花歩る木

山と旅がすきです

晩秋の新宿御苑

2016-11-26 19:22:52 | ウオーキング

11月26日東京の最後の紅葉を見ようと新宿御苑へ行ってきました。

             新宿御苑は、徳川家康の家臣・内藤氏の江戸屋敷の一部がルーツ。
      明治に入り、農事試験場を経て、明治39年(1906)に皇室の庭園となり、
      昭和24年(1949) 国民公園 として一般に公開されました。

      園内には、イギリス風景式庭園、フランス式整形庭園、日本庭園がデザインされています。
      明治を代表する近代西洋庭園といわれています。         パンフレットより

      
            コブクザクラ(子福桜) バラ科 白い八重咲きの桜で、秋から冬に賭けて咲く栽培品種

      
       ハナノキ(花の木) 春の花がきれいで名前になった

      
       大イチョウの黄葉  まだ大丈夫

      
      皇帝ダリア キク科 メキシコ~グアテマラの高原地帯が原産

      
      カエデ“手向け山(タムケヤマ)” 山モミジ系“紅枝垂れ”の代表、葉に細かい切れ込み

      
      フランス式整形庭園  プラタナス並木  外国へ行ったみたい!
      

      
       フランス式整形庭園  バラ園  まだまだ見ごろです

      
      擬木橋(日本初の木を模した橋)の上のモミジの紅葉

      小春日和の土曜日。園内は入場者が沢山いましたが、5割以上はアジア系の外国人でした。
     
     まさに都心、アクセスが良くて、四季折々楽しめる憩いの国民公園です。
     見どころが沢山ありますので、お弁当を持って、何度も足を運びたい素晴らしい所です。
     入場料は大人200円でしたよ。
      
      

      


ダリ展・国立新美術館

2016-11-16 11:57:03 | 美術館

11月17日国立新美術館へ 「ダリ展」を見に行ってきました。
   
      「ダリってダリ?」 ・・・というダジャレではじまる画家です。
      サルヴァトール・ダリ(1904~1989)は、20世紀のシュール・レアリスムを
      代表する画家で、スペイン・カタルーニャ地方で生まれました。 

       
       新国立美術館前のダリ展の看板

      ダリは裕福な家に生まれたが、上の子が2歳で死んだあと、サルバドールという
     同じ名前をつけられ
幼少年時代は内向的、わがまま、神経過敏な子供でこの
     体験や環境が、のちの絵画に色濃く反映
 している・・・と言われます。

       
       好きだった画家 ラファエロ              「ラファエロの首をした自画像」

       
       24~5歳でパリでシュール・レアリスム運動に加わり、仲間の一人の夫人と駆け落ちして結婚する。
       ガラは打算的で、浪費家、若い男を沢山作るが、ダリにとっては“守護神”だった。

       「記憶の固執」
       社会の適応力が欠如したダリがガラと出会ってヒステリー症状が終った。
       そして、代表作が次々生み出されていく。

        
             静物(スイカ) 1924年 20歳 ピカソ風(?)     アメリカに渡って宝飾デザインもする
                  
       

         
       「ポルト・リガートの聖母」 46歳
       スペインへもどって画いた。モチーフは宗教画、
       聖母をガラと見立て、キリストは自身かも?
       
       
       ダリ劇場美術館

       会場には映像作品「アンダルシアの犬」と言うのも見ましたが、  これは 何! 
      現実にはありえない、ダリ・ワールド を見ました。

      「あなたは天才!」とダリをはげまして画を書かせてきた10歳年上のガラの手
      腕が
20世紀のシュールレアリズムの天才画家を生んだんでしょうか?  
      


袋田の滝と花貫渓谷 (茨城県)

2016-11-14 07:26:04 | 

 11月13日茨城県の袋田の滝を見に行ってきました。
                                     バス定員40名が満杯

     良すぎるほどのお天気に恵まれて、最寄りの駅ちかくからツアーバスが7:30に
     出発しました。高速はすいすいでしたが、あと1時間ほどのところから渋滞。
     日曜日、紅葉の見ごろ、最高の行楽日和、・・・混雑する要素が揃っていました。

     袋田の滝

      
      
      第一展望台から。
      大二展望台へ行くエレベーターは30分待ちの行列。ちょっと失礼して第一展望台からの眺めをカッシャ。

      
      何年か前に、大子に泊まってこの辺の山歩きをしたことがあります。その時にはエレベーターは
      なくて、第2展望台はありませんでした。

      
       途中であきらめて帰った人もいましたが、この眺めは見逃してはイケナイ!

