花歩る木

山と旅がすきです

高尾山 (112)

2009-11-29 14:44:19 | 山歩き

11月28日 紅葉真っ盛りの高尾山を歩いてきました。

紅葉が自慢の高尾山、小春日和で土曜日だとどうなるんでしょう?
「山の会」の行事なので、様子を見に行ってきました。参加者13人。
JR高尾駅北口の小仏行きのバス待ち行列の長いこと。
ここから始まっていました。景信山もいつもの10倍以上の人。
城山に来たら座るところを13人分確保するのに
場所は選べませんでした。
高尾山の頂上は推して知るべし。

 
 高尾山頂上付近の登山道の混雑


人のいない隙に 上を目がけてうつしました。

  稲荷山ルートを下りました。1時間ほどのコースなのに
麓が近づいてきたら、救急車の音があちこちにけたたましくなっていました。
1件や2件じゃなさそうだと話していたら、このコースにもけが人が。
けが人には仲間がいて救急隊を待っている様子でしたので、通過。
程なくして救急隊に応急手当てをしてもらっている人にもあいました。
ザイルやボートみたいなものを持って、2人のけが人のために
20人ほどの隊員が登って行きました。
おまけに、登山道の出口にもう1人。3人ものけが人に会いました。
他のルートにもSOSの人がいたはずですから、八王子警察の
フル活動の日でもあったようです。  

登山ってこわいですね~。
ミシュランが三ツ星をくれて、初めはヤッタ~と喜んだのですが、
最近の混雑を見るとちょっと有難迷惑って感じがするんですけど~。


太宰 治 4

2009-11-29 07:55:42 | 文学 読書

11月21日 太宰治の朗読会に行ってきました。

生誕100年の今年、太宰治は再び注目をあびています。
昨日今日のフアンではなくて、昔からの本物の「太宰萌え」
と自称している友達を三鷹に案内しました。
ほんのこの間津軽を旅してきて、まだ ほとぼりが冷めないうちに、
三鷹時代の太宰にも思いをはせてもらいました。


太宰の墓がある禅林寺の山門

 
津島家の墓と                  左横に姓名、没年が刻まれている。

「太宰治」の刻字は作品などから取った、本人の字と思われます。
太宰本人と美知子さん、正樹さんの3人が眠っているのです。
正樹さんは作品にもよく出てくる、病弱で発育不全で
あの太宰が気に病んでいた子でしたが、
15歳まで生きていたんですね。

森林太郎(鴎外)の墓がある禅林寺に いずれ自分も眠りたいとの
太宰の希望を檀家の大反対をおしきって受け入れたのは
その時のご住職だったそうです。
「人は誰でも亡くなれば仏さまです」

 「原 きよさん」の太宰作品の朗読会は三鷹南口の
「モダンタイムス」というレストランでありました。
その1つ、第一回芥川賞候補となったものの、
受賞できず、その批評についての川端康成との
やりとりで話題になった作品「逆行」他、1時間。 

 そのあと自家製のパスタなどのランチを頂いて、
(会費2000円 ←内容に比べて安い 悪いくらい
参加者どうしで太宰の話に花が咲いて、素敵な時間を楽しみました。

友達とはその後、ゆかりの場所を回って吉祥寺まで歩き、
「三鷹の太宰」のフルコースを味わえた・・・と喜んでもらえました。


平林寺

2009-11-27 19:33:54 | ウオーキング

11月16日 平林寺の紅葉を訪ねました。

友人3人で平林寺を歩きました。

「11月26日は入れません」と書いてありましたが、26日の夕刊に
天皇、皇后両陛下が境内を散策されたとかいてありました。
丁度いい紅葉をご覧になられたことでしょう。
昨年行った時も同じお知らせがありましたが、
当時発生した元厚生事務次官宅への襲撃事件を受けて、
延期されていたそうです。(今年まで・・・?)





めずらしい枝垂れもみじ

埼玉県新座市野火止にある平林寺は、
樹木が多く武蔵野のおもかげをよく残して
天然記念物に指定されています。
野火止塚や松平家の墓所などの文化財がありますが、
何といっても紅葉の名所として有名です。

そぞろ歩いているうちに今年は「松永安左エ門」さんの
お墓に巡り合いました。大きさも普通、派手さもなく
「電力王」「電力の鬼」と言われながら
偉大な茶人で一生をおえた人らしいとの思いを抱きました。

道路を隔てた向かいに新座市の和風の文化施設があります。
信州から持ってきた茅葺の松永耳庵(安左エ門の号)さんの
お茶室があるんですよ。
昨年はここでお抹茶をいただきました。



