大河ドラマ「おんな城主 直虎」は佳境に入ってきました。
10/22放送の第42話では、家康・信長連合軍と武田軍が5万の兵で戦った「長篠・設楽原の戦い」がありました。
家康・信長連合軍は鉄砲隊と馬防柵により、当時最強ともいわれた武田軍の騎馬隊に勝利しました。
そして、ドラマの放送終盤に紹介される直虎紀行の中に馬防柵と信玄塚がありましたが、今夏、虎松が鳳来寺へ預けられた放送の際、鳳来寺ともに、設楽原決戦場(馬防柵)を訪ねていましたのでその時の画像でもう一度ご紹介します。
設楽原決戦場(馬防柵)は、新東名新城ICの西約1kmほどのところにあります。
後ろは小高い山、手前は小さな川が流れており、この川に添って馬防柵が復元されていました。
附近には案内板があり、合戦の絵図も表示されていました。(看板から50mほど先に馬防柵があります。)
馬防柵の看板や、復元された馬防柵が新東名の方へ向かって伸びていました。
もう一つドラマでは紹介がありました。「信玄塚」です。
戦いで敗れた武田軍は多くの犠牲者を出したとのことで、その戦死者を弔うために地元の人たちが供養のために建てたという信玄塚(大塚)が馬防柵からさほど遠くない地にありました。
武田軍の犠牲者を悼み作られた信玄塚。