【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

プノンペン放浪2013新春 『 貧しいけど豊かな国 』

2013年01月09日 | 旅三昧!釣り三昧!
バナナを買って、小雨のサイゴンから1泊2日でカンボジアのプノンペンを目指すことにした。



サイゴンから陸路、バスで6時間の旅となる。片道11ドル。

カンボジアに入国するためにはビザが必要なのだが、どうやら国境に行けばその場で買えるようだ。買えなければ国境の街に1泊して引き返せばよい。

そんな軽い気持ちでバスに乗った。

バスにはバックパッカーの欧米人若者グループ、地元の人々多数、僕と同じく個人の旅行者がぽつりぽつり。日本人は僕だけである。

これまで訪れたことのないプノンペンの街を見てみたいという気持ちは勿論だが、それ以上にこのバスでの道中で車窓からみれるベトナムとカンボジアの田舎風景とそこで暮らす人々を見てみたい。

これが陸路でプノンペンを目指すことにした最も大きな理由であった。

そしてアジアの国境を飛行機ではなく陸路で跨ぎたい。



郊外にでるとすぐに田園風景となった。

しかし時たま少し大きめの町に訪れる。そしてまた田園風景。



とても美しい。

しかしバックパッカーの若者たちはただただくだらないことを話すか寝るか、周りの景色など一向にかまっていない様子。彼らの旅は見聞するということではなく、とにかくパスポートにハンコを押して歩くというものになっているような気がしてならなかった。

まぁ、僕の気のせいであれば良いのだが…。

2時間半ほど走ると、ベトナムとカンボジアとの国境にやってきた。





Here I am on the border!!!

国境の風景が、まるでかつて亡き友・SAWADAが架けた国境の橋の辺りの風景と同じだったので驚いた。

カンボジアのイミグレーションとタイのイミグレーションの建物が本当によく似ていたのだ。

あの国境の橋を訪れた数年前の記憶と今がかなりオーバーラップして少しだけ悲しい過去を一人思い出したりした。

申請のための写真もなにも準備していなかったのだが、25ドルでビザを発行してくれた。

かなりゆるい国境である。

その国境をカンボジアに越えてすぐの長屋のようなお店で20分ほど休憩があった。

国境カンボジアサイドには、中国資本によるカジノ&ホテルが乱立していた。社会主義国であるベトナムからやってきてカジノを楽しんで帰る人がいるということだろう。

しかしこんなにカジノがあっても全くもってガラガラ状態であった。やっていけるのであろうか…と素朴な疑問。

そんなことを考えながら店端で立っていると蒸したトウモロコシを売る女性が寄ってきたので値段を聞くと20円と云うではないか。買うことにした。



なにも調味料もつけずただただ蒸しただけのトウモロコシだが、とても甘かった。

店先に佇む可愛い男の子がいたのでカメラを向けるとすごく恥ずかしがった。パチリ!



更にしばらくバスで走ると、また少し拓けたような町になりバスは止まった。窓より前を見ると大河である。



メコン河である。

このサイゴンからプノンペンへの路はメコン河で一度分断されているのであった。

そしてこのメコン河をバスごとフェリーに乗り込み渡るのであった。



この泥水の河でも釣りをしている人も見かけられた。

カンボジアに入ると、ベトナムよりさらに貧困度合が増したように感じたのは気のせいかもしれないが、道の両サイドに軒をだしてるお店がちらほら。

普段は農家で収穫した野菜を売っているようだ。すごい速度でバスは走るので何を売っているかはよくわからない。



きっとお金のいらない生活なんだろうなとふと思った。



バスがプノンペンに到着した時、僕はある意味がっかりしたと書くのが正しいのかもしれない。

首都とはいへ、とてつもなく地方都市という感じなのであった。サイゴンの印象が強すぎたためかもしれない。きっとそうだと思う。

とりあえずIPHONEで予約を入れたホテルを目指し歩き始めたのだが、街にほとんどタクシーがないからであろうバイクやトゥクトゥクの客引きが凄い。凄すぎる!

