気ままな趣味の散歩道

趣味にまつわる話題を、デジカメ画像などを活用し郷土の写真、菜園と園芸、郵趣、版画と年賀状などを紹介してまいります。

意図せずに育った「オキナワスズメウリ」

2017-10-31 16:41:46 | 家庭菜園と園芸

 夏場のアサガオネットにたくさんの花を見せてくれたアサガオが終わり、枯れたツルを取り外しにかかりました。

 ネットに巻きついたアサガオの枯れたツルは取り除くのも大変な作業です。30~50cmごとに切分け下の方へ引っ張ると抜けてきます。当然のことながら上へ引っ張るのはダメ。枝分かれの部分が引っかかってしまいます。

 こまでは前置きですが、朝顔のツルを切り取っている中で、1本だけ緑色が残っているツルを見つけました。これが、意図しないツルで、観察すると数年前に育てたことのある「オキナワスズメウリ」のツルでした。何年も間があいたのに実生で育ったものと思われます。

     

 (アサガオに紛れてオキナワスズメウリのツルを1本見つけました。)

 これをチャンスとして、育てることにしました。まだしばらく掛かりますが、熟すと真っ赤に色づいてきます。観賞用で、特に役には立ちません。もちろん毒があるといわれていますので食用には向きません。赤く熟しましたら改めてご報告いたします。

      

     1本だけですので豪華さはありませんが、十数個実をつけていました。

     

 アサガオネットを取り外さず、オキナワスズメウリの観賞を続けます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直虎紀行:諏訪原城跡

2017-10-30 16:39:47 | 「おんな城主 直虎」

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の10月22日の放送では、万千代(のちの直政)が小姓に取り立てられ数々の働きの様子が放送されました。

そのドラマの放送終了後に紹介される「直虎紀行」では、今回は大井川の西にある島田市の諏訪原城跡が紹介されました。

この春、諏訪原城跡を訪れ、見学と少々カメラに収めてきましたのでこの機会に諏訪原城跡をご紹介します。

    

   ( 諏訪原城跡は牧の原台地の北端の茶畑の向こうに見ました。)

諏訪原城は、天正元年(1573)、武田勝頼が部下に命じ築城。城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城の名がついたといわれています。

諏訪原城は、駿河から遠江に入る要衝の地にあって、高天神城(掛川市)攻略のための陣城としての役割を担いました。

    

( かなり広い場所で、奥へ進むに連れ案内板とともに曲輪(くるわ)や堀が見えてきます。 

        

       堀とその向こうに二の曲輪中馬出跡が見えます。

   

                    (外堀りに近づいてみました。)

   

                (二の曲輪と外堀の一部)

         

( 二の曲輪の(林の)向こう(東側)に本曲輪があったとされています。(ここに城(本丸)があったと思われます)

天正3年(1575年)に家康によって攻め落とされ「牧野城」と改名。天正9年に高天神城が落城し、翌年、武田氏が滅亡しこの城の必要性がなくなりました。その後家康が関東に移ったことから、天正18(1590)年頃廃城になったとのことです。

現在建物はありませんが、丸馬出が良好な形として残っていることから戦国時代の過程を理解する上で重要な遺跡として国の史跡に指定されています。

 以上城跡を回ってみました。推定の復元図(パンフレットより)がありましたので、帰宅後比べてみました。

       

         (諏訪原城の推定復元図です(パンフレットより)。)

※ 城の用語

 ◎曲輪(くるわ) =土塁や柵・堀などで囲まれた平坦な区域のこと。尾根や斜面などを造成して作ることもある。

 ◎丸馬出(まるうまだし) =武田流築城術の特徴で、虎口の前に設けられた三日月堀と平坦地がセットになった空間。防御するだけでなく、味方が出撃する場合の拠点にもなる。

 (共にパンフレットより)

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プリカの収集⑯オレンジカード④

2017-10-29 09:32:26 | 郵趣と切手

数十年前、プリペイドカードが全盛期の頃、カードのデザインを求めて多くのプリカを集めたものでした。

今ではそのコレクションも一昔前のことになってしまいましたが、人生の通過点として集めたカードをシリーズでご紹介しています。

今回の第16回目は、JRを利用した時に使う「オレンジカード」の4回目です。全てが使用済みですが、実用的に自己使用でその8割強を蒐集しました。今回はスポーツデザインを特集しました。

