花歩る木

山と旅がすきです

女優 高峰秀子

2011-02-12 13:53:29 | 文学 読書

2月12日  東京にも今冬初めて雪が1~2センチ積もりました。
   出かけられないので「雨読」の日にしました。

   昨年大晦日に高峰秀子さんの訃報を知りました。肺がんだったとか。
   10月に体調を崩して入院しされ、12月28日、夫の松山善三さんに
   みとられてお別れなさったそうです。86歳。
   長患いでなかったのなら、せめてもの慰めになるのですが。
   私ごときでさえ大変悲しく、寂しい思いをしています。

   今日(2月12日)朝日新聞土曜版に「あなたが選ぶ昭和の名女優」
   という特集があります。1位 吉永小百合 2位 夏目雅子 3位 大原麗子・・・
   と続いて高峰秀子は8位。原節子は17位ですって。
   誰が何と言っても、私のなかでは同点ダントツ1位で、高峰秀子と原節子なのに。
  
   原節子は引退して伝説的な存在になりました。
   昨年 「原節子あるがままに生きて」 貴田庄(2010年6月出版)で、
   やっと原節子を知る手がかりを得ました。

   高峰秀子も見事な引退ぶりでしたね。
   その後、「わたしの渡世日記」等のエッセイで存在が知られていました。
   昨年、斉藤明美さんというライターの書いた
   「高峰秀子の流儀」 「高峰秀子の捨てられない荷物」 という本を読みました。
   斉藤さんは 「わたしの渡世日記」 に書かれた高峰さんの半世紀は
   「女優という仕事」が嫌いだったという 強いられた時間の話でしたが、
   引退以降の人生にこそ高峰秀子という人間のドラマがあると思ったようです。 
   高峰秀子の人生を著した すばらしい評伝でした。
   どちらも、とてもおもしろい。デコちゃんフアンにとってはたまらない本でした。    
   
               
        「高峰秀子の流儀 」   「高峰秀子の捨てられない荷物」

   斉藤さんは、高峰秀子を「かあちゃん」 松山善三を「とうちゃん」と呼んで、
   買い物を頼まれると夫妻の家に届け、高峰さんの手料理をご馳走になる。
   「愚痴」「昔話」「説教」を言わない高峰さんの日々の生活を口調そのままに
   書かれていて、引きずりこまれました。

   高峰さんはハワイにお家を持っていて、滞在されていたらしい。
   高峰さんとハワイ・・・ちょっとそぐわない気がしましたが・・・。
   そこで、ウチのとうちゃんと かあちゃんの冬の旅行をハワイにして、
   2月6日から5日間高峰さんが吸ったハワイの空気を吸ってきました。 
     
                         

   
   当然のことながら、次は映画が見たくなりました。
   上映している所がないので、DVDというのをかりる方法を考えました。
   娘が近くのお店にこれ1つしかなかったという「無法松の一生」を借りてきてくれました。

    
    
    

   約半世紀前の映画です。色彩はアグファカラー、懐かしいですね。
   三船敏郎もすばらしい。高峰さんは美しく輝いています。
   今度は「二十四の瞳」「浮雲」・・・
   何でもいいから次々借りてきてね。今年はこれにはまりそう。


太宰 治 (6)

2010-02-20 21:05:58 | 文学 読書

2月20日 太宰治の朗読ライブに行ってきました。

友達3人で、三鷹駅南口から7~8分のところにある、
「三鷹モダンタイムス」 
(駅を背にして右側、角の花やさんの2F)で
  太宰の作品の朗読ライブを聞きに行きました。 
「斜陽」と「おさん」を交互に抜粋朗読しながら、晩年に
3人の女性の間で揺れた太宰の心模様をさぐろうという企画。

朗読は元アナウンサーの原きよさん。
今日はシンガソングライターの持田浩嗣さんも参加、

太宰が昭和14年に美智子さんと結婚し
三鷹の下連雀に住み始めたころの作品、
「愛と美について」を
お二人で朗読されました。
森繁久弥と加藤道子の「日曜名作座」を
彷彿とさせられ
2人の競演は新鮮な魅力を作りあげました。

 
原きよさんと持田浩嗣さんの競演          歓談中の原さん
(デジカメを忘れて、初めて携帯を使ってみました。
着物姿の原さん、きれいに撮れなくてゴメンナサイ

  

 
昨年12月26日 原因不明の火災で全焼した「雄山荘」
「寂しいけれど、一つの区切り・・・」と
太田治子さんは語っていたとか。(NHKテレビから)