5メートル間隔で寄ってきて話しかけるのだ。お前、オレが目の前で他の客引きを断っているのを見ていなかったのか?という具合なのである。

だんだんゲンナリ、どんどん辟易って感じである。無視していることすら頭にくるほどである。

ついでにココのきてついにお腹が壊れた。

ダブルパンチである。

あの客引きが嫌なのでホテルから出たくない気にすらなってきたのだが、せっかくプノンペンにきてるのにそれは勿体ないと心に鞭を売って市内を歩き回った。

セントラルマーケット、ロイヤルパレス等々…。









しかし、やはりサイゴンのほうが活気があって、それに勝てない。

確か沢木耕太郎が著書・『深夜特急』にて香港が余りに刺激的すぎて、その後に訪れたバンコクがイマイチだったと書いていたことを思い出した。

なんだかそんな感じかもしれない。

歩き疲れて足腰がかなり痛かったので、プノンペンでもマッサージを受けることに。1時間45分で900円也。サイゴンで受けたマッサージの更に上を行く技術であった。

おばちゃんの握力がかなり強くて、ちと痛かった…。

お腹がダメなので、歩いている時に見つけた日本食居酒屋へ。

なんでこんな料理がこんな高いの?っていう感じ。

その後、BARで飲んだ。そのBARのオーナーのOさんは日本人でプノンペンにて働くようになり27年とのこと。プノンペンでは最も永い日本人であった。日本食レストラン(上記とは別)も経営されている。カウンターでしばらく話した。

カンボジアは貧しい国だけど、食糧自給率がほぼ100%なので、お金がないという意味では貧しいが、生活は豊かで餓死することはありえないとOさん曰く。

なるほどそういう考え方もある。

イオンもプノンペンに展開を決めており、これから日本よりたくさんの投資家がやってくるであろう。

そうなったときこの街は、いやここの人々はどう変わるのであろうか…。

酔ったBARの帰りにホテルの前の屋台で焼きそばを頼み、カンボジアビールでこの日を締めた。





翌朝、バスまでの時間はまた街をぶらぶらと。



セントラルマーケットにてせっかくなので釣りの時に使えばいいと思い、お土産として6ドルのデジタル時計を購入したのだが、日本に帰国するまでに壊れてしまった。

なってこった…。

お昼、カンボジア炒飯を食べてホーチミンへ戻るバスに飛び乗った。



やはり旅の陸路での移動は日中移動が鉄則とつくづく痛感したプノンペンへの旅であった~






サイゴン放浪2013新春 『 半分ヒヨコのゆで卵を食べに~ 』

2013年01月09日 | 旅三昧!釣り三昧!
2013年1月4日の午前2時頃、ネットにて適当に予約した安宿にタクシーで乗り付けたので全く気付いていなかったサイゴンでのホテル界隈だったが、早朝6時半、凄まじいばかりの窓の外の喧騒で目が覚めた。



クルマのクラクション、行き交うバイクの数の多さ、走る人々の坩堝、街の活気…

ホーチミンシティ、またの名をサイゴン。ベトナム人はそう呼ぶ。

こいつはとんでもなく面白いとこにやってきたようである~。

実の所、旅の直前までは全く未知の地であり、孤独の日々がイヤになったりしないかなと不安も少しはあったのだが、この部屋から見える喧騒を見て、そんな気持ちはぶっ飛んだ。

僕は早速、ホテルのレストランに朝飯を摂りに行った。決してきれいとは云えない、どちらかといえば汚い朝食会場には、タイでいうバーミー(ラーメン)の屋台があった。

フォーである。

早速、それを頼む。

給仕の女性が唐辛子を切ったものと小さいレモンを4等分ほどに切った欠片を小皿に入れて持ってきた。そしてこれをかけて食べろとアドバイスしてくれた。

美味い!!

さっさと着替えて街にでた。昨夜チェックインの時にもらった地図には、すぐそばにサイゴンで最も大きなベンタイン市場があると書いてあった。

そこを目指す。恐ろしいほどのバイクである。



ここは横断歩道は普通にあるのだが、信号が要所要所にしかないのである。

そして人は適当にバイクを避けつつ道路を渡っているのだ。

最初、道路を渡るのにものすごく度胸がいった。

ベンタイン市場の脇に見つけた銀行にて日本円をベトナムドンに両替し、市場に入った。



すごい数の店である。雑貨、ベトナムコーヒー、フードコート、そして鮮肉や鮮魚、フルーツとなんでもござれの市場である。



市場は楽しい。

特に釣り好きの僕は魚市場が一番楽しい。だいたい海外の魚市場に行くと、日本で皆が知る魚と同じ種類なんだけど若干違う形をした魚が売られているのだ。





その市場を時間をかけて見て回ったら、サイゴンの目抜き通りであるドンコイ通りを下り、『開高健』がこよなく愛したとして有名なマジェスティックホテルの屋上にあるスカイバー(SKY BAR)へ向かった。





