4月21日
ランカスター⇒ 湖水地方⇒ ヨーク⇒ ランカスター
イギリスの天気はCrazyだといわれます。
「晴れ、時々曇り、所によりどしゃぶり、のち晴れ」・・・予測がつかないのです。
今にも泣きそうな空が、湖水地方のウインダミヤに着いたら降ってきました。
一行(16人)の半分くらいはここの遊覧クルーズに一番期待をかけていたようでした。
それなのに・・・
湖水地方(ウインダミア)
ここは、イングランド随一の自然美を誇る所。 約1時間の クルーズ中は雨でした。
船上から見た、「ヒルトップ」の眺め。ベアトリクス・ポターが住んでいた地域。
「ピーター・ラビット」の世界が広がります。
歴史的な遺産や美しい自然を残すために1895年に創設された民間の自然(環境)文化
保護協会=ナショナルトラスト=が、100年前のそのままの姿を維持する努力を
重ねています。 今では、会員数200万人を超え、私的機関としてはイギリスで最大の
土地を持ち、歴史的財産を守っているのだそうです。
ベアトリクス・ポター館
「ベアトリクス・ポターの世界」館の入口で出迎えるポターさんと仲間たち
自然を守り続けているこの地で書かれたポターの「ピーター・ラビット」の絵本は
イギリスの子供に必ず読んで聞かせるお話の一つです。
石積みの建物、「ポター館」 館内の動物たち
ボウネス(ポター館)の近く
ハンギングの花が美しいパブでランチをしました。 今回一番おいしかった「フイッシュ&チップス」
イギリス最大の画家、ターナーが湖水地方に旅したとき、あいにくの雨に煙る山を描きました。
雨や嵐は悪条件ではなく、「にわか雨」「吹雪」を・・・何て素晴らしい嵐! と、感激し
気象に興味をもった・・・のだそうです。
ヨーク(北イングランドの古都)
午後、ウインダミアから約3時間、南西に下りました。
ヨーク・ミンスター イギリス最大の中世建築 広場で仏画を描いている人
ボーイスカウトがミンスターの前を行進
狭い路地は、ほとんど完璧な形で残り、ローマ時代や中世の雰囲気が満ちています
ヨークは、イギリスの歴史のミニチュアと言われます。1900年を越す長い歴史を持つ古都です。
残念ながら、滞在時間があまりにも短くて心ゆくまで味わうことができませんでした。
《 ランカスター泊まり 》
4月20日チェスター⇒リヴァプール
バーミンガムから、ポントカサルテの水道橋を通って、チェスターへ来ました。
チェスターは、イングランドで最も中世の面影を残す町。
曲がりくねったディー川にかこまれた、こじんまりした、美しい町が城壁に守られています。
城壁の上を歩くことができます。1周40分位ですが、町をつぶさに見て、ゆっくり歩きました。
イーストゲイトです。左にある階段から城壁に登ります。
時計台はヴィクトリア女王の即位60周年の記念におかれたもの。
城壁へ登る階段 登ってすぐの町の風景
建物の構造がチェスター独特のもの 花壇と町が見えます
チェスター城です。 イギリスはどこも芝生がきれいです。
城壁の半分までやってきました。オールド・ディブリッジを眺めます。
チェスター大聖堂の真裏の桜
この写真の左に洒落たレストランがあって、そこでランチをしました。
桜がとても美しいので、イケメンの店員さんに、とぼけて「あの花はなんていう名前ですか?」と聞いて
みたら 「知らないから店の誰かに聞いてきます」 「誰も知りませんでした」・・・という答えでした。
桜が一番大好きな私は、イギリスで桜を見られて喜んでいるのに・・・・そのていどデスカ?
リヴァプール
リヴァプールはイギリス第2の貿易港、そしてビートルズを生んだ町です。
ビートルズが初めて登場した「ザ・キャバーンクラブ」地下でライブ演奏をちょっと
聞いたけど、余りの大音響にびっくり退散してしまいました。
チェスターの後だっただけに、大きくて疲れる町だヮー
《 ランカスター泊 》
4月19日から26日まで、イギリスへ行ってきました。
「イギリス」 という国の名前は実際にはありません。
公式には、「連合王国the United Kingdom」といいます。
イングランドとスコットランドの旗が組み合わされ、1800年、北アイルランドの旗が
これに加わり、連合王国のシンボル、ユニオン・ジャックが誕生しました。
⇒⇒⇒
アイルランド イングランド スコットランド ユニオン・ジャック
4月19日
東京(羽田)から、12時間、直行便で ロンドン(ヒースロー)着。
ロンドン⇒ (バスで約1時間)⇒ オックスフォード
オックスフォード
世界屈指の学問の地です。
市の人口は11万6000人。うち学生は(小さな)市内に散らばる約40の
カレッジに在学していて、さすがに若者が沢山歩いていました。
市内の目抜き通り あるカレッジの中庭の桜
皇太子さまがよく行かれたパブ。と添乗員さん 皇太子さまの勉強されたマートン・カレッジ
雅子さまの勉強されたベルリオル・カレッジの入口 と、広い通りに面した校舎
オックスフォード大学は英語圏では最古の大学で、ケンブリッジ大学と並び世界
大学ランキングで、常にトップレベルの優秀な大学として評価されています。
皇太子さま、雅子妃、秋篠宮さまらの留学先としても知られています。
《 バーミンガム泊まり 》
4月20日
ポントカサルテの水道橋と運河
2009年に世界遺産になった所。
水道橋の下をディー川が流れ、 運河船(ナロウボート)が水道橋を通り抜けます。
10000艘以上のナローボートが運航し、25000人以上の歩行者が渡る
英国で最も長く、最も高い橋です。
主に石炭を輸送するのが目的でしたが、道路や鉄道に取って代わられ、今は
観光用として再生されています。
4月9日鎮海の 「桜祭り」 を見て来ました。
姜尚中(かんさんじゅん)さんの 「母 オモニ」(2010年) を読んだとき、
お母さんの生まれ故郷がたしかこの鎮海あたりで、
春になれば、「桜のなかに村がある」ような景色が繰り広げられる、と読んで、
何時か見に行きたいものだと、機会をうかがっていました。
意のままにならぬもの、、、、、桜の開花時期でしょうか?