「戦争が終わって、世の中が変わり《おかあさまと和子》が
東京の西片町のお家を捨て、伊豆のちょっと支那ふうの
山荘に引っ越してきた。」・・・のが神奈川県の小田原市

実際あったこの家だったのです。
大田静子さん(大田治子の母)の日記をもとにして
「斜陽」は昭和22年に書かれ、
翌年「人間失格」を書いて太宰は亡くなっています。


今日20日映画「人間失格」が公開されました。
どんな映画になっているのか?
3月4日に見に行く約束をしました。


太宰 治 5

2009-12-19 16:28:25 | 文学 読書

12月18日 晴れ 山梨県御坂峠にある「天下茶屋」を訪ねました。
         友達二人と私と夫(運転手)の富士山ツアー。

「富士には月見草が よく似合う」で有名になった天下茶屋に、太宰は昭和13年9月から、3ヶ月滞在していました。この間に美知子さんと婚約したのです。
御坂峠にある 天下茶屋(海抜1300m)



天下茶屋の二階から見た富士。昔から富士三景の1つに数えられているスポット。
それなのに、太宰は [好かない、軽蔑する、風呂屋のペンキ絵だ、高さが足りない・・・] などと「富嶽百景」で悪口をいっています。

当時、滞在中の太宰にほうとうをだしたところ、「僕のことをいっているのか」と
不機嫌になったそうですが、ほうとうは「甲州のたべものである」と説明し、それからは大変気に入って、「ほうとう、ほうとう」と食べたがったそうです。
ちなみに太宰は「ほうとう息子」と勘違いしたようです。

私達は茶屋でほうとうを食べました。あつあつの鉄鍋仕立て。1050円


2階には記念館が併設されていて、富士山と河口湖を一望できる6畳間に当時使用した「机」や「火鉢」などがおいてありました。

 

  はきだめの花
  かぼちゃの花
  わがつつましき 新郎のこころを
  わすれられぬなり  
               治  ・・・・・・      という殊勝な色紙を見つけました。
                              純粋な気持ちがあったんですね。


太宰 治 4

2009-11-29 07:55:42 | 文学 読書

11月21日 太宰治の朗読会に行ってきました。

生誕100年の今年、太宰治は再び注目をあびています。
昨日今日のフアンではなくて、昔からの本物の「太宰萌え」
と自称している友達を三鷹に案内しました。
ほんのこの間津軽を旅してきて、まだ ほとぼりが冷めないうちに、
三鷹時代の太宰にも思いをはせてもらいました。


太宰の墓がある禅林寺の山門

 
津島家の墓と                  左横に姓名、没年が刻まれている。

「太宰治」の刻字は作品などから取った、本人の字と思われます。
太宰本人と美知子さん、正樹さんの3人が眠っているのです。
正樹さんは作品にもよく出てくる、病弱で発育不全で
あの太宰が気に病んでいた子でしたが、
15歳まで生きていたんですね。

森林太郎(鴎外)の墓がある禅林寺に いずれ自分も眠りたいとの
太宰の希望を檀家の大反対をおしきって受け入れたのは
その時のご住職だったそうです。
「人は誰でも亡くなれば仏さまです」

 「原 きよさん」の太宰作品の朗読会は三鷹南口の
「モダンタイムス」というレストランでありました。
その1つ、第一回芥川賞候補となったものの、
受賞できず、その批評についての川端康成との
やりとりで話題になった作品「逆行」他、1時間。 

 そのあと自家製のパスタなどのランチを頂いて、
(会費2000円 ←内容に比べて安い 悪いくらい
参加者どうしで太宰の話に花が咲いて、素敵な時間を楽しみました。

友達とはその後、ゆかりの場所を回って吉祥寺まで歩き、
「三鷹の太宰」のフルコースを味わえた・・・と喜んでもらえました。


太宰 治 3

2009-10-25 19:21:25 | 文学 読書

10月19日 映画「ヴィヨンの妻」を見てきました。

友達と4人で「ヴィヨンの妻」をみました。
脚本は松たか子のために書かれたんだそうです。
「あなたをイメージして書いた本だから、どんな下手に演じても大丈夫ですよ」
「頑張らなくてもいいですよ」と監督からいわれたそうです。
物語の主人公は、26才の美しき妻。夫は、酒浸り、女浸りの放蕩にあけくれ、
妻は発育不良の幼子をかかえて苦労を積み重ねています。
これではいけない、そう思いな
がらも放蕩生活からぬけだせない夫・・・・

