1月26日映画「フジタ」を見てきました。
画家・藤田嗣治の知られざる世界を圧倒的な映像美で描く・・・と言うもんですから
藤田フアンとしては、絶対見逃せないと思って雨の日に行ってきました。
新宿、武蔵野館のエレベーターの扉一杯の看板です。
左: 1920年代のパリ時代 「乳白色の肌」で裸婦を描き、ェコールド・パリの寵児となったころのフジタ。
中: 狂乱のパリを生きたが常に孤独でもあった。
右: 1940年代 日本に戻ったフジタは数多くの“戦争協力画”を描いた。5番目の妻となった君代と
疎開先の村で敗戦を迎えることになる。
ロビーに飾ってある「アッツ島玉砕」
パリが愛した日本人、あなたはフジタを知っていますか?・・・という添え書きが
ついていますが、 はい、東京近代美術館でフジタの作品を簡単に
拝見出きますし、その上、ギャラリートークで画の鑑賞の手引きになるお話を
聞くこともありますから、関心の高い画家です。
フジタを演じたのは、オダギリジョー。フランス語の猛特訓を受けたそうですが
映画の半分を占めるフランス語は素晴らしかったです。
5番目の妻になったのは、中谷美紀。乳白色の横顔のうつくしさにびっくり。
映画の画面は全体に暗く、音楽もほとんど流れない。物語性もなく、難解でしたが
映像詩という感覚で見ました。
フジタが好き、小栗康平監督が好き・・・と言う人には、おススメしますが、
誰にでも・・・という映画ではないかもしれません。
東近美では、今、特集「藤田嗣治、全所蔵作品展示」 を行っていて、
全作品25点と特別出品1点を 12月13日まで展示しています。
シニアは無料でした。
11月21日紅葉の香嵐渓と小原の四季桜を見学しました。
豊田からバスで北東に約1時間。紅葉の名所として有名な香嵐渓にやってきました。
香嵐渓と言えば、シンボル的存在の待月橋でしょう。
初めて来たのに、見慣れたような大変人気のあるスポットです。
巴川の流れ、渓谷美の見事さ!
飯盛山・香積寺です。香嵐渓のモミジは江戸時代初めこの寺の和尚さんがお手植え
されたのが始まりと言われ、その後、大正、昭和のはじめに地元の人が大移植したものだ
そうで、周辺に約4000本植えられているそうです。
飯盛り山(254M)の頂上です。往復約1時間かかりました。
巴川沿いを歩いたり、飯盛り山へ登ったり、3時間香嵐渓を楽しみました。
小原四季桜
1時間バスに乗って、豊田市小原地区に来ました。ふれあい公園で駐車して、
里山を彩る桜と紅葉の幻想的な風景を眺めました。
文政年間、小原北町の医師が苗を植えたのが親木となったといわれています。
花は薄紅色の5弁で小さいのが特徴
香嵐渓は初めて行きました。有名な観光地だけど、通俗的な所かと思っていましたが、
渓谷も山も、催しもあって、とても趣のある良い所でした。紅葉がちょっと早かったかな?
小原のさくらはスポットが散らばっていて、回って見るには時間が足りませんでした。
出店を楽しんだりしましたが、知らない、興味深い観光地があるものですね~。
11月20日~21日 木曽路と香嵐渓を歩いてきました。
浅田次郎の小説 「一路」 を読んだ1年前から、中山道を是非もう一度
歩いてみたいと思っていました。
2007年から2年半かけて2009年10月に630キロを歩いて京都三条に
辿りついた思い出があるんです。山友11人で月に1度、真夏、真冬はお休みに
しましたが、歩いて、歩いて、秋の京都・時代祭の真ただ中を三条大橋に
到着できた時は、感激しました。
今度は、「一路」の歩いた道を西から東へ歩いてみたかったのですが、
グループの計画のように順調には行きません。
いっそのこと、ツアーに乗っけてもらおうか?・・・・と言うことで、中山道の
ハイライト・馬篭~と妻籠の山道を案内人と添乗員さんと一緒に歩きました。
「木曽路はすべて山の中である」 藤村の「夜明け前」の書き出しです
天狗が腰かけたという椹(サワラ)の老大木
十曲峠の石畳道
吉川英治の「宮本武蔵」の舞台の一つ。男滝と女滝
宿場の街並みがそのままに息づいている妻籠宿
復元された妻籠宿本陣
前回泊まった「藤乙」旅館
江戸時代の宿場が蘇った妻籠宿(重要伝統的建造物群保存地区)
12年前、恵那山に登った前日にこの道を初めて歩きました。
そして6年前、中山道歩きをしたときのこの木曽路はもっと昔の田舎でした。
今は、「売らない、貸さない、壊さない」の建造物保存地区になって、建物は
古いままですが、標識が整備、トイレが沢山、路も整理され、外国人が
よく歩いていて、観光客が多く、国際的な観光地に変わっていました。
豊田市で泊まり
11月15日⇒
近くの公園で「秋のイベント」 が行われました。
小さな公園を近所のコミュニケーションを目的に掃除をしたり
花を植えたりして守っています。
1年に1度、秋にイベントを行っています。
市役所や、消防署が協力してくれてプログラムを作ります。
市役所からは、非常用食品を沢山提供してもらって、缶詰やビスケット、
ペットボトルの水を袋に詰め、混ぜご飯はおゆを注ぐだけの簡単な
出来上がりをパック詰めにして250人分用意しました。
折り紙、クリスマスリース、簡単手芸、竹トンボ、木の工作などで
作って遊びましょう!