 

 Jリーグ ジュビロとエスパルスの選手。《ゴン(中山選手)は懐かしいですね》

上段はやはりジュビロとエスパルスのメンバー。下段は平成3年に静岡県で開催されたインターハイ記念のものです。

続いては、静岡県の景勝地などです。

 

          伊豆と浜名湖。

      富士山と下呂と奥飛騨温泉。

上の小画像は京都の御所人形です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新野のカカシ祭りのスライドショー

2017-10-28 13:20:19 | デジブック:スライドショー

 今月10日に静岡県御前崎市新野で開催されてたカカシ祭りを速報でご紹介しましたが、展示された多くの作品(約50体)をスライドショーに編集しましたのでご紹介します。

 この下のアドレスをクリックして御覧ください。

http://www.digibook.net/d/828489d7a0ce9c9cf53cb82138ffd2b7/?viewerMode=fullWindow

 

【お断り】 今月から「gooブログ」のシステム変更により以前のように直接デジブックのスライドショーを表示できなくなっておりますが御面倒でも、アドレスをクリックしてご覧いただきたくよろしくお願いいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモス祭り、中止のお知らせ

2017-10-28 09:19:10 | ふるさと紹介

当ブログ、10.20付けにてご案内しました10.29開催予定の掛川市遊家・家代区の「三十川コスモス祭り」は中止することとなりましたのでお知らせします。

台風22号の接近により、気象予報等から風雨や災害予測に鑑み中止を決定しました。

企画した地元の皆さんや、ご来訪を予定していただいた皆さん、ともに残念ではありますが、自然現象には勝てませんのでご理解賜りますようお願いいたします。

            

             台風21号通過後の三十川コスモス街道(10.27)。

 なお、コスモスの花期も終盤を迎えますが、10.29以降にコスモス街道へご来訪された皆さんは、コスモスの摘み取りができますので散歩を楽しみながら、摘み取りもお楽しみください。(はさみ等のご用意はありませんので、ご希望の方は花きりばさみ等をご持参いただくと便利かと思います。)

            

                  三十川のコスモス一風景。(10.27)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

磐田でジョイントコンサート 《ご案内》

2017-10-27 17:22:56 | ふるさと紹介

11月5日(日)、磐田市でジョイントコンサートが開かれます。そのご案内とお誘いです。

小生の知人が属する、「SGE-41 」というギタークラブのからお誘いがありました。 

多くのみなさんにご来場を賜りたいとのことで、ご案内いたします。

           磐田市のゆるキャラしっぺい」くん。

ジョイントのもう一つのグループは、磐田市の「見附ギタークラブ」の皆さんで、内容は、第1部 ギターとマンドリンの協演,第2部は、日本の名曲をみんなで唄おう、そして第3部が懐かしの曲をギターで綴るです。(詳細は上の小画像をクリックして御覧ください。)

月日:2017年11月5日(日) 13:00開場 (開演13:30)、

会場:ワークピア磐田 (磐田市見附2989-3) (磐田郵便局の近くです。)

入場無料で全席自由席とのことです。

 

            「SGE-41」のみなさんの演奏イメージイラスト。

 「SGE-41」のグループは通常11名で演奏を主に関東地域で開催し、岐阜、福島、石巻などでも行われ、今回が14回目の演奏会とのことです。

 会場のワークピア磐田の周辺には無料駐車場もあるとのことです。

 是非お出かけくださいますようご案内いたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イワヒバ5鉢

2017-10-26 17:26:39 | 家庭菜園と園芸

ご近所様からイワヒバばをいただきました。

少し土もかたくなっていたのでこの機会に植え替えをしました。《読本によると数年に1回は植え替えたほうが良いとの解説がありましたありしたので》

   

    

 まず3本を植え替えました。一鉢は、小さな岩付きにしました。右下は三鉢勢ぞろいです。

  

 この2鉢は上の3鉢とは種類が違うのか、趣もあります。

 夏場は水やりが大変でしたが、何とか持ちこたえました。

上の小画像の鉢は以前から育てていたイワヒバで定着したようです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御前崎海岸と海獣

