花歩る木

山と旅がすきです

横尾山

2010-06-28 15:53:12 | 山歩き
  6月24日 横尾山(1818m)

   山梨県百名山の1座である 横尾山に登ってきました。
   急な梅雨の晴れ間を向かえたので、ほとんど準備なしで出かけました。
   お弁当は途中のサービスエリアで買うにしても、地理の研究、山の様子もわからず、
   中央道、須玉I.C.を降りて 「信州峠」 をめざしました。
   
    
     車道から見た 八ヶ岳              蛾がたる花崗岩の瑞がき山
   
   信州峠の駐車場(7~8台置ける)で軽いストレッチをして、
   車道向かいの登山口の標識に従い階段を登りました。 何て分かりやすい!
   カラマツが植林された尾根をたどり、岩の露出した急斜面ををこなすと、
   突然樹林を出て、あかるい雰囲気となって、つつじが一斉に花開いていたんです。
      小高い台地になっていて、東西南北へ位置をずらしていけば、
   奥秩父、富士山、南アルプス、乗鞍、浅間山まで遠望できました。
   ここまでわずか1時間。

   
     東には岩峰を列ねた瑞がき山↑   五条岩が天を突く金峰山↑
   
      南に 秀麗な富士山
      
   鳳凰三山の後ろに北岳 ↑                 甲斐駒ヶ岳 ↑
   
    横尾山の稜線越しに 八ヶ岳

   ツツジの見事さにあっけに取られてしまいました。
   丁度満開!!  後から登って来た清水の3人組おばさんと
   「うれしい!」「やった~!」を連発して、握手にハイタッチ。
   この人たちは何回も来ているけど、これほどきれいに咲いているのは
   今日が最高だとか。一時期ダメになったこともあったのに
   草刈などして、手入れしたんでしょうね・・・との話。
   今日は頂上まで行かないで、明日は「湯の丸山」だから、力を残して 降ります。
   と早々に下山されました。
   山頂までは小高い丘を越えて、約50分でした。
   感激が引かないので頂上(1818m)から携帯で(通じた)友達に自慢しました。
   来年6月24日に行こうね。 
      
      
        グンナイフウロ                    アヤメ
  
   レンゲツツジ、ヤマツツジのほかに紫の花が目立ちました。
   秋はカヤトの原になって、 尾根歩きが楽しいでしょう。
   10月下旬には友達を誘って行きましょうかね ?    

出光美術館 屏風の世界展

2010-06-28 12:52:59 | 美術館
   6月22日 出光美術館の「屏風の世界」 を見てきました。
  
   三菱一号館美術館から、2ブロック先、10分もかからないで、出光美術館があります。
   遠路はるばる東京駅周辺まで来たので、ツイデニ(と言っては失礼ですけど)
   出光美術館を見ることにしました。

      
      帝劇ビルの9階にあります。        出光美術館の入り口です。

   出光興産の創業者、出光佐三が収集したコレクションを
   公開する為に建てられた 日本、東洋の古美術が中心の美術館です。
   何よりも皇居のそばの9階に位置するため、眺望が抜群です。
   ここでセルフサービスのお茶を頂いて、先ず一休みするのです。

     
    
   屏風は中国で風除けの調度として誕生しました。
   日本に伝わってからは金銀や扇面貼付などによる日本独自の技法と
   四季絵の展開によって、移ろい行く時間・空間が表された形式へと
   変化しました。
   室町から江戸時代にかけての花鳥画・物語絵・風景画の優品によって
   日本の生活を飾った屏風の変遷と展開をひもときます。
                                       展覧会案内より

   見終わってもう一度ロビーでお茶を頂く、ぜいたくなくつろぎのスペースです。
   東京駅周辺に 「出光美術館」 「ブリジストン美術館」 「三井記念美術館」
   「三菱1号館美術館」 と4つあります。頑張って歩いて行ける範囲です。
   昔の創業者はお金儲けは勿論、美術を見る目も抜きん出ていたんですね~
   おかげで、残された宝を鑑賞させていただいて、目の保養をさせていただいています。
                  
                              

マネ・モダンパリ展

2010-06-27 17:26:42 | 美術館
 6月22日 マネとモダンパリ展
   三菱一号館という美術館が4月に開館され、その記念すべき
   第一回が 「マネとモダンパリ」 展です。↓

   

   明治27年に竣工したこの建物は、鹿鳴館やニコライ堂の
   設計者、ジョサイア・コンドルによって、三菱最初のオフイスビルとして、
   設計されたものですが、老朽化のために解体され、
   今年4月に、ほぼ原型通りに復元されたものです。
   
   「オルセー美術館展」 「ボストン美術館展」 と時を同じくして
   今年の初夏は印象派・ポスト印象派が目白押し。
   この日、開館10分前に着いたのに20人ほど並んでいました。
   印象派に取り付かれた人、はまってる人、大フアンが目白押し。
   私もその1人で、そのために春の旅行をフランスにしたのです。
   この「予習の旅」が功を奏して、お陰で フムフム 納得、納得の
   美術館めぐりをしています。
  
   
   

   エレベーターで3階に上ります。
   1.スペイン趣味とレアリズム

  「オランピア」とは娼婦の名前。裸婦=女神と言う時代に
  裸の娼婦を描いたのでスキャンダラスだと批判されました。
  「紳士か反逆者か」と言われたのです。

   2.親密さの中のマネ、家族と友人たち

  
    マネの絵の中で「横たわるベルト・モリゾの肖像」↑ の絵が一番好きです。 
    モリゾも印象派の画家ですが、マネのお気に入りのモデルでした。
    黒服で胸元の緑の花が目立っていて、大きな目をじっとこちらに向けています。
    (いろいろあったらしいですが)   マネの弟と結婚しました。    

    3.マネとパリ生活
    2階に下りると第3章になり、マネ以外の作品も沢山出ていました。
    マネの作品の色調が全体として明るくなっていました。

   
   「ラティユ親父の店」↑ 戸外の明るい光の中に
   女性を口説く男とそれを眺める給仕が描かれています。

   本来別の用途に用いられていた建物を、美術館として
   再利用したもので、小さい部屋がつぎつぎと続いています。
   暖炉のある部屋もありました。松材の床はコツコツ靴音が響いて、
   それがいい・・・と言う人もありますが、混んだ人込みの中では
   ちょっとわずらわしく感じましたけど、、、、、、

   「日本が19世紀のパリになる」  存分に楽しませていただいています。

   
   

霧が峰

2010-06-23 13:04:15 | 山歩き
 6月20日 霧が峰

 「山には、登る山と遊ぶ山がある。前者は、息を切らし汗を流し、
 ようやくその頂上に辿り着いて快哉を叫ぶと言う風であり、
 後者は、歌でも歌いながら気ままに歩く。
 勿論山だから登りはあるが、ただ一つの目標に固執しない。
  当然それは豊かな地の起伏と広潤な展望をもった
 高原状の山であらねばならない。
 霧が峰はその代表的なものの一つである。」
         ・・・・と「日本百名山」のなかで、深田久弥は語っています。 

  私も霧が峰が大好きで、毎年花の時期にいっています。
 特にレンゲツツジの6月下旬、ニッコウキスゲの7月中旬、
 8月はマツムシソウ、野アザミ、ヤナギランなどが次々と咲き競います。

  
  駐車場のそばに群生していたベニバナイチヤクソウ。
  
  マタタビは花が咲く頃 葉の半分が白くなって蝶を呼び寄せます。

     
    タンポポのなごり花               スズラン               

  
  中央奥に見えるのが最高峰の車山(1925m)です。
  
  登りはじめの標高1400m位のつつじは満開でした。

 中央自動車道諏訪ICからビーナスラインを経て、
 霧が峰に入るのが今までのやり方でしたが、
 今回は白樺湖を通って、姫木平、エコバレースキー場から 入ってみました。
 「霧が峰周辺の喧騒を離れ、静かなエリアを求めるにふさわしい」 と
 山の本に書いてあったので、何の準備もなく それ~~っと出かけました。

 
 
 霞んでいますが中央に見えるのは「蓼科山」です。
  
 
   
            1                            2
 1 北の耳(1829m)、下って登り帰すと(中央の突起)
  南の耳(1838m)で、今回の最高峰です。
  この辺の花はまだ10日ほど後になるでしょう。風が少し寒い。

 2 殿城山(1800m)の頂上に3匹のトイ・プードルがいました。
  クロと茶が夫婦でベージュは6ヶ月の新入りだけど一番大きい。
  3色揃えるところがマニアですね。

 このコース、古い地図にはのっていません。
 駐車したレストラン(スキーの時期だけ営業する)のおかみさんに
 たまたま会えたけど、山の名も道も「知りません」でした。
 山菜をとっているおじさんに聞いたけど、反対に
 「この道を行くとどこへ行けるんですか?」と聞かれました。
 おやおや、地元の人って自分たちの宝に無頓着なんですね。
 標識も親切ではありませんでした。
 それだけに、人が極端に少なくて、人擦れのしていないナンバーワンの霧が峰でした。
 来年はグループで行こう!!