前日の予定日は、雨でこの日に延期したのですが、スタッフにも
お客さんにも不都合な人があったようでしたが・・・
10月の作業風景 冬の花植え
簡単手芸の「携帯用、ポリ袋入れ」を前もって30ほど用意しました
いよいよ11月15日当日
12:00オープン、準備は整いました
会場の一角で、消防士さんのAED講習
クリスマスリース作りが子供たちの人気
お昼過ぎから陽が射してきて、スッタッフの気持ちも明るくなりました。
公園を通る人、近所の人、スッタフの友達、スタッフ、・・・
今日のイベントを みんな楽しんで絆がまた少し縮まった気がしました。
11月12日高尾山へ行ってきました。
紅葉の染まり具合は如何ばかりやら・・・と期待をもって高尾へ向かいました。
今月は、高尾の登山者、観光客が一番多い月ですので、道が狭い6号路が
登りのみの一方通行になっています。
川の流れに沿った道ですので、季節ごとに花が多く、私の一番好きな道です。
前の沢⇒小仏川⇒多摩川⇒東京湾・・・とつながる小川なのです。
登山道が小川の中につながっています ここが、大河の一滴が始まるところです
10:00の頂上です。 人出はそれほどでもありません
4号路のつりばし、紅葉はまだまだ 昨年発見した馬、、、、2年経っていないのに
ずいぶん年を取りましたね。
今年の高尾の紅葉は、あまり鮮やかではないですね。
これからもっときれいになるんでしょうか?
11月5日素晴らしい快晴に恵まれた日にB山の会の山行が行われました。
参加者21名
山梨市にある奥秩父山地にある、1171mの低山です。
山梨百名山にも入っていないので、ほったらかし温泉ができてから
道を開拓したんじゃないの?・・・・と、勝手に想像しました。
落ち葉で隠れた道を、リーダーはピンクのリボンを探しさがし歩いていきましたが、
危険な個所はなかったです。
「フルーツ公園」 から見た朝霧のかかった富士山です
30分ほど林道を歩きましたが、冠雪の富士山とず~っと道ずれ
甲府盆地の向こうに大きな富士山。
帰り道でもまだはっきりと富士山
登り3時間、下り2時間。急な登りもありましたが、トラロープに助けられて通過できました。
山で出会ったのは、頂上でオジサンが1人。全員写真のシャッターをおしてもらいました。
ほったらかし温泉
ネーミングがとても斬新で、行ってみたいと思っていた日帰り温泉です。
甲斐盆地と富士山を望める露天風呂が2つあって、「あっちの湯」と
「こっちの湯」となずけられています。「富士見の湯」なんてちゃちな名前では
ない所が、大いに感心し、気に入りました。
見晴最高の「あっちの湯」
ほったらかし温泉からは、富士に昇る朝日も、日没も、星空と夜景も
素晴らしいのだそうです。(22時まで営業)
この秋は、お天気に恵まれて、特に紅葉と、展望に恵まれた山行が
続きました。よほど皆さんの平素の行いが良かったって事でしょうね。
11月9日 映画 「愛と哀しみのボレロ」 を見ました。
10月17日~11月13日 4週間限定のロードショー
YEBISU GARDEN CINEMA (恵比寿)
「ボレロ」は大好きな曲目なので、映画も是非見たかったのです。
1930年代から、1960年代にわたり、パリ、ニューヨーク、モスクワ、
ベルリンを中心とする2世代4つの家族の人生を描いています。
モデルとなっている人物がスゴイ!