2017-10-25 16:47:36 | 風景写真

 駿河湾の入り口の西側にある御前崎(東側は石廊崎)。

 空模様はよくなかったのですが、今月初め、御前崎の先端を訪れました。曇天と波風高しで、見通しも悪く、波打ち際へは近寄れない荒波でした。

 それでもカメラを構えて、御前崎の最先端の様子を見てきました。

 上の小画像は、堤防の上から太平洋(遠州灘)を眺めた様子です。

   

 その堤防付近と沖合数百mのところには海の中の灯台(?)が浮かんでいました。

 そこから数百m西に移り普段は波打ち際まで降りられるところですが、こちらも荒波がすぐそばまで来ており、波しぶきが上がっていました。↓

    

       (波打ち際まで波しぶきが打ち寄せていました。 ) 

 上の右画像の先を見ていると何か黒いものが荒波の中に見え隠れ。↓

 ズームを利かせると、海獣の形をした岩と思われます。その海獣《ゴジラかそれとも》が海から飛び出そうとしていました。

 波の形によっては、犬か何かが泳いでいるようにも見える時もありました。この荒波でなければ気が付かない風景だったかもしれません。

   

 この岩。波の静かな干潮時にもう一度どんな形か見てみたいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“お茶会ごっこ“ 《かけがわ茶エンナーレ》

2017-10-24 19:45:08 | ふるさと紹介

“お茶のまちがミュージアムに変わる” と題した掛川のイベント『かけがわ茶エンナーレ』が始まりました。〔10/21-11-19〕

10/22,掛川市五明地区の会場で、イベント「お茶会ごっこ」が行われ取材に行って来ました。

このイベントは、子供たちが絵を描き白い段ボールの家を作りそこに絵を描いた切り抜きを貼り、その中でお茶をいただくというもの。

多少の台風の影響もありましたが会場となった五明茶業組合の会場には50人弱の子供たちが集まり、元気な姿が見られました。

    

       (会場となた五明茶業組合と集まった子供たち。)

      (子供たちは絵の具を使って絵を描きます。)

   (描いた絵を星の形などに切り取り、段ボールに貼って行きます。)

       

        (絵が貼り付けられ、段ボールのミニ茶室が完成しました。

   

       (茶室の中では3人づつ待機。お茶が運ばれてきました。)

    

  ( お茶を淹れてくれるのは茶業組合の婦人部の皆さん。)

 

       (そのお茶をミニ茶室でいただきます。)

(礼儀正しく順番を待つ子らとお母さん方も我が子の姿を段ボール茶室の上からカメラに収めていました。)

 

小さな茶室を自分たちで作り、礼儀正しくお茶をいただき、親子の触れ合いも楽しい「お茶会ごっこ」でした。

かけがわ茶エンナーレの素敵なスタートでした。1ヶ月間のイベントに期待します。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直虎紀行:設楽原の戦いと馬防柵

2017-10-23 17:05:52 | 「おんな城主 直虎」

 大河ドラマ「おんな城主 直虎」は佳境に入ってきました。

 10/22放送の第42話では、家康・信長連合軍と武田軍が5万の兵で戦った「長篠・設楽原の戦い」がありました。

 家康・信長連合軍は鉄砲隊と馬防柵により、当時最強ともいわれた武田軍の騎馬隊に勝利しました。

 そして、ドラマの放送終盤に紹介される直虎紀行の中に馬防柵と信玄塚がありましたが、今夏、虎松が鳳来寺へ預けられた放送の際、鳳来寺ともに、設楽原決戦場(馬防柵)を訪ねていましたのでその時の画像でもう一度ご紹介します。

 設楽原決戦場(馬防柵)は、新東名新城ICの西約1kmほどのところにあります。

   

 後ろは小高い山、手前は小さな川が流れており、この川に添って馬防柵が復元されていました。

     

 附近には案内板があり、合戦の絵図も表示されていました。(看板から50mほど先に馬防柵があります。)

   

   

 馬防柵の看板や、復元された馬防柵が新東名の方へ向かって伸びていました。

 もう一つドラマでは紹介がありました。「信玄塚」です。

戦いで敗れた武田軍は多くの犠牲者を出したとのことで、その戦死者を弔うために地元の人たちが供養のために建てたという信玄塚(大塚)が馬防柵からさほど遠くない地にありました。 

 

      

               武田軍の犠牲者を悼み作られた信玄塚。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする