【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

ヨッセンクラス万歳!

2017年05月13日 | 徒然日記
昨夜は京都山科にて居酒屋を営む緑ヶ丘小学校5.6年の同窓であるハヤシの店に幼馴染らと集まった。

集まったのはヨッセン、ハリモ、フジイ、トヨキ、アズマ、フジイの嫁さんと僕である。

以前にもココに書いたかもしれないが、この緑ヶ丘小学校5.6年1組というクラスでの2年間は、僕の幼少時代に最も影響を受けた2年間であり、今の自分が成長する過程での僕のカラダのど真ん中を走る背骨の部分を組み立ててもらったと断言しても過言ではない2年間であった。

その僕のベースを育ててくれた熱血教師であり何かあればすぐに手が出たヨッセン。

そして当時驚くほど頭が良く、頭が良すぎて偶にピントがズレてチンプンカンプンになったりしたがやっぱり東大まで進んだハリモ。

あの頃と変わらず池田に住み、何かあればみんなに連絡を取り幹事をしてくれるフジイ。

当時カラダが僕よりも小さかったがヤンチャで茶化し屋だったが漢気があったトヨキ。

いつも喧嘩っ早く怖い存在だが実はすごく温かかったアズマ。

久しぶりの再会にも関わらず、今から37〜8年前の出来事を思い出し、懐かしみ、そして大笑いの時間であった。

それ程大昔の2年間だが、今になっても多くを記憶している事自体が、あの頃の時間が如何に皆んなの人生に於いて大切であったかを容易に伺い知る事ができた。

ヨッセンクラスは、常にヨッセンが生徒皆んなを丸め引きこみ、喜怒哀楽の大きな波を全員で共有させて、誰も傍観者になる事なく誰もが主役として振る舞える場であった。

また学業というモノは教科書だけから学ぶモノではなく、思いやりや勇気やハングリー精神や友情という人として最も大切なモノを学ばせてもらえたかけがえのないクラスであった。

その当時、ヨッセンは池田駅前にあったドムドムに連れて行ってくれたり、僕とフジイが通うKTVスイミングスクールの大会に応援に来てくれたり、またボーリングに連れて行ってくれたり、明らかに一般的な教師と生徒の枠をはるかに超えた人間味ある恩師であった。

緑ヶ丘小学校の近くには緑ヶ丘団地があり、その真ん中に中央公園がありそこで毎日放課後に草野球をしていたのだが、その今は無き緑ヶ丘団地のどの棟に誰が住んでいたかという事すら今尚、覚えていたりするのである。

現在、皆それぞれのフィールドで頑張っているのであろうが、それは全く比較する事なく素直にお互いを評価出来るストレスフリーの関係、それが所謂、幼馴染というものなのであろうか…

昨夜の素晴らしい仲間に囲まれているシアワセの余韻を振り返る雨の朝であった。

さて東北へ向かおう。

ヨッセンクラス万歳!