昨日は「論語の会」だった。順受の会、といい今年は21年目になる。
20周年をお祝いして、春に小川町で祝賀会をやることにあいなった。
経世家とまではいえないけど、ちゃんと「今」のことを本音で語りあえる友が
いるのは幸せなことだとつくづく思う。
今日は書の会。「道」とつくと少し重たいし、肩肘を張ってしまうけど、この会は
精妙にこころを落ち着かせ、酒脱な気持ちで「自分と向き合う」ような会。
文花という我が町に、文人墨客たちが集まってきて、陽気に書をたしなみ、酒を飲み、談論風発。
世界中の人たちが、今のままの働き方をして、今のような生活をして、今のような政治をして・・・
では、先がない、となんとなく明日に「不安」な気持ちになり、挫屈感みたいなものを味わっている。
こんな時は、これまでの経験やうまくいってたことをいったん忘れて、こころを「空」にして、自分を
見つめることなんかが、必要かもしれない。
この文を書いている文机の前に窓があって、その向うに小さな庭がある。つわぶきの横に道祖神
が座っている。中越地震の起きる半年くらい前に新潟の十日町の骨董屋から買ったものだ。
その前にリンゴを置いているので、ただいま、四十雀のツガイが遊びにきた。
日本人になじみのある鳥だけど、昔から「目白」みたいに家で飼うことはなかった。「始終空」
という言霊を嫌ったから。日本人は昔から貧乏で、家の中や財布にお中が空であることをいみきらったのか?
でも仏教の一番伝えたかったものは「空」の精神だし、禅も「無」を大切にしてきた。
これからは「無為自然」という、自然に逆らわない、小さなトレンドに一喜一憂しない生き方がよろし。
明日は「かっぽれ」。味噌作りもスタート。お米と味噌と醤油が「これ」というものを具えていれば、不足はない。
そば粉があれば天下無敵の台所。
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