      
      水量も多く、水もきれい、多分今年最高の眺めでしょう

      
       第1展望台から もう一度

      
      遊歩道へ続く吊り橋の上から 横からの滝

      花貫渓谷

      
       最後に1時間ほど離れた(実際には2時間) 花貫渓谷の吊り橋(4:30)

      西行さんが、季節ごとに来なければこの景色の良さは味わえないと絶賛したそうです。
       
      花もみち 経緯(たてよこ)にして山姫の 錦織出す袋田の滝    西行
   
     日本三名瀑(華厳の滝、那智の滝)の一つで、たかさ120m、巾73m、4段に落下
     することから
別名「四度の滝」とも呼ばれるそうです。

     出発点へ戻れたのは、予定より(17:20~18:00)4時間も遅れましたが、
     スーパームーンの1日前
のをバスの中から眺められたし、絶景の紅葉狩りができて
     満足でした。

      
       
      


冬支度の兼六園(金沢)

2016-11-08 15:20:15 | 

 11月7日金沢へ行ってきました。


     親戚の仏事と姉のお見舞いに金沢へ日帰りで行ってきました。
    7:20分の新幹線で東京を出発しましたが、もう9:51分に金沢着。
    あっけないほど早い。
    今年の秋一番の好天で、金沢でも穏やかで、コートが邪魔な位の小春日和。

    仏事、墓参り、昼食の後、施設に入っている姉を見舞いました。
    91歳になった姉は、食事量が少ないらしく、顔が痩せていましたが
    おしゃべりの受け答えははっきりできて、お見舞いに行った甲斐が
    ありました。車いすの生活では、不自由は目に見えていて
    玄関でのお別れは、つらいものがありました。

    そのあと、兼六園近くで下してもらって、一人で散策しました。


     
     
      犀川です
      
      室生犀星が犀川周辺で生まれ育ちました
       
      秋の兼六園

      
      
      

      

      
      石川門を通って、金沢城公園へ抜ける門
      
      
      金沢城公園の紅葉
      
       二の丸広場 百間長屋

      玉泉院丸庭園

      
      色紙短冊積石垣  タモリさんが「モンドリアンだ!」 と、感激していた石垣
      
      玉泉院丸庭園

      玉泉院丸庭園は、加賀藩三代藩主・前田利常から13代斉泰など歴代の藩主により
     作庭された藩主の内庭だったのを、発掘調査し、整備し平成27年に再現された公園です。

     兼六園の西側にありながら、観光客はほとんどなく、訪れる人の少ないベストポイントです。
     是非足を運んでほしい所です。


ゴッホとゴーギャン展、東京都美術館

2016-11-06 07:21:17 | 美術館


10月27日 上野・東京都美術館で 「ゴッホとゴーギャン展」 を見てきました。
                                    ~12月18日まで

      南仏アルルでの共同生活が破たんして128年を経て、
     二人の奇跡の再会が東京で実現。・・・という東京新聞の
     書き出しに強く惹かれました。

     ファン・ゴッホとゴーギャンの初期から晩年にわたる油彩画約50点を
     と彼らと交流があったり、影響を与えたりした画家の作品も加えた
     62点が展示されています。二人の画家の特徴を浮き彫りにし、
          関係性を見つめています。


      
      

       

      左; ゴッホの34歳の「自画像」 1887年 クレアーミュラー美術館
         パリで印象派の作品から学んだ、明るい色調が見られる。
         弟テオのアパルとマンに住み、生活が苦しかったのでモデルを頼めず
         自分を描いていた

      右; ゴーギャンの「自画像」 1885年 キンベル美術館
         事業に失敗し、屋根裏部屋で首を吊ろうと思い詰めていた36歳のころの作品。
         この後、パリに出て画家として生きる決断をした。
         

       

      左; ゴッホが書いた 「ゴーギャンの椅子」 188年11月 ファン・ゴッホ美術館
         アルルの「黄色い家」でゴッホはゴーギャンのために椅子を用意します。
         ろうそくと本はゴーギャンを表していて、「詩人」と呼んで尊敬していた。
         
      右; ゴーギャンがかいた「肘掛け椅子のひまわり」  1901年
         南太平洋に移り住んだゴーギャンは、世を去る2年前に「肘掛椅子のひまわり」を
         描いた。タヒチにはひまわりがなかったので、パリからとりよせ島で栽培して描いた
         という。なき友人を讃えた作品だと思う。
         

        1888年2月20日  アルルへ
        1888年3月      まず、この地は空気が澄んでいて、明るい色彩の効果の
                     おかげで、日本のように美しくみえることを伝えたい。
                                         ゴッホからべルナール宛の手紙
        1889年7月     少量の絵の具とカンバスが手元にあって、ともかく仕事が
                     できれば、この上なく幸せだ。         サン・レミの病院で
         1890年5月    パリ郊外 オヴェール=シュル=オワーズへ                  
             7月27日  ピストルで自らを撃ち、2日後に息を引き取る。
                   
     
       ゴッホが暮らして絵をかいた南仏アルルを3年前に旅して、作品の舞台に
         なった
場所に足をはこびましたが、サン・レミの療養所の病室を見たときは
         涙ぐんでしまいました。



     今回、ゴッホの「ゴーギャンの椅子」と、ゴーギャンの「肘掛椅子のひまわり」を
     同時に見ることができたのは、大収穫でした。