ミュシャ展

2010-06-21 15:47:07 | 美術館
6月19日 アルフォンス・ミュシャ展
  
  三鷹駅に続いたビル CORALの5階に
  三鷹市市制施行60周年 生誕150年記念として
  ミュシャ展が ~7月4日まで開催されています。

  
  会場風景                        NHKテレビより

 ミュシャはチェコの生まれ。ウイーン、ミュンヘンを経てパリに行きました。
 パリにいるだけで生きる喜びを感じられた時代、ベル・エポック(美しい時代の意)
 この頃、パリの演劇界を席巻したのが女優サラ・ベルナールでした。
 ミュシャの描いたベルナールの舞台の宣伝用ポスター「ジスモンダ」で、
 流行画家になり、「ミュシャスタイル」が確立されました。


「ジスモンダ」のポスター   の一部           NHKテレビより

            
  夢想  リトグラフ 堺市         HPより 

  女性の背後に円環を配した構成、植物モチーフ、
  流れるような曲線、「ミュシャスタイル」です。

    
                                     ビスケットの金属製容器


 「ヒヤシンス姫」のポスター       HPより     晩年描いた油彩の一部

 ↑ プラハの人気女優の舞台のポスター。
 故国チェコとスラブ民族の誇りと愛国心を忘れられず、
 晩年「スラブ叙事詩」を制作しましたが、この絵はそれに通じますね。

 2年前 プラハを旅行した時、ホテルに何枚もミュシャの絵が飾ってありました。
 街中でも、カフェでも目について、チェコの誇りを感じました。
 「私は芸術のための芸術を作るよりも、 大衆のための絵の制作者になりたい」
 と言った、ミュシャの心が今も生きていると感じました。
 
                     

 三鷹駅前のギャラリーにはよく足を運びます。
 この日エレベーターを降りて、あまりの人の多さに驚きました。
 しかも若い人ばかり。アールヌーボーだから?  イラストだから??
 私もミュシャが好きなんだけど、この会場の中で浮いてましたね。
 

不老山

2010-06-21 10:53:09 | 山歩き
6月17日 不老山へ行ってきました。

 この山に登った人には「不老長寿」を約束してくれる
 ・・・という訳ではないようです。
 今回のお目当ては「サンショウバラ」です。
 
 不老山は丹沢山塊の西南に位置し、丹沢湖岸の車道を
 浅瀬というに行って、駐車しました。

 
 世附(よずく)川にかかる吊り橋。

 「1人づつ渡って下さい」と書いてある吊り橋、
 木道がかなり朽ちているので、50mほどですが長かったですね。
 これを渡ると登山道に入り、杉の植林のジグザグ道を進むのですが
 指導標がしっかりしていて、初めてでも何の心配もありませんでした。
 
 
 サンショウバラは、自生では世界最大と言われる大輪のバラです。

 富士山周辺でしか見られない日本固有種で、丹沢・不老山は
 その最大の群生地といわれています。
 6月始めが見ごろですが、今年は10日ほど遅い・・・という情報に
 油断をして、旬の時期を少々見逃しました。

 
 
 
 それでも頂上付近は3~5mほどの木に残りの花が咲いていてくれました。

 不老山山頂も展望はなく、道標とベンチがあるだけ。
 登山口から誰にも会わなかったので、「今日は貸切かな?」 と
 連れ合いと話していたけど、頂上で2人の男性に会いました。
 「幻の花を求めて」 もっと多くの人が来るかと思いましたけど。

 ピストンで同じ道を下る途中、左を行くと山中湖方面への
 縦走路になります。そこを10分ほど登ったところに
 展望抜群な開けた場所に来ました。
 「樹下の二人」 と言う 山の中らしくない名前がついています。
 案内板に、高村光太郎の「智恵子抄」にある「樹下の二人」という
 詩にちなんでつけられた・・・とありました。
 察するに 「あれが安達太良山、あの白く光るのが阿武隈川・・・」
 という情景とよく似ていたからでしょうか?