韓国を代表する桜の都市は、4~5日前にピークを過ぎていました。
?
余佐川桜道 韓国ドラマの撮影地としても有名。韓国のセーヌ川(?)と呼ばれるそうで、
恋人たちのデートコースとしても脚光をあびている・・・そうな。
鎮海慶和駅 走る汽車と桜の花びらが人気だそうですが・・・桜は見ごろを過ぎていました。
軍港祭り 韓国最大の桜祭り ~4月10日まで
海軍の軍艦を見学させてもらえます。 若いイケメンの水兵さんが握手してくれたりアテンドして
くれたので 「桜がなくても十分満足!」 とおばさんたちは感激!
韓国で一番おいしい食べ物、あわび粥 サムパブ 付け合せはお変わり何度でも。
コモドホテル釜山 五つ星の印はムクゲの花
何にも知らないでランクアップしたホテルが、かって海軍提督で海洋都市の釜山をまもる
李舜臣将軍(韓国では偉い人らしい)を 象徴しているというホテルでした。
華麗な丹青で装飾された、全館李朝様式の見事なもの。
ここに3泊したのが今回の一番の当たりだったかな?
毎年春には約34万本の桜が華やかに咲く鎮海。鎮海には、なぜ桜が多いのでしょうか?
かつて日本統治時代に軍事都市として開発された鎮海には、日本を象徴する桜が
至る所に植えられました。解放後、忌々しい歴史を思い出させる桜の木は、市民の手で
ほぼすべて切り倒されましたが、60年代に入り鎮海に多かった桜の品種、「王桜」の原産地
が済州島であることが判明。パク・チョンヒ大統領が桜の植樹を指示し、以後本格的な
植樹がスタート。今のような「桜の都」となった。(ガイドブックより)
お天気に恵まれた南韓国の旅、日本の植民地支配が朝鮮半島に残した
「あまりにも美しい歴史の爪痕」を見た思いでした。
4月7~10日 韓国へ桜を見に行ってきました。
「韓国屈指の桜の名所、鎮海と慶州を訪れる」 というツアーに
是非いってみたいと思ってた所なので、飛びつきました。
4月8日 慶州の世界遺産、石窟庵と仏国寺を訪ねました。
前々夜雪が降ったようで、標高600m弱の山の斜面には白いものが残っていました。
慶州は 「屋根のない博物館、壁のない美術館」 といわれるそうで、
石窟庵は、韓国を代表する仏教遺跡です。
世界遺産の碑 石窟庵入口
白色花崗岩の釈迦如来 HPより 入口から約1キロ歩く
石窟庵の内部構造 古墳のように盛り上がった所が主室
仏国寺
石窟庵から、8キロほど下がった所にある人気歴史スポット。
仏国寺入口 東西南北を守る仁王様 向かいにもう2体
奥の階段の上段が 「白雲橋」 下段が 「青雲橋」 世界遺産です。
韓国のお札の絵柄にもなっています。
ぐる~っと廻って横から入ります。 大雄殿(本堂?)と多宝塔 (いずれも国宝)
慶州の道路はどこまでも桜が続きます。20万本とか、30万本とか。
これだけ桜があっても、国の花は 「ムクゲ」、 国の木は 「マツ」だとか。
韓国を代表する花 「レンギョウ」 と、日本を代表する 「サクラ」 とのコラボ。
いたるところでこんな景色が見られました。日韓関係も こうありたいですね。
慶州は、新羅王朝の都としてBC57年から1000年の間栄えたところです。
当時のなごりが沢山残っていて、1昨年秋に初めて訪れましたが、2度目も良かったです。
奈良とは姉妹都市になっています。
4月4日上野の 「ラファエロ展」 をみてきました。
国立西洋美術館で3月2日より6月2日まで開催されています。
やさしさと穏やかな美しさをたたえ、ラファエロの最も有名な作品の1つに数えられる
聖母子像など、20点以上が集められています。
国立西洋美術館 《大公の聖母》 日本初公開
多くの画家たちの手本とされてきた、イタリア・ルネサンスを代表する
画家・ラファエロ。18世紀末のトスカーナ大公フェルナンド3世が
亡命中も手放さなかったと言われる 《大公の聖母》
特別のコーナーに展示され、神々しくて魅力的でした。
ラファエロの 《自画像》 1504~06 《無口な女》 1505~07
37歳の若さで生涯をとじました。
“博物館でお花見を”