スカイバーからは静かに流れる大河・サイゴン川を登っていく大型船やずっと向こうの建物まで眺望できた。静かな流れである。

路を歩いていると、たくさんのバイクに乗ったオッチャン達が声をかけてくる。

「オレのバイクに乗らないか?」、「観光?」、「元気?」…

みんな優しく声をかけてくるので、それほど嫌な感じはしない。適当に切り抜けて歩く。

路上の散髪屋の父さんがこちらをみて手を上げる。雨が降ったらどうするんだろう…。

ベンタイン市場に戻り、ミー(小麦卵麺ラーメン)と生春巻きを頼む。僕はミーがフォーより好きだ。160円也。





かなり歩いていると、滞在のホテルからそれほど遠くない所にバックパッカー達が集まるであろう通りを発見しまたてくてくと。



ドリアンの屋台を運ぶ女性が前を歩いていた。



この街の雰囲気はなんなのであろうか…。



強いて云うならば、20年ほど前のバンコクのにおいに近い。

しかしものすごくエネルギー溢れる街である。

夕方、バンコクの友人の同僚でありホーチミン駐在のTANAKAさんと会い握手。もうこちらにきて5年目との事。

ローカルの人たちがいく焼き肉レストランに連れて行ってもらった。



これがまた美味い美味い!

TANAKAさんと話している間に、なんと隣国カンボジアの首都プノンペンなら陸路で6時間ほどで行けるという情報を得る。

陸路で国境を超えるという魅力的なプラン。これだと思い即採用とする。

夕食後、カフェでビールを飲んでいたら向かいにトラベルエージェントを見つけたので、そこのカウンターに話し、すぐに翌々日のバスのチケットを押さえてもらった。



僕もバイクに乗せてもらい街を走ってみた。地元の人々に混ざっている気分。悪くない。

翌日は、路面バスに乗りホーチミン市の西にある中華街・チョロンへ行ってみた。路面バスで一時間弱、片道20円也。





相変わらずバイクが多いが、1日で道路の渡り方をなんとなくマスター。ゆっくり歩くとバイクが避けてくれるという事がわかった。但し、クルマは歩行者が避けなければひかれてしまう。

地図がないのでチョロンの街をやみくもに歩いたのだが、知らぬ間に華僑の住む住宅街に入ってしまった。道幅がせまく、人々は上半身裸で歩いたりしている。夜はかなり危険と、僕の中の危険信号が鳴る。

速足で広い通りに戻る。

ここにもビンタイ市場という市場があり、とても混雑していた。



かなりディープなエリアである。

市場の向かいで炒飯を食べてホテルに戻った。



この日は、歴史博物館を訪れた後、マッサージをしてもらった。背中の上に熱した丸石を並べるという本格的なマッサージであった。

夜、これまたローカルな貝だけを食べさせてくれるレストランがあるという事で、そこに連れて行ってもらった。



本当に貝尽くしであった。サイゴンビールが美味い!

その後、『X JAPAN』のTOSHIの実兄であるKENさんが営んでいるカラオケ屋を訪ねた。なかなか気さくな好印象な方である。KENさんは、声楽を学んだからか、はたまた遺伝的なものなのか、歌がびっくりするくらい上手く驚いた!

そして当初のこの旅の主目的であった『半分ひよこのゆで卵』を買ってきてもらい食べた。2個食べた…。



味は…。もう食べなくてもいいかも…。何事も経験である!

しかし今回のサイゴンの旅は、本当にベンタイン市場が食の軸となった。



カニ炒飯がこれまた美味かった。

最後に一番心打たれた『ホーチミン戦争証跡博物館』について書かなければなるまい。





この博物館はベトナム戦争を通して、実際の戦争の悲惨さを証拠として残すべく建てられた博物館であり、中には偽りない写真が多数展示されている。博物館の庭には、実際に大量の殺戮をしてきたであろう戦車、戦闘機、バズーガー砲のレプリカではなくそのものが展示されている。





恐らくホーチミンのみるべきスポットとしては、人として絶対に見に行くべき場所だと思う。

さまざまな戦死者の写真、化学兵器により奇形となった人々の写真を目の当たりにし、戦争とはいかに愚かなものであるかといういことを再認識させられた。

サイゴン最後の夜は、ひとり初日に連れて行ってもらった焼き肉のローカルレストランへ。炭火で食べる一人焼き肉は寂しいけど、やっぱりものすごく美味かった。



ホーチミン、必ずまた訪れたい街。僕の中のアジアの魅力ある街ランキングの最上位に、突如として現れた街。

末筆乍、この地のフランスパンは噂通り、最強に美味だったということを書き加えておく。