日本の大学の哲学科などでは「東洋哲学」として扱われていて、京都の龍谷大学や東京の東洋大学の哲学科ではこの講座なとが充実している。中国政府が国外の大学で展開している中国語・中国学学校を「孔子学院」と称し、日本でも早稲田大学や立命館大学など十大学以上の構内にこの学院がある。2007年、訪日した胡錦濤国家主席と温家宝首相は、早稲田・立命館をそれぞれ訪問している。

 上記の写真は、南京にある儒教の「孔子廟」で行われた新学期の式典に出席する小学生たちだが、この小学校は「子供の教育に伝統的な手法や『四書』(儒教の重要な書物)などを教育に取り入れている私立学校」。このような私立学校は国内に現在約3000校あると言われている。(中国にある膨大な学校に照らせば、ほんの少数だが)  私立学校の運営の細かな点までは国の権限が及びにくい。2018年2月、中国の教育省が出した通達は、儒教の流行の一因となっている私立学校を牽制するものだった。これらの学校は、古典的な哲学の書物や慣習を重視した教育を行っているが、これらの学校に注意を怠らないようにとの通達だ。

 古くから儒教は、国家を支持するために使われたが、同時に国家に反抗する哲理ともなってきた。漢王朝の武帝(在位・紀元前141年~紀元前87年)は、儒教の教育を受けた者を要職に登用した。中国で正式に儒教を取り入れた官僚登用試験(科挙)が行われたのは650年頃で、明朝時代(1368年~1644年)にさらに厳密に制度化された。以降、国家権力の近くに身を置くことができるのは、儒学の古典を学んだ者に限られた。

 1910年頃に科挙試験が廃止され、そして「清王朝」が滅ぶとともに「儒教」の重要性は低下していったが精神的(道徳的)な支柱として、儒教は生き続けた。しかし、毛沢東が主導する「文化大革命」の影響以降から現在にかけて、中国からは道徳は失われていったと多くの国民は考えている。私立の儒教学校の存在は、多くの国民が文化・道徳面で不安を抱えていることの証とも言える。経済の急成長は、都市化や物質主義、個人主義化という急激な変化を社会にもたらした。

 この混沌とした状況の中、毛沢東時代にすでに崩壊していた、道徳的方向性が失われたという実感が広がっている中国社会。(これは日本社会にも言える面もあるが、中国の場合は、マナー面の崩壊が日本の比ではない) 何が善で何が悪か、国民が共通の感覚を抱けなくなったと指摘する知識人もいる。中国は「道徳の危機」「道徳の崩壊」とも言うべき状況がずっと続いている。(※中国では、「被害にあったほうが間抜けだ」という考えがけっこう強い社会でもあると私もいろいろな経験から思うことがある。) 不確実な時代に直面し、この10年間に、多くの人が宗教に目を向け始めた。この流れの中で、儒教を道徳的な指針の源と考える人たちが出てきた。儒教は厳密には宗教ではないが、機能としては宗教的な役割を果たしてもいる。

 習近平国家主席は、公式なイベントで、孔子を讃えたこともあった。だが、このような儒教の流行の広がりは中国共産党政権としてはあまり歓迎すべきものではなく、多くの国民に「儒教」を支持させたいという考えは毛頭 もっていない。中国共産党式「馬克思主義」(マルクス主義)の倫理観と「儒教」の内容とはかなり違う所も多いからだ。だから「儒教」の広がりには、少なからず警戒感をもってもいる。

 孟子はかって言った。「民を貴しと為し、社稷(しゃしょく)はこれに次ぎ、君を軽しと為す」(第一に人民を貴しとし、人民が栄えること、国家はこの次のことだ そして君主とはその次の存在だ➡人民が栄えることなくては、君主などいなくてもいいという意味)   明朝の皇帝はこの思想を脅威とみて、孟子の書から削除しようとした。

◆儒学―中国古代の儒家思想基本にした学問。孔子の唱えた倫理政治規範を体系化し、四書五経の経典を備え、長く中国の学問となる。自己の倫理的修練による人格育成から最高道徳「仁」への到達を目指した。また、礼楽刑政を講じて経国済民の道を説く。のち、新儒学としての朱子学・陽明学として展開。日本社会にも多大の影響を与えた。

 儒教の一派としては、「孟子」「荀子」「老子」「荘子」などがあげられる。「四書五経」とは<大学><中庸><論語><孟子>の四書と<易経><書経><詩経><礼記><春秋>の五経。

◆ケント・ギルバート著『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』について

 この本を1年ほど前に読んだ。儒教が中国人や韓国人にどれほど影響を与え(特によくない面として)ているか、共感できるところもかなりあるが、「儒教とはどんなものなのか」ということに関して、私もよくはわかっていないが、ケントさんも あまり儒教の研究を深くしたことがないなあという印象はもった。やはり、中国の歴史、文化、中国人というものを深く理解するには 「儒教」の深い理解は欠かせないが、3000年間にもわたる儒家たちの思索の総合で、なかなか膨大な世界で奥も深くて難しい。