幼稚園の子供たちが落ち葉をひろっていました。
工作に使うんでしょうか?
境内全域が華やかに色ずくには10日早かったですね~。


上越

2009-11-25 17:32:42 | 

11月11~12日 上越を旅しました。

湯沢に1泊して、天、地、人の舞台を見てきました。
一行は6人で車2台。11日は朝から雨、結局一日降られました。
六日町の「坂戸山登山」をあきらめて、お寺と天地人博の
見物をしましたが、それで十分満足でした。



浦佐毘沙門堂の境内に菊花展が催されていました。
こぞって菊を育てる地区のようで小学校の生徒の作品も並んでいました。
「浦佐小学校長賞」もあって、素晴らしい教育だと感心しました。

湯沢駅に「ぽんしゅ館」というところがあります。
酒どころ新潟の全蔵元の酒が勢ぞろいしています。
ソムリエ気分で日本酒の利き酒がたのしめるのです。
500円で、好きなお酒が(おちょこ)5はい呑めます。
それでたっぷりご機嫌になれました。

12日は幸いにも晴れたので大源太山の麓を散策しました。
「大源太山」は谷川岳から続いた山並みの
「東洋のマッターホルン」と呼ばれる少々難しい山です。
気になってはいますが、まだ行ったことがありません。


大源太湖に映る紅葉


味噌なめたか  の関興寺

ドラマで脚光を浴びているのは「雲洞庵」ですが、12月にグループで
立ち寄りますので今回ははずして、関興寺に行きました。

戦火からお経を守るため、味噌桶に隠し無事にお経を
すくったんだそうです。お寺の中でお味噌を買いましたが
見た目は普通のお味噌ですね。(まだ使っていません)

どこへ行っても天地人の幟がはためいていました。
どこへ行ってもこしひかりを売っていました。
新潟県は遠い所ではないのに馴染みの薄いところでした。
春一番に美しい山の花が咲く頃、是非また訪ねたいものです。



ドイツ 3

2009-11-22 12:58:04 | 

10月31日 ローテンブルグに北上してきました。

中世の宝石と呼ばれ、城壁に囲まれた小さな町並みは
まさにおとぎ話の世界そのままでした。
市庁舎の塔からは、赤い切り妻屋根が見わたせました。

 
  
城壁の外は黄葉に染まった森や草原が広がっていました。

城壁の上に築かれた回廊は約1時間半で1周できます。
回廊からは素晴らしい眺望を楽しむことができました。

11月1日 ハイデルベルクにいきました。

中世の町並み、赤砂岩の橋、山の中腹の古城といった
ロマンティックな景観をもつ町です。
ハイデルベルク城は町のシンボル。
ルイ14世に攻撃されて以来、再建されず、
今や廃墟同然となったレンガ色の城は、
朽ち落ちる寸前とも思える建物ばかり。
よくぞ現在まで保存されていたと、
ヨーロッパの文化に対する考え方に驚きました。

 
ハイデルベルク城

ハイデルベルク大学はドイツ最古の大学。
多くの詩人や哲学者を輩出しています。

この日、出発点のフランクフルトに戻ってきました。

11月2日 フランクフルトを散策

マイン河畔に高層ビルが立ち並ぶ近代的な町ですが、
中心部には昔ながらの木骨組の家屋が並んでいます。
マイン川沿いには真珠のネックレスのように
美術館がならんでいるのですが
如何せん月曜日は全部そろってお休みでした。

 
レーマー広場に立つ階段状の切り妻屋根の歴史的な建造物


美術館通りの散歩道 マロニエの黄葉はもすこし後。


旧オペラ座です。現在は主にクラッシックのほか、
ポップス、ロック、ジャズなどの演目がある。
このあたりはエレガントな雰囲気が漂う地域。
高級ブランドが並ぶゲーテ通りも近いのです

この建物は今改装中。1階の途中から上はほろがかぶされているのです。
ほとんど見分けが出来ないほど本物そっくりに描かれていました。



  ドイツのみなさんへ   
グーテンターク! 
町中でまごまごしていると、ご親切にすぐに
May I help you? と声をかけてくださいました。
お陰で無事に地下鉄やトラムの切符を買えました。
目的地に下車出来ました。ゲーテ通りにも行けました。
ダンケシェーン!!

たくさんの美しいものを見せていただきました。
芸術と文化、殊のほか美しい田園風景。
魅力的で活気にあふれた都市。
完全に魅了されて、たったの1週間で「大好き」になりました。
今回は南だけでしたが、次は北のほうを訪れます。
ダンケシェーン!!     

