光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

3月2日なのでスハ32系のはなし

2024-03-21 05:29:25 | 車両・客車・貨車
 以下の記事は3月2日にメインブログで上げたものの再録です。

 3月早々に日付の語呂合わせネタです。

 今日が3月2日という事でスハ32系を肴にしようかと(汗)
 1975年版の工作ガイドブックの記載を引用すると

 客車の屋根は二重屋根であったが、雨漏りや強度・工作などに欠点があるため、昭和7年〈1932年)丸屋根形のスハ32系が誕生した。国鉄最初の20M級2軸ボギーで側面のリベットは近代型の過渡期を物語っている(以下略)

 のだそうですが、実はスハ32系という名称自体は国鉄の正式呼称ではないのだそうで、この前後の時期に製造されたスハ32600、32800及び同形式の車体を持った客車の総称を便宜的にそう呼んでいるのだそうです(Wikipediaより)
 それよりもわたしの手持ちのスハ32系にはダブルルーフ仕様が結構混じっているのですが、上記との矛盾を何とする(笑)

 わたしがこの趣味に入った前後の時期はNゲージでもオハ31系と20系しか完成品の客車はなく、当時出始めだったGMのキットも10系やオハ61系辺りが中心で、スハ32系なんかは当時の製品化予定にも入っていなかった存在でした。上述の工作ガイドブックではこの頃の16番スケールモデルでは20系はもとよりオハ61、35,43、44系なんかと共にスハ32系もラインナップ(宮沢模型製)されていて製品化の層の厚さの違いに圧倒されたものです。

 その当時でもわたしになじみが薄かったのがスハ32系で他のスハ43系やオハ35系はそれなりに実車を見掛けたものの、わたしの故郷ではスハ32系は殆ど引退状態でしたから「この客車のNゲージモデルが出るなんて事はないだろうな」とか漠然と思っていた物でした。
 ですがこの直後、1980年代初頭からNゲージのモデルは急速にラインナップを拡大し新規参入メーカーも続出。その中のひとつである中村精密からキット形式とはいえスハ32系のNゲージモデルがリリースされました。

 が、如何せんブルトレブームの最中のあの時期、他よりも古典臭の漂うスハ32系への注目はそれほど強いものではなかった様で中村精密の縮小と共に一旦ラインナップからスハ32系は消滅します。

 その後、Nゲージの普及に伴い旧型車へのニーズが再び盛り上がり始めるタイミングで、新規参入組の長谷川製作所が中村精密のモデルをキットメイク・完成品仕様として発売し始めます。

 わたしがNゲージでスハ32系を手にしたのもMODEMOのモデルがそろそろ中古市場に出回り始めるタイミングだったと記憶しています。
 20M級の車体に小窓の並ぶ独特の風情はオハ35系やスハ43系とは異なる落ち着きを感じさせた物で、それも購入の動機になっています。

 その後KATOから急行音戸や中央線普通列車などのセット品の中にスハ32系がラインナップされる様になり、特に旧「北星」にも使われていた寝台車の仕様などは昔だったら製品化自体が想像できない物でした。わたしの手持ち客車の中でスハ32系が勢力を拡大し始めたのもこの辺りからです。

 MODEMOの客車セットなどはそれこそ中村精密の蒸機(今ならワールド工芸なんかも)が似合う様なラインナップでしたから、これも中古を入線させています。あと外国型蒸機との相性もなかなか悪くありません。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。