ルドルフ・ヌレエフ、ヘルベルト・フォン・カラヤン、エディット・ピアフ、
グレン・ミラー・・・・超有名な芸術家ばかり。
第二次世界大戦をはさみ夫々困難を潜り抜けてきた彼らたち、
作中の親子を同じ俳優が一人二役で演技していたり、
外人の顔が似ていて、同じような顔がいっぱいいて、
3時間の映画でしたが、わからないところが多かったです。
クライマックスのフランスのチャリティー公演で一堂に集結したようでした。
最後のバレエのボレロはとにかく素晴らしかったです。
もう一度、そこだけ見たい気持ちです。
「ジョルジュ・ドンによるボレロの振り付け」は、日本で初めて、
パフォーマンスとしての知的財産権を獲得しており、許可なく
この振り付けで踊ることは許されないのだそうです。
11月2日(雨) 渋谷のBunkamuraで、
ウイーン美術史美術館所蔵の 「風景画の誕生」 展を見ました。
12月7日まで
ウイーン美術史美術館には、オーストリア・ハプスブルグ家の
コレクションに始まる膨大な数の絵画が所蔵されています。
その中から 「風景」に焦点をあてた70の作品が展示されています。
美術の歴史の中で、どのような過程を経て「風景画」が
誕生したのか? が語られていました。
「1年12ヶ月のカレンダー中に現れる風景」の部では、
月暦図の中に年中行事や人々の暮らしの中に「風景」が見られました。
ウイーンの美術史美術館は、ヨーロッパを代表する美術館の
一つで、ブリューゲル、クリムト、ルーベンス、フェルメール、ラファエロ、
ベラスケス etc の画が展示されているので、どうしても
訪れなくてはならない美術館の一つです。
ヴェルサイユの宮廷庭師
同じビルの6階のBunkamuraル・シネマ で、映画を見ました。
女性庭師のサビーヌ
この人が 太陽王ルイ14世 ↑ 威厳があって、かっこよかった!
17世紀のフランス。太陽王・ルイ14世の栄華のシンボル、ベルサイユ宮殿。
その庭の中で、ユニークな一角を占める知られざる庭園「舞踏の間」 を
作った、一人の名もなき女性庭師と秘められたロマンスのお話でした。
「舞踏の間」は、野外舞踏会用の円形劇場で、幾何学式庭園を造った
ル・ノートルが整備したもの。女性庭師は、フィクションでした。
ヴェルサイユ宮殿が、画面の中に沢山見られるのかと・・・ 期待しましたが
ほとんど見られなかったのが、計算違いでした。
10月8日都美術館のモネ展へ行ってきました。
86歳で亡くなるまで、モネが生涯にわたり手放さなかった自身の作品、
モネが収集した他の芸術家の作品など、モネのプライベート・コレクション
を紹介する展覧会でした。
《印象、日の出》 1792年 HPより
「印象派」の名の由来となった作品。(期間限定の特別出展作品)
後期は、「ヨーロッパ橋、サン=ザラール駅」に交代します。
《睡蓮》1903年 一番幸せな時期の作品 HPより
《バラの小路、ジベルニー》 1922年 HPより
晩年は、白内障を患いながらエネルギッシュに描き続けた作品
「かっこいいモネ」を描いた田辺さん モネin Japan
マルモッタン美術館がいつからかマルモッタン・モネ美術館と
名前が変わったんですね。 パリのオランジュリー美術館の楕円形の
部屋いっぱいの睡蓮を2回堪能しましたし、ジベルニーにも行って
お庭を見てきましたが、マルモッタンは行きそびれていました。
今回、東京でマルモッタン所蔵の作品、とくに至宝の 「印象、日の出」 を
みられて良かったです。
モネの晩年の画風の変わり方は、まるで印象派を飛び越えて抽象的で
怒っているような、さびしいような感じがしましたが、
86歳まで、画家としては、幸せな人生だったように感じました。
西洋美術館にも、常設で(松方コレクション)モネの睡蓮が見られます。