ですが、ちょっと心配もしました。
みなさんの食事には野菜がすくなくないですか?
パンは500種、ソーセージは1500種もあるそうですね。
みんなおいしいから、あとコーヒーで済ますのは日本では×です。
ビールやワインも美味しすぎるのが心配の種です。

歩き食べが多すぎませんか?
朝は忙しいのはわかりますが、
妙齢の女性はちょっとつつしみませんか?

歩きたばこが多すぎます。そのあとポイはいただけません。


   よけいな御世話でした。 

 アウフビーダーゼーエン!!

 


ドイツ 2

2009-11-18 16:40:43 | 

10月30日 ノイシュバーンシュタイン城を見学しました。

ロマンチック街道はバイエルン地方のアルプスの麓で終点になります。
ここにノイシュバーンシュタイン城(新白鳥城)とホーエンシュバーンガウ城(白鳥城)があります。

19世紀の城郭建築の最高峰といわれ、バイエルンのルートヴィッヒ2世とマクシミリアン皇太子の城で、デェズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなりました。
城への入場は予約が必要です。入口で日本語の音声ガイドを受けとりあるいてまわりました。

 
新白鳥城  マリエン橋から撮りました。霧が晴れて願いがかないました。


お城の窓からマリエン橋をみたところ 深い渓谷にかかっています。

「メルヘン王」の隠れ家といわれますが、ルートヴィッヒⅡ世は
実際には172日しか住んでいなかったとか。
独身で41歳で 溺死するまでのかなしい、孤独な人生だったようです。
傾倒していたワグナーはこの城ができる前になくなっているので、
1度も訪れた事がないのだそうです。
立派で、うつくしく、物語も多いけど世界遺産にはなっていません。
                                                    

「白鳥城」です。「新白鳥城」からみました。 ヒュッセンの町から見た「白鳥城」

 
        世界遺産 ヴィース教会  クリックすると大きくなります

ロココ様式の最高傑作と言われている、巡礼教会です。
のどかな牧草地に立つ、外観は普通ですが、華麗な装飾はすばらしく、
撮影OKでした。

 ミュンヘン

北上してミュンヘンへ行きました。バイエルンの州都です。
「ミュンヘン、サッポロ、ミルウオーキー」という
ビールのコマーシャルでおなじみでしたよね。
緯度がほぼ同じで、おいしいビールの出来る都市です。

マリエン広場が町の中心地。荘厳な新市庁舎がそびえています。
仕掛け時計が有名で、17時に動きだすのを待ちました。

 
    ミュンヘン新市庁舎        たそがれても人通りの多いマリエン広場
クリックすると大きくなります

市庁舎のてっぺんへは専用エレベーターで昇れます。
残念ながら、入口に気づかずに通りすぎましたが。残念!
中庭でアコーディオンを奏でる人がいました。
CDがあったら買いたいほど上手で聴き惚れました。

市内には1000人を収容できる有名なビアガーデンがあって
一息つくこともできたらしいけど夜歩きはつかれるから、
シニアのわれら2人は遠慮しました。

残念!! 今になって後悔しています。

 

                                      つづく


 

 


ドイツ 1

2009-11-17 15:19:45 | 

10月28日から11月4日まで、ドイツを旅してきました。
ツアー旅行に参加して、一行は23名でした。

フランクフルトに到着して翌日から観光です。
薄曇り、霧の日がありましたが、
幸いなことに傘の出番はありませんでした。


ヴェルツブルグ

ドイツ「ロマンチック街道」の起点の都市。
17世紀風の街並みが今も残っている。

マリエンブルグ要塞の双頭のわしの紋章


町を流れる川の橋から見て下流


橋の上流に見える城塞

2010年は「ロマンチック街道60周年」の記念の年だそうです。
ドイツで日本人旅行者人気ナンバーワンのルートだとも聞きました。
1950年に、正式な観光街道として沿線の町町が連盟を組んで、
共同PRをスタートしたのがロマンチック街道のはじまりだそうです。
決して、愛だの、恋だのの「ロマンス」からきたのではなくて、
「ローマからの軍用道路」・・・だったそうです。


  世界遺産レジデンツ

欧州で 最も重要なバロック様式の建築物の一つ。
南ドイツで最も美しい調和のある宮殿建築といわれている。

クリックすると大きくなります
お店の看板がきれいで、かわいいのです。
文盲の人が多かったころのなごりだそうですが。

  

                   ニュルンベルグ

「世界一有名 なクリスマスマーケット」で知られますが、
まだ少々早いですね。中世の町は小さくて、縦横2キロぐらい。
作り方にきまりがあって、中心に広場、その周りに大事な建物、
市庁舎、大聖堂(ドーム、カテドラル)、裁判所などがあります。

