◼️「007/ロシアより愛をこめて」「007危機一発」(1963年・イギリス)
監督=テレンス・ヤング
主演=ショーン・コネリー ロバート・ショウ ダニエラ・ビアンキ ロッテ・レニア
初めてテレビの映画番組で観て以来、もう何度観たかわからない。オールタイムベストを選べと言われたら、おそらく選出する大好きな第2作。
吹替版を繰り返し観てるもんだから、台詞丸暗記してた場面も多い。例えば、クレブ大佐がタチアナに任務を命ずる場面の会話。
「初めての相手はどう?」
吹替版を繰り返し観てるもんだから、台詞丸暗記してた場面も多い。例えば、クレブ大佐がタチアナに任務を命ずる場面の会話。
「初めての相手はどう?」
「相手次第だと思います。女ですもの」
「利口な答えだね」
字幕で観るとけっこうキツい言葉が並ぶのに、日本語吹替版で選ばれている言葉はしっくりくる。字幕で観ていても、テレビで聞いた台詞が次々に脳内で再生される。
「赤をもらおう」
字幕で観るとけっこうキツい言葉が並ぶのに、日本語吹替版で選ばれている言葉はしっくりくる。字幕で観ていても、テレビで聞いた台詞が次々に脳内で再生される。
「赤をもらおう」
「せっかちな人ね」
「要所要所を息子で固めとるんだ」
「美女とご一緒だったんでしょ。ジェームズ。」
…いかんいかん。
対立する東西冷戦の構図に、イスタンブールでイギリスに協力するケリム一家、ソビエトに協力するブルガリア人グループ。その間で糸を引きボンドを罠にかけようとする悪の結社スペクターという、実はけっこう複雑な構図のストーリー。だけど、今何を目的に動いているのかが意外と分かりやすい。スパイ映画はただでさえ複雑な国際情勢と騙し合いが描かれるから、難解な映画も多いが、「ロシアより愛をこめて」は、そんな複雑な事情を全く感じさせない編集と演出。エンターテイメントとしても見事なのだ。
悪役に個性があるのもこの時期の007映画の魅力。クレブ大佐を演じたロッテ・レニアの憎たらしい表情もいいが、特に殺しのプロフェッショナルであるロバート・ショウが存在感。ダニエル・クレイグがボンド役になった頃に、金髪に青い眼のボンドなんて殺し屋みたいだ…とオールドファンがしきりに言っていたが、あれはこの映画のロバート・ショウのイメージが残っているからなのだ。
また後々のシリーズ作品へと受け継がれる要素が確立しつつある。Qから支給される装備は仕掛けだらけのアタッシュケースだが、これを手始めに、だんだんとギミック感が増してくることになる。クライマックスはベネチアが舞台となるが、この街もシリーズ中幾度も登場する。そして何と言っても猫を抱いたブロフェルドの不気味な存在。これは多くのパロディや模倣を生むことになる。映画館の看板から逃げる敵を射殺する場面が好き。
さて。僕に007映画を仕込んだ映画好きの父親は、歴代ボンドガールのベストはこの映画のダニエラ・ビアンキだと言う。大人になった息子はその気持ちがよーくわかるようになりました。この役柄については、美貌の添え物みたいに言われることもあるけれど、今観ると組織の下で道具としてしか扱われない立場の悲しさがにじみ出ているとも思えるのです。はい。
対立する東西冷戦の構図に、イスタンブールでイギリスに協力するケリム一家、ソビエトに協力するブルガリア人グループ。その間で糸を引きボンドを罠にかけようとする悪の結社スペクターという、実はけっこう複雑な構図のストーリー。だけど、今何を目的に動いているのかが意外と分かりやすい。スパイ映画はただでさえ複雑な国際情勢と騙し合いが描かれるから、難解な映画も多いが、「ロシアより愛をこめて」は、そんな複雑な事情を全く感じさせない編集と演出。エンターテイメントとしても見事なのだ。
悪役に個性があるのもこの時期の007映画の魅力。クレブ大佐を演じたロッテ・レニアの憎たらしい表情もいいが、特に殺しのプロフェッショナルであるロバート・ショウが存在感。ダニエル・クレイグがボンド役になった頃に、金髪に青い眼のボンドなんて殺し屋みたいだ…とオールドファンがしきりに言っていたが、あれはこの映画のロバート・ショウのイメージが残っているからなのだ。
また後々のシリーズ作品へと受け継がれる要素が確立しつつある。Qから支給される装備は仕掛けだらけのアタッシュケースだが、これを手始めに、だんだんとギミック感が増してくることになる。クライマックスはベネチアが舞台となるが、この街もシリーズ中幾度も登場する。そして何と言っても猫を抱いたブロフェルドの不気味な存在。これは多くのパロディや模倣を生むことになる。映画館の看板から逃げる敵を射殺する場面が好き。
さて。僕に007映画を仕込んだ映画好きの父親は、歴代ボンドガールのベストはこの映画のダニエラ・ビアンキだと言う。大人になった息子はその気持ちがよーくわかるようになりました。この役柄については、美貌の添え物みたいに言われることもあるけれど、今観ると組織の下で道具としてしか扱われない立場の悲しさがにじみ出ているとも思えるのです。はい。