ヴィヨンとは、破天荒な生涯を送った15世紀フランスの詩人です。
この映画はモントリオール映画祭で、かんとく賞を受賞した作品です。


実際の映画の脚本

友達の感想です。

Sさん  あんな貧乏な人生でも、愛があれば幸せを感じられるんですかね。
幸せの深さは、人それぞれですけどね~。・・・だって。
Kさん 太宰萌の私としては、あの借家があまりにも汚く、彼が可哀そうになりましたけど、 
何度もした自殺も、行き着くところ
必死で助かろうとして、未遂にしたのでしょうね。
椿屋の夫婦に助演賞をあげたい!!・・・だって。
Hさん 「椿屋のさっちゃん」は作者の理想の女性
かね?自己主張しない!嫉妬なんかしない!
「ただ生きていればいい」なんて。そんなこといわれてもねえ。・・・だって。

Kさんは、昨日今日の太宰フアンではないのです。月末には津軽を旅して、
もっと、もっと太宰を知りたい、太宰に近ずきたい・・・のだそうです。
良い旅を祈りま~す。

来年初春には「人間失格」が公開されるそうです。
寺島しのぶが演じます。来年の楽しみが増えました。


太宰 治 2

2009-10-11 15:53:57 | 文学 読書

10月10日 夜「太宰文学とウナギの会」にいってきました。

映画「ヴィヨンの妻」がこの日公開されました。
ゆかりのある国分寺のすし屋で朗読会がありました。



東鮨です。太宰がよく通ったウナギ屋の2代目が営んでいます。
三鷹駅前にあった「若松屋」という屋台のウナギ屋がルーツで、
太宰が仕事の後によく立ち寄り、編集者や知人との待ち合わせ場所に
していたそうです


「ヴィヨンの妻」はたかだか文庫本で40ページ強の短編です。この日は文中 
飛ばしたところもありましたが、1時間ちょ
っとで、朗読されました。
三鷹のフリーアナウンサー H さん、小柄で美しい人です。
この人の声もいいし、会話の部分の雰囲気もいい。
私は原作を持っていったので、目で追いながら、耳で聞いていました。
まわりの人の様子には気が付きませんでしたが、
みなさん、それぞれの思いで受け止めたことでしょう。  
 いよいよ19日に映画を見にいきます。

うなぎは「太宰も親しんだ こくある濃い味」 と聞いていましたが、
わりとさっぱりとした たれが少なめで うなぎは多めでした。
先代は太宰とも縁が深く、ウナギを入れた籠を
玉川上水に取りに行き、入水した太宰を見つけたのだという。
そんなえにしもあるお店でした。

帰り道、並木に、公園にキンモクセイがむせかえるほど
香っていました。


太宰 治 1

2009-09-21 18:04:23 | 文学 読書
9月21日 「太宰が生きた町」 三鷹を歩いてきました。

今年は太宰 治の 生誕100年の年です。
隣町に住んでるよしみで、太宰のゆかりの地には よく散歩に立ち寄ります。今日は武蔵野市の玉川上水近くの我が家から、あの、新橋まで歩きました。


今年発見された弘前高校の入学願書用の写真、りりしい感じの津島君。

中央線の陸橋を渡って三鷹へいきます。唯一現存するゆかりの建築物。

子供を連れて電車を見に来るところです。夕焼けの富士山もきれいです。

ほら、太宰さんも電車をみにきたのよ。それとも考え事してきたの?

下連雀3丁目に「太宰治文学サロン」があります。
ボランティアの人が展示物の説明をしてくれたり、頼めば町案内もして
くれるようです。私は地図をもらって、歩く順路を決めました。
玉川上水に戻って10分ほどのところ、植込みの目立たない場所に
玉鹿石(ぎょっかせき)があります。何もかいてない石です。
太宰は昭和23年6月13日、この近くの玉川上水で、
山崎富栄と みずからの39年の生涯を終えたのです。


太宰を偲んで、故郷青森県金木町から送られた玉鹿石の石碑。
奥さんの津島美知子さんが、怒って何もかかなくていい! っていったとか。


三鷹 太宰が住んでいた界隈の地図



井心亭(せいしんてい)の百日紅

井心亭は市の和風文化施設です。すぐ近くの太宰 治 旧宅の
「玄関のまえの百日紅」(おさん に載ってる)がこの庭に移植されました。


新橋 ここで二人のなきがらがみつかった。くしくも太宰の39歳の誕生日に。
井の頭の万助橋から20分くらい下流の橋。


新橋付近の玉川上水散歩道


三鷹の誇る「風の散歩道」です。

三鷹駅から井の頭公園まで、玉川上水に沿って、伸びています。
今では、「ジブリ美術館」へいく道でもあります。(左が玉川上水)
春は桜、夏は木陰、これからは三鷹の木、イチョウが色を変えていくでしょう。
山本有三記念館の前を通る、文学の香り高い散歩道です。
お出かけになりませんか?