 ミュンヘンへ      高速道路の途中でトイレ休憩。
日本の高速のようなサービスエリアはなくて、
ガソリンスタンドがそれを兼ねています。
トイレは有料で50セント(約70円)をスロットに入れると
回転バーを抜けられる。領収書が出てきて売店で買い物をして
それを見せると50セント割引してくれる・・・のです。

つづく

 

 


京都

2009-11-17 05:05:58 | 

10月23日 洛北、鞍馬から貴船をハイキングしました。

前夜、22日に「鞍馬の火祭り」があったんです。
大変な人出と聞いていたので見に行きませんでしたが、
この朝 鞍馬駅から鞍馬神社の仁王門までの
祭りの後の大掃除がおこなわれていました。

鞍馬といえば、「鞍馬天狗」の舞台。義経が幼少のころ、
剣術修行をした地として知られています。
史跡や伝説の多い、魅力的なハイキングコースでした。
鞍馬神社の奥から、うっそうとした杉林の「木の根道」を登り、
貴船へ抜けるまでにやく4時間。




貴船山と鞍馬山に囲まれた幽玄な谷間にあり、
貴船神社の長い石段を登ると
御神木の桂が見事に黄色に染まっていました。
水の神様らしい「水占いおみくじ」がありました。
箱の中から好きな一枚を選び、境内の御神水に浮かべると
文字がみえてくるのです。「小吉」でした。200えん。

貴船川にそって駅までは、モミジ、カツラ、カエデなど
様々な色の紅葉をたのしんで、
京都の水源、京都の格調高い奥座敷を歩きました。


中山道

2009-11-08 12:56:48 | ウオーキング

10月21、22、23日中山道を歩いてきました。
いよいよ最後になりました。京都三条大橋に到達したのです。

10月21日 京都から石山寺へ。中山道からちょっとはずれて「おまけウオーク」
石山寺では、今回御本尊の秘仏「如意輪観音菩薩」の御開帳に巡り合えました。


  石山の石にたばしる霰かな  芭蕉  
句の通りのごつごつした硅灰岩の上にお寺がいくつもたっていました。
老舗のお菓子にこの「たばしる」を名にした銘菓がありました。
小さめのおもちの中に、甘納豆かのこと、くるみが入っている
上品なお菓子。値段は忘れました。

紫式部が、本堂の窓から十五夜の月を眺めた時に「霊感」をうけ、「源氏物語」の
構想を得たと伝えられています。瀬田川から、琵琶湖までよく望まれ、
「紫式部ゆかりの花の寺」として石山詣でがさかんだそうです
紫式部の像

さて、中山道あるきの再開。石田三成が一時捕えられて繋がれたという
銀杏の大木のある和田神社。ドラマの三成役、
旬ちゃんがかわいそうだ・・・の声あり。

木曽義仲と、芭蕉の墓がある義仲寺(ギチュウジ)
「木曽殿と背中合わせの寒さかな」 又玄(ユウゲン)
義仲の死後、巴御前はここに庵を結んだ。

10月22日 晴れ 琵琶湖疎水の橋をわたり、三井寺へ。これもおまけ。

 ここでも観音堂で秘仏「如意輪観音菩薩」が拝めました。
広い境内を歩き国宝の金堂、三重の塔、「弁慶の引き摺り鐘」などをみて、
有名な「三井の晩鐘」を打たせてもらえました。(冥加料 300円)
音の三井寺、形の平等院、銘の神護寺 と日本3名鐘といわれているそうです。
なるほど、心にしみる澄んだ音がひびきました。


          三井寺の鐘

三井寺から逢坂山の関所を通り、「日本一のうなぎ」の「かわよ」で昼食。
この辺は中山道と旧東海道が同じルートをいきます。「これがほんとに旧東海道かい?」というような細い道を行くと、三条通りにでました。
幸いなことに22日は「時代祭」でした。春日大社まであと少しの、終りに近いところを見ることができました。


  前 清少納言     後 紫式部

三条大橋では、仲間の奥さんとお嫁さんが出迎えてくれて、感激も一入でした。
11人で万歳、ハイタッチして祝いあいました。
2年半前から、延べ43日(21泊)かけての534キロ(+おまけ見物) 69宿。
今や、2時間半で行けるところを昔の人のご苦労がしのばれました。


京都三条大橋   中山道の(東海道の)ゴールです。

「祝 中山道ゴール」という横断幕を作って持ってきてくれた人がいて、それで記念写真をとりました。長い旅でした。道中での出会いや、江戸時代の建物、各地の料理やお酒など。昔の旅人も同じ景色をみただろうかとの感慨がわきました。
街道あるきは旅の原点でしょう。