 また曰く、1936年8月30日に徳富蘇峰が奥さんと一緒に
 山中湖から、17人の人夫と50人の同行者を伴い
 2台のかごにのってやってきて、絶景を満喫したので
 「蘇峰台」とも呼ばれるそうです。 

 この一帯のサンショウバラは完全に終わり。
 サンショウの木があったので、晩の飾りに少しいただきました。

 西丹沢というと、遠いように思いますが
 来て見ると、(車で来ると) 時間も、距離もさほどではなく
 ヒルにも蛇にも会わず、道の駅で野菜を買って帰りました。
 「熊出没 注意!!」 の看板がありました。 
 

 

大山 豆腐料理

2010-06-16 14:55:53 | 山歩き

6月14日 大山詣でと豆腐料理を食べに行ってきました。

大山は、別名「あふり山」。「雨を降らす山」の意で、
阿夫利神社は江戸時代より庶民の雨降り信仰の山でした。
夫の会社の同期がグループで、年に1~2回食事をする会があります。
今回の幹事さんは大山の豆腐料理を選ばれました。
日にちが2転3転して、14日になったのですが、
この日から「梅雨入り」 アンラッキーなのか? 雨降らし神の思し召しなのか?
11:30にケーブルカー頂上の下社に集合なので、
私達は頂上往復登山を考えていたのですが、
ケーブルを使わないで下から「女坂」を、傘をさして登ることにしました。

   
     1              2              3             4
1  小田急線伊勢原の駅を降りるとすぐに大きな鳥居が待っています。 
   日本橋から続く大山街道もいよいよ阿夫利神社の神域に入ったと言うことでしょう。 
2  茶店、みやげ物屋が軒を並べている。ノブキ、キャラブキ、豆腐、大山独楽が名産。
3  山道に入って「大山のミツマタ、鹿サン食べないで」の看板。鹿が多いのです。
4  可愛らしい二人ずれのお地蔵さん。

    
     1              2              3              4  
1  昔からの(江戸時代?)石の階段が続きます。勾配のきつい事、段の高さの高い事!
2  7不思議と言うのをたどりながら登ります。
     「弘法大師が道具を使わず、一夜の中に手の爪で彫刻されたと伝えられている。
   何事も一心に集中努力すれば、実現できるとの教え・・・だそうです。」
3  大山寺への石段。この辺の紅葉は絶品です。
4  大山寺の本尊「不動明王像」は成田、高幡と並ぶ関東三大不動の1つだそうで、
   「大山不動さん」として親しまれています。



標高700m地点に立つ阿夫利神社の下社です。
(ここから大山山頂(1251m)にある本社までは往復2:40ぐらい。)
雨に風が加わってきたので、予定より早めにケーブルで下山しました。


豆腐料理「小川家」の玄関

きれいな女将さんが出迎えてくれました。
お部屋も気がきいてて、きれい。坪庭も新緑と野の花がきれい。
男6人、女5人がくつろいで、久しぶりの話に花を咲かせました。
次々に出てくる豆腐料理は趣向をこらしてあって、美しく、おいしい。
「しばらくお豆腐は食べたくない」とは全然思いませんですね。
残らず食べて、大満足でした。
友達に教えてあげよう~~っと。


ボストン美術館展

2010-06-14 21:49:51 | 美術館
6月8日 ボストン美術館展に行ってきました。
「六本木ヒルズで名画のフルコースを」

「森アーツセンターギャラリー」 (六本木ヒルズ森タワー52階)
で、~6月20日まで開催されています。

 
森タワーの広場から。            ここからエレベーターで52階へ上ります。

ボストン美術館

25年ほど前、ニューヨークに駐在していたころ、
車で北東に3時間ほど(?)のボストンへ遊びにいきました。
美術館の、正門の風景はよく覚えているのですが、
展示品は多すぎてほとんど覚えていないのです。
今回の美術展には、現地で見る以上の期待を持っていました。

この美術館は、市民の寄付や寄贈、入場料に支えられている
「市民美術館」です。今回のモネの作品11点のうち、
10点は寄贈された物だそうです。

展示は、前半は肖像画、宗教画、風俗画など人物中心。
後半は風景画、モネと印象派が中心でした。


                 

 
好きな作品を2つ選びました。
ルノアールと親しかったモネは、自宅の庭にいる妻子を
描きました。絵の具の色を混ぜ合わせないで、
明るい光で包むように・・・印象派の技法です。