東博では、毎年春の庭園を解放して、“博物館でお花見を” させてくれます。
~4月14日まで。
東京国立博物館 早咲きの桜が散って、八重が見ごろでした。
イチヨウ 花芯に1本の葉化した雌しべがつく。
本館の後ろに庭園があります。
春草蘆(シュンソウロ) 応挙館
春草蘆: 松永耳庵が 所沢に所有していたものを、戦後寄贈したもの。 木造茅葺き平屋建て。
応挙館: 名古屋市の明眼院の書院として建てられたものを後に東京品川の 益田鈍翁の 邸内に
移築され、昭和8年にここに移築されたもの。障壁画を 円山応挙が描いたものであるので
「応挙館」とよばれます。
庭園には5棟の茶室があって、歴史の一端を感じながら春の花を楽しめました。
先週、小田原で 松永耳庵さん、益田鈍翁さんの功績と生涯をたっぷりうかがったばかり
なのに 華やかな桜散る東博のお庭で又お会いできたような喜びを感じました。
4月1日 箱根の湿生花園に行ってきました。
箱根湿生花園は、今年も3月20日に 開園しました。
ご案内を頂きましたので、春一番の花に会いに行きました。
箱根・湿生花園
左上のESCをクリックして、大きな画面でご覧ください。
戻るときは、もう1度ESCをクリックしてください。
ふもとのさくらは、そろそろ散り始めましたが、箱根仙石原はまだ冬枯れの風景でした。
が、湿生花園では、ミズバショウ、カタクリ、リュウキンカなどが けなげに咲いていました。
「企画展」では、国内外の山野草を自然に近い状態で展示してあって、可憐な花が見られました。
3月31日小田原を再度訪ねました。
4日前に訪れて、大きな感動をもらった町を、桜の咲いているうちに夫にも
みせてあげたくて 今度は車で行ってきました。
9時にお城の駐車場にぎりぎりセーフで駐車できました。
お城のさくら見物客はさすがに多い。
ボランティアガイドさんが約1時間ガイドをしてあげましょうか・・・と声を掛け
てくださり、渡りに船とお願いしました。
小田原市立三の丸小学校 正面玄関
昔は藩校だった跡に新しく建てられた 「市立」 の小学校。
お城の雰囲気にみごとにマッチしています。
馬出門土橋からのながめ。 この桜は小田原市の標準木で桜の開花を報せる木です。
桜の向こうにみえる赤い橋は二の丸へと架かる「学び橋」です。
橋を渡ったところに 城内小学校 があったそうで、そこへ学びに通った子供たちのためにつけられたとか。
馬出門 正規登城ルートの一番初めの門。 昭和21年に公開された。
左: 銅(あかがね)門の屋根の上の鯱 北側にあるのは オス だそうです。
北側が 鬼門 なので、強いオスが守るのだとか。
右: 本丸広場に北条甲冑隊が手造りの衣装で出陣?していました。
小田原城天守閣
明治維新の廃城令により、破棄されたが、昭和30年代に古写真をもとに復興されたそうです。
これからもすこしづつ復元されていく小田原城は何年かごとに行くと、復元がすすんで見ごたえが
あるんじゃないでしょうか? 城には桜が似合いますね~。
西海子(さいかち)通り
お城から5分ぐらい歩いたところに
西海子小路があり、400mの
桜並木が閑静な住宅街に
情緒を演出しています。
小田原文学館、白秋童謡館が
あり、益田鈍翁in西海子 も
あります。
かっては武家屋敷が集まって
いたところです。
鈍翁in西海子
鈍翁in西海子 の玄関 お茶菓子 特製の落雁
益田孝(鈍翁ーどんのう)は、三井物産や日本経済新聞の創設者です。
茶人として有名で、松永耳庵、原三溪とともに近代三茶人と言われた人です。
そのゆかりの品々を展示した私設展示館を訪ねました。
大通りから曲がって、又まがって 分かりにくいところでした。
館内は小さく、展示品も少ない。
訪れる人も「お茶関係の人だけ」と管理の人が言ってました。
沢山あったコレクションも不動産も孫、ひ孫の代でほとんどなくなったとか。
・・・との寂しいお話。
昭和13年 「空より出でて空に還る、喝」
と自ら引導を渡して満90歳でこの世を去ったそうです。
お抹茶を入れてくださいました。
最後に もう一度 松永記念館 を見て、 箱根で一泊。