パリ郊外の村(バルビゾン・・・行ってきましたよ~)に
移り住んだミレーは「低俗な画題」とさげすまれまがらも
農民の働く姿を描きました。

日本初公開のレンブラントの全身肖像画や、
モネの作品ばかり10点を集めた部屋などに
人気が殺到していました。

鹿賀たけしさんのオーディオガイドで1巡して、
もう一度回ってたら、地域の友達にあいました。
この混雑によくまあお会いするものですね~

16世紀から20世紀にかけヨーロッパで活躍した47人の
80点の名画を、居ながらにして拝見できた贅沢な1日でした。

オルセー美術館展

2010-06-13 20:07:27 | 美術館
5月31日 国立新美術館の「オルセー美術館展」に行ってきました。

モネ5点、セザンヌ8点、ゴッホ7点、ゴギャン9点、ルソー2点 を
始めとする115点が、ごっそり来日。
まさに「ベスト・オブ・オルセー」展と言われています。
その約半数(60点)が初来日ということで、
東京の印象派フアンにはたまらない展覧会のようです。

 
新国立美術館です。                パリのオルセー美術館






オルセー美術館の収蔵品は19世紀に花開いたもの、
それ以前はルーブル博物館、それ以降の作品はポンピドーセンター
という役割分担がなされています。

ポスト印象派というのは、
「後期印象派」と呼ばれていたが、印象派の後半期を
示すかのような誤解を招くおそれがあるため、
近年では「ポスト印象派」と呼ばれるようになったのです。

「これらの絵画がまとめてフランスを離れることは2度とない」
とサルコジ大統領が言ったそうです。
本家の大改修のため、2011年の秋の完成まで
外国へ出稼ぎにきたんですね。
まあ~混でいました。イヤホーンガイドの案内で一順、
その後もう一順して2時間かかりましたがクタクタ。

辻仁成さんの書いた「オルセー印象派ノート・
名作絵画をモチーフに」 と言う本をショップで買ったのに、
どこかで置き忘れて来たらしくて・・・ ナイ。

この夏はまだまだ印象派にどっぷり漬かることになります。

映画 「Rail ways (レイルウエイズ)

2010-06-13 16:23:12 | 映画 演劇
5月10日 映画「Rail ways」を見てきました。



中井貴一さんを主演に、出雲市出身の錦織良成監督がメガホンを取った映画。

東京の一流企業に勤め、取締りへの道も約束されていたが、
50歳を目前にして、子供の頃の夢だった
「バタデン」(島根県東部を走る一畑電車の愛称)の
運転手になる゛大人の夢゛のお話です。

  
                   今も現役の列車たち

 

同期入社の高卒18~19歳の同僚を演じるのは
三浦百恵さんちの次男、貴大クン。
「別に~、運転手になりたくて来たのではなくて、
適当な就職口がないから、来ただけで、いつやめるかもしれない~」
とやる気のない彼が、肇(主人公)の夢に向かって奮闘する姿に
感動しながら変わっていく青年を好演、デビュー作だそうです。


制服、制帽で運転している貴一さんの横顔は
ホントに「喜びも悲しみも幾年月」の佐田啓二さんそっくりでした。

11年前に亡くなった義母(生きていれば99歳)は松江の生まれでした。
彼女の長姉が一畑電鉄、一畑ホテル、一畑百貨店などを
持っている人と結婚したんですが、その後どういういきさつを
たどったのか? 明治生まれ、大正時代の話ですが・・・。

松江は古い、静かな、品のいい町です。
4年前、宍道湖のそばの「ホテル一畑」で泊まって、
出雲大社や足立美術館へバタデンに乗って観光しました。
町では、お蕎麦屋さん、酒屋さんなどの古い経営者と
話していると、夫の両親とのつながりがたどれてきて
面白かったです。
義母とは同居しておりましたので、わたしの出雲弁もなかなかのもの。
映画の中の奈良岡朋子さんはサスガでしたが、
貴一くんのはチョットぎこちない感じがしましたね。
「何とかなーわね」「そげだわね」   って調子。

朝ドラも出雲弁ですから、義母に見せてやりたかったです。

映画は近頃めずらしい正統派の、誠実な(文部省推薦みたいな)
暖かな作品でした。、、、、のに観客が少なかったですね。


        徹子の部屋に出演の中井貴一さん